白衣です🌺



ありがとうございます。



私があまり人には話していなかった過去を何故表現しようと思ったのか。


自分の過去は職場でも必要なく、子どもを通して知り合ったなら尚更、中心は子どもの話ですし、地域に於いても、自分は抜けてしまうと思います。


それで良い時もある。


しかし、自分の内の違和感を感じながらも、一緒に笑い、話を合わせ、同調すると、それを崩すことは簡単じゃない。



私は父が亡くなってから、父のことを許そうと、母や私、周りの方々にしてきたことを許そうと、理解しようとカウンセリングを受けたり、自分で得た知識を使い、癒し続けてきました。


最期に薄目を開けて微笑んだ父。ずるい。もう憎めない。


死の淵にいながら、孫には酸素マスクから口が出てしまうくらいの笑顔をみせた。


仕事中や電車でも、突然フラッシュバックで、父の微笑んだ最期の表情が沸き起こり、泣き崩れる。


憎しみと罪悪感と、父への恋しさがぐちゃぐちゃでした。



でも、私にはまだ母がいた。私は母がいれば良かったから。母が全てだったから。


母の為に幼少期から生きてきたから。母をいつも楽しく、幸せでいてもらおうと。


一日の始まりは母に電話しよう、母に会おうと始まり、そして、一日の終わりは、明日は母に電話しようと思う。


子どもができたら、執着は子どもと母になったこと。


私がいつも楽しくしてあげる。私が側にいてあげる。私が体調良くしてあげる。私が、私がと。


とにかく、愛する人を失うことだけが恐ろしかった。その幸せな時間が続くように。



息子は、先天性白内障を右目に持って産まれてきた。


私が治さないと、と無我夢中だった。


成長するにつれ、息子は通院も拒んだ。「見えなくなってもどうでもいい。ほっといてくれ」と。


何で?困るでしょ!治さなくちゃ!健康でいてほしいだけなのに、笑っていてほしいだけなのに、何故うまくいかないのか。


息子は荒れ、不登校になり、引きこもった。「お前は親じゃない」と。


しかし、友達がいつも集まり、私には見せない笑顔をしていた。



母にも家族にも、添加物はあまり摂らないで、薬も良くない、身体に良いものを。


母とよくケンカになったのは、食事のこと。


母は、いつもご飯を作っていた。お腹いっぱい食べさせたい。孫にはたくさんご飯を食べさせたい。


うちに来る時も、リュックにおかずを積めてきた。


何でも食べさせたいから、お菓子もあげる。


添加物ばかりのはやめて。お母さんもそんなものを食べないで。と、


そして、母が体調が悪くなり、通院し始めたら、どんどん増えていく薬。どんどん体調が悪くなる母。


そして、また母を治そうと生きてきた。



私はずっとずっと氣が氣じゃなかった。


誰の為に、何をしてきたのか。しまいには、私も心身を崩し、迷惑をかけた。


いいえ、ずっと迷惑かけていた。


自分のことより、他人をどうこうしようとしかしてなかったから。


自分の中の収まらない怒りと執着を目に入るものに、ただただ投影していた。



その間は、父のことはあまり考えなく、もう遠い存在でした。



母が3年前に亡くなり、父と母とでの死の重さは違っていると思っていた。


もう母が絶対的存在になっていくと思っていた。



しかし、ある時から、父の笑顔が度々浮かぶようになりました。


母へは、不思議なことに俯瞰してる感覚。



父の最期の瞬間の笑顔が、父のそのままの姿だとしか思えなくなり、過去はただの経験であると、感情が思い出されなくなりました。


その流れで、母への愛着も、父への恨みも統合され、全てが経験として落ちました。


そこからは、無にしかならない。


穏やかな平和な空間の中で、ただ自分を愛しいと感じる。


それを、ただ見ている何かがいる。在るしかない。



なので、私の自己紹介で書いたものは、もうただの経験事項としてあるだけです。



自分を変えないでいることにメリットがあれば、なかなか変化はしないですが、被害者意識から抜ける決断さえしてしまえば、あとは行動ですね。


行動は小さくて良い。一言変えてみるだけでも。


鏡をみて自分であろう姿をジーとみてみるだけでも。


私は昔から鏡に写る私の姿を誰だとよく思っていた。


自分の容姿すら疑っている。


自分の内の姿と、鏡に写る大人の姿の自分が全く違う。



でも、鏡に写る自分にお疲れさまと声をかけていくと、不思議な感情が起きる。



まず自分を好きになること。。。私はそれをオススメします。清々しさを体感してほしいです。




ご縁に感謝いたします。





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