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かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

 この文章は、2017年10月28日(土)19:00開演の劇団不完全燃焼『人造人間ナマミマンー異端英雄禄ー』についての劇評です。

どこからどこまでが架空の世界なのか。もちろん舞台の上で繰り広げられていたことはすべてフィクションだった。本筋を追いつつも、もしかするとこの劇中劇がいつか本編という名の現実に切り替わる瞬間が来るのではないか。終演までの90分間、心のどこかにそんな淡い期待を持ち続けていた自分がいた。
 
劇団不完全燃焼。この一度聞いたら忘れられない名前の劇団が、石川県金沢市を拠点に活動している。劇団のメンバーは地元の現役高校生と高校演劇のOB、OG。金沢市民芸術村が企画した「かなざわリージョナルシアター」のプログラムとして、この劇団の第5回公演を見た。作品名は『人造人間ナマミマン―異端英雄録―』。脚本・演出は代表の和田和真。
 
会場である市民芸術村内のドラマ工房PIT2に入ると、ロックやゲームの戦闘シーンのような電子音楽などのアップテンポなBGMの中で、若いスタッフが元気に、そして丁寧に客入れをしていた。スタッフが、この劇団がとても張り切っている感じがした。観劇の注意事項を伝える前説の男性は、言い忘れがあったのか再登場するなど、初々しく、微笑ましかった。舞台は緞帳なし、袖に黒い幕があるのみ。舞台上数か所にわたって黒い平台で作った低い段差があるが、セットのない素舞台。客席は5段ほどに組み立てられていた。
 
タイトルのナマミマン(北本開人)とは、かつてある大企業によって作られたものの、その企業と敵対することとなった一人の人造人間である。ナノマシンによって生命が維持されることを除いては、見た目も身体能力も生身の人間と変わらない。敵に狙われるナマミマンの唯一の仲間は、同じ企業で作られた人造人間の女の子フタバ(笠間文菜)。ある日人間の女の子、灯(あかり、キャストは増田奈菜子)とナマミマンとが出会い、灯は人造人間たちの戦いに巻き込まれてゆく。ナマミマンと敵との戦いを軸に、アンドロイドと人間との交流、人造人間の苦悩、正義などが描かれていた。戦いのシーンで見せる殺陣やアクション、萌えキャラの女の子、敵グループのコミカルな一面などを織り交ぜ、観客を楽しませる工夫がなされていた。
 
観劇中自分の中に「いつか本編へ」という期待があったのは、物語の設定や登場人物のキャラクター、セリフ、演出など、作中いたるところで既視感を覚えたためだった。主人公ナマミマンが片足に重心を置き正面を向いて、ポージングしながらヒーロー風にカッコよく決めゼリフを言う所作。お団子付きツインテールのヘアスタイルに、ピンク系ワンピースを着てポシェットをぶら下げたフタバは、ぶりっ子キャラと素のキャラを使い分ける。黒い服に身を包んだ敵ルーニー(能沢秀矢)は、舞台正面にひざまづいて低い声だけで表現されるボスと会話をする。使用されていた音楽の雰囲気も手伝って、どこかで見たアニメやゲームのSFヒーローものの世界が、セットなしの素舞台で繰り広げられていた。
 
演技のリアリティに関しても、例えば真剣に戦っているシーンがある一方で、本気で走るべきところが不自然なほどゆるいランンニングになっている場面があり、見ている方としては拍子抜けした。ここでも、デフォルメ気味の演技やゆるい演技で”あるある設定”を演じる劇中劇が想起させられたのだった。
 
私が演劇を見ることの楽しみの一つは、現実を忘れて舞台上の出来事に夢中になることだ。劇中劇ではなく、劇団不完全燃焼の世界に引き込まれるような舞台が見たい。
この文章は、2017年11月4日(土)19:00開演の表現集団tone!tone!tone!『ダブリンの鐘つきカビ人間』についての劇評です。

 物語は悲劇だった。他者の幸せを願った男女は、幸せになれずに死んだ。
 表現集団tone!tone!tone!による『ダブリンの鐘つきカビ人間』(作・後藤ひろひと 演出・滝川慎哉)は、自己犠牲の美しさを描いた物語か。いや、他者を思う純粋な心の美しさを描いた物語だ。

 霧の酷い日、聡(四方直樹)と真奈美(増田美穂)は男性(宮下将稔)の家に泊めてもらうことになった。真奈美が霧の中で聴いた歌を、男性は知っているという。それはかつて、違う詞で歌われていた。男性は、過去この場所で起きた出来事を語り始める。

 その土地では奇妙な病気が流行していた。天使の羽根が生えた者(越場由貴)、背中に柿が生えた者(山中良一)、目玉が飛び出た者(西島秀樹)、膝が痛む者(舘智恵)等々。人によって病気の症状は様々。偶然その市に滞在し罹患した王(坂本好信)は侍従長(畠中隆之)と共にお触れを出す。伝説の剣を探すのだと。その剣が1000人を切った時、奇跡が起こるのだという。その剣を、なぜかこの世界に旅人として紛れ込んだ、真奈美と聡が探しに行くことになる。
 病気にまで税をかけようという企みのある市長(宮下将稔)は、市民の病気を治されては困る。神父(甲斐朋之)と結託し、戦士(上田真大)に真奈美たちを追わせるのだ。
 戦士の婚約者、おさえ(宮崎裕香)は、言いたいことと反対のことを言ってしまう病気にかかっていた。外見がカビに冒されていくカビ人間(江崎裕介)は、自分を褒める言葉を喋ったおさえが気になりだす。心は美しいカビ人間に、おさえは惹かれていくが、おさえの口からは、気持ちと反対の罵倒の言葉しか出ない。二人の距離が近づくのを、おさえの父(北村真年)は見守る。
 やがて真奈美と聡、そして戦士は、剣を手に入れ市へ戻る。その頃市長と神父は、ある目的のためにカビ人間を陥れようとしていた。噂好きな天使の歌に乗って、人々にカビ人間を憎む気持ちが広がっていく。

 舞台装置はレンガ造りの建物を模している。中央には椅子の3脚置かれた部屋と、開閉する両開きの扉が付いた出入口がある。上手にある階段はテラスに上れるようになっている。下手にある階段を上った先には、紐が垂れている。それは市の鐘を鳴らす紐だ。
 声優やナレーターを養成する学校の、メンバーやOBである役者達だけあって、皆、声が通る。年齢や外見など様々なタイプの役者達が多数登場したことは、この劇を楽しくした要素の一つである。
 衣装や小道具の準備が行き届いていた点も大事な要素の一つだ。劇中に登場する小道具は全て用意されていた。また、一部が光るなど工夫がされた道具もあり、物語において重要な役割を果たしていた。
 照明や音響も的確で、長時間の舞台を、安心して観られた。2時間半近くあった上演だったが、原作はさらに長かったそうだ。原作から削った部分があっただろうが、物語は特に破綻なく追えた。

 気持ちと反対の言葉が出てしまうおさえの苦しみが、その叫びから伝わってきた。止めねばと思うのに溢れてしまう思い。それがさらに状況を悪化させてしまう。言いたいことが言えないで、言いたくないことが言えてしまう。本当のことが言えないで、事実とは異なることがまかり通ってしまう。それは今の現実世界と、奇妙に結びつく。
 自分が悪者にされると知りながら、それでも皆のために、街の鐘をつきに行こうとするカビ人間。純粋で真っ直ぐな心を持つおさえとカビ人間の幸せを願うが、それは叶わない。せめて、彼らが願った幸せが続くことを願いたいのだが、それすら叶わない。
 この物語はやはり悲劇だ。心の美しさが報われることはない。奇跡はあるかもしれないが、奇跡を起こす者に、心の醜い者が選ばれてしまうこともある。そこからは無情の世界が広がっていく。そんな世界のただ中でも、あなたは純粋さを貫く彼らを、理想とすることができるか? そう、この物語に問われている。
この文章は、2017年10月28日(土)19:00開演の劇団不完全燃焼『人造人間ナマミマンー異端英雄禄ー』についての劇評です。


 シリアスなシーンなはずなのに、緊迫した空気が伝わってこないのはなぜだろう。
 
どこか昭和を感じるロック調の音楽、キレのよい殺陣とゲームのような効果音、そして慌ただしいステージライト。劇団不完全燃焼がみせたオリジナルの脚本『人造人間ナマミマン−異端英雄禄−』(作・演出、和田和真)は、若さと懐かしさがアンバランスに混ざった舞台だと感じた。

 劇団不完全燃焼は“高校演劇の枠を超えた高校演劇”をコンセプトに、石川県内の高校生が主体となって結成した劇団である。10代後半〜20代前半の高校演劇のOB・OGも交え金沢市内を中心に活動している。

 人造人間ナマミマン(北本開人)は普通の人間とほとんど同じ能力しか持たず、“ナマミ”と変わらない身体だが、人造人間製造会社に製造され、生きている。同じく人造人間のフタバ(笠間文菜)とともに、新世代人造人間として製造された敵の幹部ルーニー(能沢秀矢)等を相手に戦いながら、ヒーローを自称している。そこに、人間の女性である灯(あかり・増田奈菜子)は巻き込まれるが、人造人間と交流を重ねていくうちに、ヒーローとして敵と戦うナマミマンに興味を持っていく。
 しかし、ある日、灯はそんなナマミマンが敵を殺す(破壊する)姿を目にし、不信感を覚える。さらに、仲間であるはずのフタバがナマミマンを裏切り、敵であるルーニーの味方になる。が、最終的にはフタバはナマミマンのことを裏切りきれずに、ルーニーに拳銃を向ける。そこには、人造人間が生き続けるために、ナノマシンという同じ人造人間を殺すことで手に入るものが必要であるから、という事情があった。

 舞台で繰り広げられる、勢いあるアクションと、若い熱気のあるドラマとは対照的に、観客の私には冷ややかな空気が流れた。役者から発せられるセリフは本当にそう思っている?と聞きたくなってしまうくらい真意を感じない言葉で、言動に思慮が足りなく、すーっと通り過ぎてしまう印象を受けた。なぜだろう。役者のセリフと口調、言い回しからはどこかで聞いたことがある映画やアニメを想像したのかもしれない。次々と変わるストーリーの場面に、少々追いつけていなかったこともある。また、音楽の使い方、ライトの当て方の荒々しさも影響したのかもしれない。
 だが、何よりも、“人間と人造人間”、”正義と悪”、”変わるもの変わらないもの”、”命”といった大切で、そして大きな問題を十分に活かしきれなかったことが大きい。劇団不完全燃焼が考える、それらの明確な「問い」も効果的な「答え」も提示されていなかったように感じ、私は受けとることができなかった。
 
 何かを「表現する」ということは、そこには表現者の思想や意志がカタチとして示されていることであり、平たく言えば伝わってこそ成立すると思う。伝えるために――それが叶わないまでも、少なくとも自分の発したものの前に立ち止まってもらうために、発信者たろうとする者はみな必死で格闘する。受容する側は気まぐれである場合もあり、虫の居所が悪いと伝わるものも伝わらない。が、そんな時でさえ、一瞬の、おやっ、ほおぉ、ドキッを創り出せないものかと、発信者たちは試行をくり返して欲しい。言い訳は無用であり、言い訳をしたら、そこで負けとなってしまう。
 
 しかし、私が感じた印象は、彼ら劇団不完全燃焼の若さゆえの曖昧さなのかもしれない。演劇に対する熱い想いを燃料に、多くの経験を積み、深みのある表現となったならば、彼らの舞台はみる人の心に火をつけ“完全燃焼”をするのではないだろうか。



この文章は、2017年10月28日(土)19:00開演の劇団不完全燃焼『人造人間ナマミマン-異端英雄禄-』についての劇評です。



かなざわリージョナルシアター『人造人間ナマミマン-異端英雄禄-』
http://www.artvillage.gr.jp/event/3863



 幼い頃、誰しも経験があるだろう。ヒーローごっこの経験だ。決めポーズを真似、決めゼリフを唱えると、自分が同じ存在になったような、力がみなぎるような気分になったものだ。そして、その経験を卒業してもなお、憧れの存在は胸に残っているのだろう。
 『人造人間ナマミマン-異端英雄禄-』は“高校演劇の枠を超えた高校演劇”をコンセプトにした劇団不完全燃焼による演目である。ダークジェネラル率いる悪の組織に立ち向かう正義に生きる人造人間ナマミマン(北本開人)。悪の組織の人造人間ルーニー(能沢秀矢)との戦いの中、何故か巻き込まれた一般人の女の子・灯(あかり)(増田奈菜子)や、相棒の人造人間フタバ(笠間文菜)と力を合わせ、悪の組織を倒す物語である。
 大がかりな舞台装置はなく、六分割された床が軽く段差になったシンプルな舞台セット。役者は主に4人。彼らは石川県内の高校生、あるいは最近の卒業生で、一人一人から演劇に対する熱意を感じた。感じたのだが、その熱は上手くこちらに着火されず、不本意ながらも劇団名と同じく不完全燃焼に終わってしまった。
 目の前で演じられている役が、役者のものではないように見えた。まるで役者が“自分”でその役を演じずに、別の誰か、それは“役者が過去に憧れた誰か”を模しているように見えた。それは尊敬する俳優の演じた役かもしれないし、大好きなアニメのキャラクターかもしれない。だが、その模範主たちはオンリーワンであって、他の誰にも真似ができない独自の魅力を持っていたのではないだろうか。
 作家・演出の和田和真には、伝えたい正義をいっぱいに詰め込んで作品を仕上げた印象を受けた。ただ、それが和田から生まれたものであっただろうか。和田にしかつくれないものであっただろうか。なぜなら、その詰め込んだものが、“和田が影響を受けた物語や名言”に思えたからだ。まるで『週刊少年ジャンプ』作品をお手本にしたような設定やセリフの連続に、こちらは既視感を増すしかなかった。
「あなたたちの伝えたい正義は何なのか!」
 目の前で繰り広げられている光景こそが“敵”に見えた。彼らを乗っ取ってしまった“憧れの模範主”こそが、“彼らの正義を脅かしているのもの”ではないだろうか。彼らが真に立ち向かうべきものは、“彼らが愛したヒーロー”ではないだろうか。
 そして、彼らがその背中を超えたとき、“枠を超える”ことができるのではないか。他の誰のものでもない“劇団不完全燃焼の正義”を伝えることができるのではないか。その熱がこちらの心を着火させ、完全燃焼させてくれるのを心待ちにしようと思う。



◎金沢リージョナルシアター2017
http://www.artvillage.gr.jp/event/3749

◎劇団不完全燃焼ホームページ
https://www.fukanen1004.com/jounal

◎劇団不完全燃焼 稽古場日誌
https://ameblo.jp/fukanen1004/
【この文章は、2017年10月28日(土)19:00開演の劇団不完全燃焼『人造人間ナマミマンー異端英雄禄ー』についての劇評です。】


タイトルを見てちょっと観てみたいと言ったのは、ヒーローものが大好きな友人だった。
あ、これ、ヒーローもの的なタイトルだったのかと、彼女の言葉で気づいた。
そんな彼女がこの舞台を観ていたら何を思っただろう。聞いてみたい気がする。

『人造人間ナマミマン-異端英雄禄-』のセットは床に僅かな段差があるだけの全面黒一色のものだった。そんな無機質な空間に拳銃を持ったヒーローと、長い剣を持った悪役の男が現れた。
悪役の男は女性を人質にしていた。ヒーローの目の前で女性は剣に刺されて息絶える。
このヒーローは人造人間であり「ナマミマン」と呼ばれていた。製薬会社の実験室で生まれたナマミマンは100メートルを12秒で走り、ジャンプ力はハードル一つ分という、普通の人間と変わらない能力しか持たない残念なヒーローだった。
なのに何故か悪の組織と戦うのだ。相手は自分を造った製薬会社。製薬会社は売上を上げるため自社の製品のみが効く病原菌を拡散しようとしていた。それを阻止するナマミマン。製薬会社は彼を抹殺するべく刺客を送る。刺客との戦闘でナマミマンは灯(あかり)と出会い、彼女を助けたつもりが逆に助けられ(人間と同じ能力しかないので怪我をした)、自分たちの活動拠点に灯を案内する羽目になった。
なぜか灯は無理やりナマミマンたちと行動を共にすることになる。灯がしつこく詮索すると、もともと製造番号しか与えられていなかった彼に「ナマミマン」と名づけたのは冒頭に悪役に剣で殺された「燈子(とうこ)」と言う女性であることがわかった。

友人が興味を示したとおり、これはヒーローものだった。ヒーローなのに弱いと言うのも珍しくない設定である。
悪のボスはほぼ声だけの出演だった。台詞が少し軽めで、最近のヒーローものでもよくあるお茶目な悪役というスタイル。お茶目さを出すためか、台詞に繰り返しが多い。「ルーーーーニーーーー」と言う呼び声は何度聞いたかわからない。名前を連呼しやっとやってきたルーニーに「なかなか出てこないと不安になるじゃないか」と言う台詞は3回ほど聞いた。
そしてナマミマンのそばには常に何人かの女の子がいた。一人はアニメ風の可愛らしい女の子フタバ。彼女はナマミマンよりずっと後に製造された人造人間で(ナマミマンは1期、フタバは14期)、人間に対して強い敵対心を持つ。
途中で行動を共にすることになった灯は活発で怖いもの知らずの女の子。同じく冒頭で死んでしまった燈子も活発で怖いもの知らずで、二人ともナマミマンに対してとてもおせっかい焼きだった。物語のラスト近くに灯は燈子の娘であることが明かされる。

登場人物のキャラクターや関係性において「ナマミマン」はヒーローもののセオリーを確実に押さえている。台詞もヒーローあるある的な台詞を連発していた。みんな心の中に何かを抱えていたり葛藤したりしているようだったが、どこかで聞いたことのある台詞が多く、その心情の深い部分が伝わってこなかった。
登場人物のバックボーンが、物語がかなり進んだ後に明かされたり、匂わすだけに留めたりしたことも心情をわかりづらくした理由の一つだったかもしれない。
ただ、この俳優たちを見ているのはとても楽しかった。キャストの声が全体的にとても良くて言葉もクリアだったので心地よく聴くことができた。結構な量の台詞があったが言葉が不明瞭なところはほとんどなかった。殺陣はあまり詳しくないがカッコいいと思ったし、彼らの表情は生き生きしていた。とても楽しそうに芝居をしていた。
赤のジャケットを着ているナマミマンは髪が短くちょっとさわやかで、今放送されている宇宙戦隊キュウレンジャーのレッドに雰囲気が似ている。彼は他の人造人間からナノマシンを取り出して自分の体内に入れないと生きながらえない身体だった。
悪の幹部ルーニーは長身かつクールなイケメン風で、何年か前のヒーローものの悪役を思い起こさせた。彼は人造人間製造の1期目に1体だけ造られたナマミマンの持つ人間らしさを欲していて、製薬会社を裏切る準備を進める。
私にとってストーリーを味わうことは難しい作品だったが、この俳優たちはまた観てみたいと思った。