姓命鑑定アドバイザー 永京白衣です。
ご訪問ありがとうございます。
前回の投稿から、生命鑑定を姓命鑑定と変更しました。
姓名に宿る生命体。
姓名という器に魂が入っている。
姓名という実態がないようなものが、実は形となり、型どられていく。
面白いです。
おおよそ、数理と五行は40%ずつ、音霊と陰陽が15%ずつの影響を及ぼす。
そして、生誕日からの氣学が絡み合い事象が起こる。
性質や法則どおりに一人一人の人生が型どられていく。
御先祖様からの因果も浮き出ていますが、そこは扱わない。
ただ認識するだけでいい。
わざわさ呼び起こさなくていい。
しかし、深い所で感覚を受け取り、供養は必要。
引き継いでいる課題あれば、そこをしかと認識する。
自分の体験、苦しさ、困難なことをそのまま御先祖様も体験してきた。
時代の背景を感じながら、想いを馳せていくと胸が熱くなる。
何があろうとも、命が繋がれていることをみると、孤独という言葉はありえない。
孤独であったのは、その繋がりを断っていたから。
わたくしがずっと孤独を感じていたことは、全て幻だった。
孤独を感じることが体験値として必要だった。
なぜならば、繋がっていることを知っていたから。
孤独というものは、時として、予想できないことを体験させてくれました。
我が姓名をみながら宿命をみていくと、不吉な予感しかなかったものが、今では愛おしさまで感じるのです。
宿命こそが宝であった。
大吉というものを更に超えてくる宿命。
鏡を見ながら、自分の姓名を唱えてみる。
なぜ、その容姿なのか、なぜ、その姓名なのか、、、
そこをじっと観察していくと、その器を持つ者の人生が俯瞰できる。
そこには大いなる尊い計らいと、これほどまでに愛を求めてきた者の姿が。
瞳の奥からのメッセージ。
思えば、昔から他者と目を合わせることが苦手だったこと。
容姿を見られるより、瞳を合わせるのが苦手だった。
ようやくその理由が分かる。
瞳からの情報。
瞳は嘘をつけない。
いくら強がったところで、瞳はまさに純粋な姿を現している。
どんなに醜い心を嘆いても、瞳は美しかったから。
どちらが自分なのか混乱していた。
自分以外の者たちには、強がっていなければいけなかったから。
瞳は嘘をつけない。
だから、亡き母もそうだったのか。
母も強がらなければいけない人生だった。
今ではその苦手としてきたものの素晴らしさを伝える側となっている。
いつからか、まっすぐに瞳を合わせるようになっていた。
どれだけ悩み多く嘆く方がいても、瞳の奥からは純粋な者からのメッセージがある。
どれだけ宿命に嘆いても、その宿命さえ愛せることができる。
本当はこわいものはない。
美しき瞳のままこの世を観ていく。
自分の名前が好きでも嫌いでも、無関心でも、今一度、姓名に立ち返っていくこと。
川上からずっと流れ続く姓名。
人生という川の流れ具合はどんなものか。
穏やかなのか、激流なのか、清流なのか、濁りがあるのか、、、
御先祖様から受け継ぎ、また子々孫々と繋ぐ流れ。
変化を起こせるのは、紛れもなく今の自分の代。
流れに納得できないのなら、自分の流れを彩るのも、修正するのも自分次第。
できうるだけ、繁栄と循環の流れを子々孫々へと渡したい。
その為に、何が自分の代でできるのか。
先日、そんな話をして盛り上がりました。
その共振力は、同じ志へと発展していく。
孤軍奮闘ではなく、同志となるのです。
ご縁に感謝いたします。
永京白衣~えいきょうびゃくえ
