今日は、少々、毒を吐き出しに来た…。

岸田文雄、石破茂と続く現政権は、国民のためになることは一切やらず、国民の利益、及び国益に反することを率先して行う国賊政権であることは、もはや誰の目にも明らか。

石破政権は、一度は減税を匂わせたが、今月になってそれを撤回した。
恥ずべき嘘つきであると言えよう。

こうした政治家を選ぶのは有権者の責任であるが、野党の候補も自民党の候補と似たり寄ったりの劣化ぶりだから、恐れ入る。

まともな政治家は、高市早苗議員と旧安倍派の保守層、国民主の一部の政治家、それに日本保守党くらいか。

来るべき参院選挙では、こうしたまともな政治家以外には絶対に投票すべきではないだろう。

ところで、我が国の政治家たちの経歴を見ると、圧倒的に文系が多い。
典型的なのは、東大法学部から財務省その他の中央省庁の官僚出身という流れ。これは、岸田文雄を領袖とする宏池会に特に多い(岸田本人が三浪しても東大に合格できなかったのは笑えるが)。
そして、理系の政治家というのが我が国にはほとんどいないのが実状だ。
例外的に東工大出身の菅直人がいるが、あれは学生時代にゲバばっかりやってたから、まっとうな理系として扱うのは些か問題がある。
しかもこの菅直人。筆者と同じ弁理士なのが腹立たしい。

ここからは、自分語りになるので、鬱陶しいと感じられたら、読み飛ばすなり、なんなりして戴ければ幸いである。

筆者は、とある大学の理学部出身だが、在学中に本格的に自転車にのめり込み、卒業後も出社前の早朝に、毎朝、40~50kmのトレーニングをしていた。
また、他大学の出身者とも一緒に走るようにもなった。

他大学の出身者の学部は、法学部とか、経済学部とかの文系で、当時を思い出しても、地味でネクラな筆者とは住む世界が違うなぁ、という印象だった。

当時の文系の連中は、とにかくノリが軽かった。
また、論旨に一貫性がなく、主張がコロコロ変わることにも面食らった。

事実に基づいた論理的な思考というのは望むべくもなく、ただただ、快か不快か、好きか嫌いかを主な評価軸としていると当時の筆者には感じられた。

事実に基づいたことを主張する筆者とは、本質的には反りが合わなかったことを憶えている。

その後、筆者が転職で西日本に引っ越したこと、さらには弁理士試験の受験勉強を始めたこと等で、彼らとは疎遠になった。

そして、一緒に走った時から幾星霜。
目黒のCorsacorsaさん主催の山中湖を往復するヒルクライムイベントで、久方ぶりに彼らと遭遇した。

久しぶりに会った彼らは、悪い意味で若い時と変わっていなかった。
いや、ノリと勢いで突っ走る悪癖はそのまま。さらに、一部上場企業で下手に出世してしまったからなのか、格下と見た相手に露骨にマウントを取る傲岸さが備わっていた。
年相応の慇懃さは備えているが、それは上辺だけで、内心にはある種の悪意が透けて見えると言ったら言い過ぎだろうか。

筆者は、大昔に弁理士試験に合格して、今に至るも知財(特許)の仕事で糊口をしのいでいるが、知財の仕事は、ノリと勢いとか、嘘やハッタリのようなゴマカシが一切許されない。
特に、最近の発明は、厳密な数理理論に基づいた難解なものが少なくないから、ミスやいい加減な解釈はご法度だ。

そうした難解な事案に接してきた筆者は、パリピ文系の彼らからは、「ノリが悪く、融通が利かないバカ」とでも看做されていることだろう。
大いに結構。
世の中に、絶対的な正義はないが、論理的に導き出された事項には、(研究者や発明者がデータを捏造したとかは別にして)基本的に嘘偽りがない。
嘘偽りがない事実に接することを常としていると、自然と謙虚な気持ちになる。少なくとも筆者はそうだ。

逆に、快か不快か、好きか嫌いかを主な評価軸とする傲岸な彼らの生き方こそ、軽蔑されて然るべきだろう。

ところで、冒頭でこき下ろした岸田・石破政権だが、その執行部の面々は、ものの見事にパリピ文系どもと性質が似通っている。

調子がいいことばかり言うが、ほとんど嘘。そして、国民に対する傲岸不遜ぶりは、まさしくパリピ文系だろう。

事実というものに謙虚に向き合う気持ちも能力もないのだから当然か。

事実に基づいて謙虚に思考する聡明な人物を醸成するには、高校卒業後の高等教育でも、数学等の理系科目を、文系志望者、理系志望者を問わずに課すことだろう。

高等教育で、文系志望者、理系志望者を問わずに数学等の理系科目を課すというのは、戦前の旧制高校で行われていた。
旧制高校では、文系志望者であっても、数学等の理系科目の点数が悪いと進級できないようになっていた。
文系志望者にも数学を学ばせる意味があるのか?と問われるだろうが、筆者は、事実に基づいた論理的思考力を培うことが出来る点で意義があると思う。
その旧制高校の卒業生は、旧制大学を経て、その多くが中央省庁の官僚となっていった。

戦前の官僚が戦後の官僚に比べてあらゆる点で優っていたとは言い切れないが、今の官僚のようないい加減さは、少なくとも認められない。
戦後、旧制高校制度はGHQにより廃止されたが、数学者の藤原正彦氏は、「米国による日本弱体化の一つ」と喝破している。

実際、その通りだろう。
事実に基づいた謙虚で論理的な思考力を有しない、ノリと勢いと好悪の感情で動くバカが中央省庁の役人になり、さらには政治家になってきた現代の日本を見れば、米国による日本弱体化の目論見は見事に成功している。

日本がまっとうな国になるには、高等教育を抜本的に見直す必要がある。
話は単純だ。旧制高校、旧制大学の教育制度を再導入すればよい。
現行の4年制大学を廃止しても筆者は構わないと思うが、制度的な軟着陸をするのであれば、現行の新制大学は温存させたまま、4年制大学に並行して、旧制高校、旧制大学に相当する教育レーンを設けるというのもアリだろう。
また、現行の4年制大学の学生であっても、編入試験等を介して旧制高校、旧制大学に相当する高等教育を受けられるような制度の柔軟性も備えることが望ましい。
これにより、戦後日本の高等教育において欠けていた、例えば知的研鑽に対する謙虚さを具備させるような教育が可能になる。

そして、キャリア官僚になるための関門である国家公務員採用総合職試験、それに司法試験、弁理士試験等の難関資格を受験するには、旧制高校、旧制大学に相当する高等教育の修了を条件とすべきだ。
これにより、おかしな官僚、おかしな政治家、おかしな裁判官等が出現するリスクをかなり減らせる。

安倍元総理は、「戦後レジームからの脱却」を訴えておられたが、それには教育の改革が必須だ。
高等教育のみならず、初等、中等教育に関しても、現行制度の抜本的な見直しが必要なのは言うまでもない。
特に、国歌である君が代を否定する教員がいまだに存在するという現状は、言語道断ではないだろうか。