白衣です🌺



ご訪問ありがとうございます🍀


昨夜、友人達とのオンラインおしゃべり会で、『断捨離』という共通のワードが出ました。


そして、タイムリーに、最近、引っ越しという名目の強制断捨離を経て、様々な氣づきも頂きました。


母親として過ごした家からの引っ越し。


整理していくと、息子が幼かった頃に買ったデコ弁用の調理器具や幼稚園の先生からの手紙の数々。


その手紙には、息子がケンカ三昧でお友達とうまくいってない報告が多かったですが、懐かしい情景を思い出せるエピソードがたくさん書かれていました。


当時は、その幼稚園の先生からの手紙が全てでした。


見ていない時に息子はどうしているのか心配で心配で、こっそり園庭で遊んでいる様子をみていたことも度々。


どうしてお友達と仲良くできないの?


怪我してないか、怪我させてないか、、いつもいつも心配だった。


いつも傷だらけ。


だけど、、強かった。負けずにケンカしていた。


毎日毎日、叱ってた。


毎日、誰かのお母さんに謝っていた。


主人や母に息子のことでやるせない怒りをいつもぶつけていた。


このまま成長していって大丈夫なのか、あちらこちらに相談してきた。


息子の評価は自分の評価と疑わなかった。


男の子ってこんなに育てにくい?


いや、特に息子は一際に目立っていた。


母はいつも言っていた。


『成長したら変わるから大丈夫よ。今だけよ。』



しかし、成長していっても、ずっとうまくいかなかった。


わたしは自律神経失調症になり、パニックを起こした。


そして、回復しつつ、仕事に就き、息子が高校生になるまで母に頼りながらずっと働いていた。


息子から逃げるように働いた。


高校時代は不登校で、ギリギリで卒業。


どれだけ息子と取っ組み合いをしただろう。


いつしか身長も力も抜かされ、取っ組み合いはできなくなった時、息子を恐れた。


しかし、わたしはそれでも息子をどうにかしようとした。


親として圧力をかけてきた。


息子の怒りは、家のあらゆるモノを破壊した。


ある時、だらしない姿にわたしは怒りが溢れるままに言葉をぶつけ、息子がキレた。


冷蔵庫に拳がくっきり型どりされるくらい凹みができた。


真っ赤に腫れ上がった息子の拳を思い出す。


骨が折れなかったかと氣になったが、息子はわたしを一瞥してから、部屋に戻って行った。


食事も取らずあれだけ細いカラダに、よくあれ程の力が出せるのか。


憎しみの力だけで、息子は生きていたと今なら分かる。


憎しみが原動力となっていたわたし達。


しかし、幼い頃は友達とケンカ三昧だった息子が、中学頃から友達が増えた。


いつも息子の周りには友達が集まっていた。


全てにどうでもよく、めんどくさがりで、時間にルーズ、、、


そんな息子に何故こんなに友達がいるのか、、不思議だった。


時間に来ない息子に呆れもせずに、家に集まる。


寝ていて電話に出ない息子に呆れもせずに、また家に集まる。


部屋が汚いのに、どうして集まれる?


わたしなら友達として無理だ。


高校時代は、朝起きない息子を起こしにくる友達がいた。


起きないからこれからは先に行って大丈夫だよと言っても毎日、毎日来た友達。


友達が来てくれなければ、卒業できなかっただろう。


友達が来たら、寝起き10分で支度して出て行った早業。


息子とそんなに一緒にいようとしてくれるってどうして?



あらゆる友達がいた。


サッカー部のキャプテンで勉強ができた子もいつも息子のそばにいた。



家では何にも話さず、むしろ反抗の極みだったので、全くの別人のようだった。


とにかくパソコン、ゲームに幼い頃から夢中だった。


家ではそこに制限をかけていたので、そのぶつかり合いも凄まじかった。



友達との間では、息子はわたしには見せない表情をしていた。


後から聞けば、息子は相当に優しく、そして、楽しいヤツだったと。


息子の想像する世界が突拍子もなく笑えると息子の友達が教えてくれた。


ダンスもしていたと。


確かに、動画撮影などしていて、楽しそうだった。


確かに、駐輪場にスズメの死骸がずっとあるから埋めてあげたい、と低学年の時に言ってきたこと。



息子が16歳の時に、妹が誕生した。


  

息子は今さら!?と驚いても関心ないような素振りでいたが、毎日のように沐浴は手伝ってくれた。


してくれるように頼んだというほうが正解。


16歳離れた妹と接点を持って欲しかった。

 

無垢な妹の存在から何か感じてもらいたかった。


それからも色々あり、わたしは出産して間もなくまた心身を崩した。


今は、それが大浄化だったと分かる。


わたしは、何もできなくなった。



それから10年近く経ち、環境は変化した。


息子は成人し、ずっと側で助けてくれた母の死。


母は荒れた息子にずっとしつこいくらい信じてるよと言葉をかけ、手紙を渡していた。


息子にとって、母の存在は大きかったはず。


母が亡くなった時に、母の側で息子と話した。


息子は言った。


『俺はクソみたいな人間だ。だけど、おばあちゃんが俺を信じるから、道を踏み外せないのが一番のやっかいだ。おばあちゃんが俺を信じるから、、、俺には都合が悪い言葉なんだ』

 

と泣いた。


後にも先にも、息子が泣いたのはその時だけ。



引っ越しするタイミングで息子は家を出た。


幼い頃から、パソコン、ゲームに依存し困り果てていたこと。


何かに熱中し、生活に支障をきたすくらいストイックに打ち込んでいたこと。


それが、今は、プロとなった。


素晴らしい作品を描いている。


わたしはその仕事内容も知らない。


息子の世界を知ろうとしてこなかった。


息子の好きなこと、何をしたいのか、どんな苦しみがあったのか、、


産まれた時の無条件な想いから、いつのまにか色眼鏡をかけてしまった。


我流で愛の表現を、支配という形にしてしまった。


家庭の温かさを知らなかったわたしだからこそ、子どもに寄り添える母になれるはずだと思っていた。


大切なのに、想いと現実の歯車が合わない苦しみから目の前の息子の現状をごまかし、全て息子のせいにした。


わたしは懸命にやってきたはずだったから。


はずだった。


ずっと会話がなかった。


いつしか息子の目を見れなくなっていた。


息子の作品の美しさが憎しみからだとしたら、わたしはどうする?


憎しみから愛へと反転した時、どうなるのか。


憎しみはわたしの中の投影だった。


信じることは、相手の心を解かし、自分の心にも響く。



そして、引っ越し作業で出て行った息子の部屋に残されたものは、全て処分してくれとのことだった。


主人がその捨てる箱から、あるものを見つけてきた。


マンガ。


誰が書いたのか?


よくよく見たら、オリジナル作品。


大学生の時に作成したようだった。


売られているような出来映えの作品。


素直に感動した。


ペンネームで、挨拶が書かれていた。


パラパラと見たら、主人公?の名前が、たまたまの偶然なのか、、、


わたしの名前と妹の名前を組み合わせたものだった。


え???


そして、主人が言った。


『ずっとお母さんが心にあるんだよ。やっぱりお母さんなんだよ。』



分かってる。


本当は分かっていた。


わたしへの想いと歳が離れた妹への想い。



わたしは、どれだけ愛情探しをしてきたのだろうか。


どれだけ自分すら信用してこなかったのだろうか。


わたしが掛け続けてきた眼鏡から映る世界は、全て敵だった。



だから、心が壊れた。


壊れてくれた。


そこから、意識の学びの探求をしてきた。


しかし、いまだにどこかスッキリしてなかった。


様々な変化が起きていて自分を許すことができているようでも、息子との関係が引っ掛かっていたから。



今回、懐かしいモノの整理と処分をして、最後に見つけたもの。


息子の作品。


知らなかった。


こんな素晴らしい感性。


こんなに面白い話がかけるのね。 


知らなかった。


その集中力は半端なく、氣が抜けない日々だったんだね。


何にも知らなかった。


母が味方ではないという心境の中で、その緊張感は苦しかったはず。


ごめんね。


そしてありがとう、しかない。


親にさせてくれてありがとう。


『世間体ばかり氣にするお前なんか親じゃねぇ!』


と言われたこと。


たくさんの言葉をくれた。


お母さんは自分を生きてないぞ、というメッセージだった。


本当にありがとう。


親は子どもに生かされている。


心からそう思う。


今度は、お母さんが自分を生きる番だね。


わたしも、父を憎み成長した。


母には執着し、愛を求めてきた。


その歪みが、全ての結果だっただけ。


『ならばどうするのか』、それだけ。


歪みは整えられる。


憎しみを原動力とする世界から、心を込めて落ち着く世界をみたい。


可能性という意識に自信を持つこと。


そこからは、誰のせいでもない、潔く進む世界となる。


これからは真っ直ぐに目を見て話したい。



この全ての体験が、今の在り方となる。


この全ての体験のおかげで、今 生かされている。


引き続き、カラダ開発にも悦んで取り組みます😌



ご縁に感謝いたします💐