白衣です🌺
ご訪問ありがとうございます🍀
先日、かなりの久しぶりに息子と家族で夕食を共にしました。
本当に久しぶり。
幼い頃から、わたくしの上っ面を見抜いてきた息子との対面はいつも緊張感が付き物でした。
付き物だったのですから、本当に憑き物だったわけです。
これが長年、わたくしの内観材料でした。
有り難きものです。
学生時代からか、いつしか目を合わせるのが苦手となっていました。
だって、見抜かれていることを、わたくしも見抜いていたから。
見抜かれている、と感じていても威厳を払おうと必死だったのですから、もうせつなすぎますね。
子どもが混乱するのは当たり前。
優しさと厳しさのはけ違い。畑違い。お門違い。(笑)
どんな違いであっても、もう完全に説得力なし。
あなたの自由にしたら良い、ありのままでいいんだ、と言っておきながら、可愛い子には旅をさせろ!という表現。
ここが親という自我で都合よく使われている言葉。
どちらも親自身も経験してきたのか、、そこに説得力があるのか、、
子どもは親から発せられる声に命が吹き込まれているのか否かを見抜き、だからこそ、その声に嫌氣がさし、流していく。
その反応筋が育っていく。
息子の場合でも、その反応筋は育ち、母の声は流していくものとなっていたことは事実。
取り返しがつかないと焦りに焦った時期もありましたが、相手をどうこうしようではなく、我が身の歪みを直していくことを知り、10年という歳月が経ちました。
この10年で、他人のせいは何一つなし!と頭の理解を肚落ちするのに、どれだけのテクニックに触れたか。
いかようにも、自分をごまかすことを知り、進歩してるのか見失うこともありました。
しかし、決めたゴール設定に向け、あらゆる出逢いが続き、腕を磨ける環境ともなっていました。
そして、月日が経ち、久しぶりの息子との再会が実現しました。
今まで忙しいやらで顔をみせることはまずなかったのですが、今回はそもそも上京する前日から様々な虫の知らせのような不思議なことがありました。
息子だけではなく、懐かしい方々との偶然の再会や言葉では表現しずらい感覚が訪れました。
明らかに、何かが違う。
見える景色が何か違う。
みんな、皆様が、笑っている、、、、と深く感じたのです。
歳を重ねるのも悪くないものだ。
そして、思う。
更なるカラダ開発に打ち込もうと。
外の景色が変わっているのは、カラダのあり方も変化してるから。
老廃物をどんどん流そう。
心とカラダの不要なものを溜めず、どんどん流していこう。
削ぎ落とすことは力が入るから、自然に流れる幅を作るのです。
子ども時代はそれが自然に行われていたのに、どんどん反応筋や思考癖で、狭くなってしまうのです。
大きなカラダになっても、機能が果たされてない。
大きなカラダになっても、器が小さいまま。
わたくしはこんな自分を認めるのにも時間がかかり、いまだに抵抗さえでます。
そんな時こそ、また内観のチャーンスなんですけど。
チャンスがいっぱいで、難あり、、、有り難きかな人生は。
久しぶりの深い感情を俯瞰しながらも、食事中は嬉しさが募り自我がでる自分も更に慈しみました。
その嬉しさは、息子が来て、家族団欒という現象を、わたくしが幼い頃に夢みていたことか重なっていたからです。
今は亡き父と母と、幼いわたし。
楽しい食卓を過ごした経験がなかった幼い自分が、心を許す空間を慣れていないながらも、無邪氣に喜んでいたのです。
父と母のそばで安心である、という絶対的な空間。
この空間の感覚は、何があろうとも、自分を誇りに満たせる根幹なのです。
ご縁に感謝いたします💐
