かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ -26ページ目

かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

 この文章は、2018年11月17日(土)17:00開演の星稜高校演劇部『Our history』についての劇評です。

  星稜高校演劇部による『Our History』(作•演出/星稜高校演劇部)を見た。これは石川県金沢市にある星稜高校演劇部員が、自分たちの学校史を題材に作った物語だった。話は、ある私立高校の女子学生(嶋崎未咲)が家出をして、放課後の自分の学校に現れるシーンから始まった。彼女は母親に「夢がないから、公立学校に落ちて私立に通うことになった」と言われたことに怒り、家出したのだった。そこに警備員(新田龍一)が現れ、さらに謎のおばあさん(宮本優奈)がやってきて、この学校の設立時の物語を語り始める。舞台セットが寺子屋風の場面に転換し、女子高生の通う高校の前身となった簿記学校が設立した時代に遡る。不景気の中、商業の学べる学校をという志の元に設立されたこの学校は、校長(宮森常矢)の自宅の一部で始まり、校長自らが教鞭を執っていた。当時まだ珍しい共学の学校で繰り広げられる、教師と生徒たちの日常が、生徒の学問への思いとともに描かれてゆく。そこに戦争が影を落とし始め、学徒動員が始まり、男子学生のいる学校は工業高校にするようにと通達が出る。校長は断腸の思いで一時的に簿記学校を女学校にすると決断する。場面は現代に戻り、設立者の思いや、当時の学生たちの熱意に感化され、この高校のOBである警備員が、自分たちは先輩たちから夢のバトンを受け継いでいると熱くなる。母親の言葉に傷ついていた女子高生も、前向きな気持ちになる。ラストは再び過去のシーンへ。戦争が終わり、簿記学校が共学の学校として再開、校長はそれを知らせる張り紙を貼っていた。そこに男子学生たちが戻ってきたところで舞台は幕を閉じる。
 
 大正、昭和初期の田舎の学生の素朴な雰囲気が、現代の同世代の演劇部員たちの飾らない演技によってうまく表現されていた。女学生を物珍しそうに見る男子学生たち、噂に聞く修学旅行に自分たちも行ってみたいと提案する女学生など、現代の高校生にはない感覚がコミカルに脚本に取り入れられていた。また、授業中に学校の奥から先生の子どもの泣き声が聞こえて来たり、少ない人数の学生たちが和気あいあいとやりとりする様子から、生徒と学校や教師、生徒同士の心の距離感が現代の高校生よりも近い、家族のような関係性であった。登場人物に対して見る者が親しみの持ちやすい人物や人間関係の描かれ方がなされ、観客は生徒や教師に感情移入しやすかった。そのため、戦中、簿記学校を女子校にすると聞かされたときの生徒たちの悲しみや怒り、学校が再開したときの喜びなど、作品に入り込みやすいシナリオ作りがなされていた。

 過去の場面は、笑いあり涙ありのエンターテイメントとして楽しめた。現代の場面は、冒頭部分で家出をしてきた女子高生が、学校の歴史話を聞いてあっさりと前向きになるという流れで、過去の部分に比べて、薄っぺらい印象があった。また、そもそもは女子高生の親の心ない一言がよくなかっただけで、女子高生には何も非がなかったと思う。それを、彼女の気持ちが変わることで物語がなんとなくきれいにまとまめられた感じがあり、違和感を覚えた。過去の場面同様に、現代の場面の物語も面白いと思える部分がほしかった。
この文章は、2018年11月10日(土)19:00開演の劇団あえない『あえなく夢中』についての劇評です。

「ずっと一緒だよ」「ずっと忘れないから」―。根拠のない「ずっと」を口にするのを躊躇するようになったのは、いつからだろう。子供から大人になると、相手以上に自分自身の未来の不確かさから、純粋な約束は難しくなっていく。現役の金沢大学生らによる『あえなく夢中』(演出・大橋茉歩)は、そんな苦い成長の季節を描いた作品だった。
 クリスマスをモチーフとした遊園地「ノエルランド」では、来場者向けのショーが毎日何度も上演されている。マリーとベルという少女2人が、願い事が叶う「魔法のツリー」を探す冒険物語だ。マリー役のダブルキャストである25歳の古野ひかり(大橋茉歩)と柏木杏子(荒井優弥花)は女性同士の恋人関係にあり、同棲している。ベル役の山地亜美(小嶋菜桜)やサンタクロース役の新田裕弥(清水康平)にも周知の関係だ。しかし、杏子はショー責任者の篠塚亮介(近江亮哉)に言い寄られても拒絶せず曖昧な態度を取っており、それが許せないひかりは杏子とケンカを繰り返している。さらに、ひかりの元には嫌がらせの手紙や電話(「お前は杏子の劣化コピーだ」と降板を迫る内容)が続いており、不眠症気味になっていることをランド医務室の保健師・小森一樹(能沢秀矢)にだけ相談している。
そんなある日、ひかりは楽屋で地味な清掃員の倉沢春子(藤井楓恋)が勝手に自分の衣装を着て、マリーになりきっている場面に出くわす。ひかりが咎めると、倉沢は実はひかりの熱狂的ファンであることを告白し、楽屋に仕掛けていた盗聴器からひかりの苦境を理解していると言い募る。そして、「現実をどう認識するかは自分次第」「現実逃避できる」と、自分と同じ妄想の世界に誘い込むのだった。
 外側からひかりの日常を揺さぶったのが嫌がらせの数々だとしたら(実は犯人は篠塚であったことが終盤で観客には明かされる)、ひかりの精神内部から蝕み、崩壊のきっかけとなったのが倉沢の存在だ。この場面以外ほとんどセリフもないが、張り付いた笑顔でねっとり話す藤井の演技は強烈な印象を残した。
物語前半は少し冗長で、ひかりが現実逃避したいと考えるほどの苦悩も伝わってこなかったが、中盤から一転して目が離せなくなった。舞台セットの使い方が面白い。劇場の奥を1.5メートルほど高くしてショーの舞台に見立てているのだが(手前側では楽屋や、同棲している部屋のシーンが演じられる)、中盤からはひかりが感情を爆発させる妄想がショーの舞台で演じられたり、逆にショーの人物が手前に出てきたりして、精神の混乱を視覚的に伝える。
 ひかりはショーではマリーとしてベルに、現実では杏子に「ずっと一緒にいよう」と何度も何度も口にしてきたことで、言葉の力を過信して杏子と向き合うことを避けていた。クライマックスのショーの中でそのことに気づくが、時すでに遅く、家族を求めていた杏子は男である篠塚と結婚という「確かな形」を選び、子供も宿していた。最後にマリー=ひかりは願いが叶う「魔法のツリー」を壊す。現実から目をそらし、不確かな約束や妄想に逃避していた自分との決別の象徴だろう。それは確かに成長なのだが少し切ない。サンタの存在を信じている子供がまぶしく見えるように、壊れやすい関係を必死に守ろうとしていたひかりに、私自身の失った過去の姿を重ねていたからかもしれない。

この文章は、2018年11月24日(土)19:00開演の劇団羅針盤『空ニ浮カブ星ノ名ハ三日月』についての劇評です。

 刑務所から出所した一松(平田知大)は、彼を待っていた弟分の三郎(能沢秀矢)に連れられて、ヤクザ、五条組の事務所に戻る。しかしそこはオカマバーとなっていた。組の跡取りである五条透子(矢澤あずな)は一松に、普通の生活を探せと言う。しかし一松は透子を放ってはおけない。そこに刑事の二階堂玲子(山本里央)や自称マフィアの権堂組が絡み合い、透子が置かれている状況がわかっていく。物語の鍵になるのは「赤いシャブ」と呼ばれる覚醒剤の一種。それは、透子の母を苦しめていた物でもあった。

 劇団羅針盤『空ニ浮カブ星ノ名ハ三日月』(作・演出:平田知大)は、任侠の世界をスピード感あふれるアクションで描いた芝居だった。しかし、あらすじを掴むことが大変な芝居だった。その理由としては大きく三つある。まず、4人の俳優で20人以上を演じていること。とにかく、せりふや動きのテンポが速いこと。さらに、シーンが次々移り変わり、時系列も前後することが挙げられる。
 このようなハイスピード舞台は、劇団羅針盤の定番であり、特徴ではあるが弱点でもある。たった4人で何役をも表現しながら、高速で舞台を展開させ、途中に殺陣もある。それをやり遂げる役者陣の体力に感心する。演じる側にかなりの負荷がかかっていることは明らかであるが、観る側にも、物語を追い掛けようとすると相当な負担が掛かってしまうのだ。

 劇団羅針盤は、子ども向けの芝居の上演も行っている。その公演では、小さな子ども達にも理解できるような、わかりやすい表現がなされていた。つまりは、速度を緩めて観客の理解を得やすくすることも、彼らにはできるのである。その上で、この速度と情報量の表現をあえて選ぶのはなぜか。この形で表現することが物語にふさわしいと考えられているからではないか。何がなんだかわからないくらいに錯綜し迷走し絡み合う情報の中、たったひとつ描きたいものだけを、とびきり輝かせてみせたいのではないか。

 透子の母は赤いシャブに依存し、薬の作用で殺人を犯すようになり、透子を殺そうとした。透子を守るため、一松は透子の母を殺した。自分を殺してくれと、敬愛する姐さんが願ったことである。透子の母の思いを叶えようした情と、残された透子を守りたいと思う情。母と娘、二代にわたる女性への思慕。自分を置いてくれた組への義理人情。世間からはみ出しても己の世界で生き抜こうとする姿、古くさいと言われてしまいそうな、真っ直ぐ過ぎる思い。それが、描きたかったテーマであろう。これを伝えたいという心意気は伝わる。殺陣を使った見せ場を盛り上げたいという勢いも感じる。

 それだけに、惜しい気持ちになるのだ。少しだけ、今、劇団羅針盤が使っている「型」を疑ってみてもいいのではないだろうか。外側の型に変化があったとして、変えてはいけない内なる思いは、そう簡単には揺るがないのではないか。


(以下は更新前の文章です)


 刑務所から出所した一松(平田知大)は、彼を待っていた弟分の三郎(能沢秀矢)に連れられて、ヤクザ、五条組の事務所に戻る。しかしそこはオカマバーとなっていた。組の跡取りである五条透子(矢澤あずな)は一松に、普通の生活を探せと言う。しかし一松は透子を放ってはおけない。そこに刑事の二階堂玲子(山本里央)や自称マフィアの権堂組が絡み合い、透子が置かれている状況がわかっていく。物語の鍵になるのは「赤いシャブ」と呼ばれる覚醒剤の一種。それは、透子の母をも苦しめていた物だった。

 劇団羅針盤『空ニ浮カブ星ノ名ハ三日月』(作・演出:平田知大)は、上記のあらすじを掴むことが大変な芝居であった。その理由としては大きく三つある。まず、4人の俳優で20人以上を演じていること。とにかく、せりふや動きのテンポが速いこと。そして、シーンが次々移り変わり、時系列も前後することが挙げられる。
 このハイスピード舞台は、劇団羅針盤の定番であり、特徴ではあるが弱点でもある。たった4人で何役をも表現しながら、高速で舞台を展開させ、途中に殺陣もある。それをやり遂げる役者陣の体力に感心する。演じる側にかなりの負荷がかかっていることは明らかであるが、観る側にも、物語を追い掛けようとすると相当な負担が掛かってしまうのだ。

 劇団羅針盤は、子ども向けの芝居の上演も行っている。その公演では、小さな子ども達にも理解できるような、ハイスピードではなく、わかりやすい表現がなされていた。つまりは、速度を緩めて観客の理解を得やすくすることも、彼らにはできるのである。その上で、この速度と情報量の表現をあえて選ぶのはなぜか。この形で表現することが物語にふさわしいと考えられているからではないか。なにがなんだかわからないくらいに錯綜し迷走し絡み合う情報の中、たったひとつ描きたいものだけを、とびきり輝かせてみせたいのではないか。

 透子の母は赤いシャブに依存し、薬の作用で透子を殺そうとした。透子を守るため、一松は透子の母を殺した。自分を殺してくれと、敬愛する組の母が一松に願ったことである。透子の母の思いを叶えるのも情であり、残された透子を守りたいと思うのも情だ。母と娘、二代にわたる女性への恋慕の情。自分を置いてくれた組への義理人情。世間からはみ出しても己の世界で生き抜こうとする姿、古くさいと言われてしまいそうな、真っ直ぐ過ぎる思い。それが、描きたかったテーマであろう。これを伝えたいという心意気は伝わる。殺陣を使った見せ場を盛り上げたいという勢いも感じる。

 それだけに、惜しい気持ちになるのだ。観客におもねろというわけではない。ただ少しだけ、今、劇団羅針盤が使っている「型」を疑ってみてもいいのではないだろうか。外側の型に変化があったとして、変えてはいけない内なる思いは、そう簡単には揺るがないのではないか。
この文章は、2018年11月10日(土)19:00開演の劇団あえない『あえなく夢中』についての劇評です。


妄想することは現実逃避となるのだろうか。
ひかり(大橋茉歩)はテーマパーク「ノエルランド」で上演されている舞台作品の主役だった。Wキャストで同じく主役を演じる杏子(荒井優弥花)とは恋人同士だ。ひかりは主に閑散期に、杏子は繁忙期にシフトが組まれていて、Wキャストでありながら扱いに差があった。ひかりは繁忙期にマリーを演じることに憧れを持っていた。またひかりは何者かから嫌がらせを受けていた。その嫌がらせがエスカレートしてきた頃、掃除係の倉沢(藤井楓恋)はつらい時には「妄想」するといいとひかりに教える。
 「現実」と「妄想の世界」を、ひかりは渡り歩いていた。劇中の舞台作品も絡んでくるので、どこまでが妄想でどこまでがそうでないのか、見ている私には区別がつかない。もしかするとひかりも区別が付いていないのかもしれない。医務室の小森(能沢秀夫)は嫌がらせを受けていたひかりの相談をずっと受けていた。彼は倉沢に言うのだ。「彼女は現実をちゃんと生きていた。妄想なんて必要なかった」と。
 倉沢の妄想とひかりの妄想はどこか違う気がする。倉沢の妄想は実社会を生きるために必要なガス抜きのようなものではなかっただろうか。ひかりはシフトに対する不満や実現しない憧れ、そして嫌がらせによる辛さを教えられたとおり妄想で回避しているつもりだったかもしれない。だが、目を逸らして回避したのは一部分ではなかった。つらくても現実を生きることができるひかりは妄想をうまく扱えなかったのではないだろうか。現実全体から目を逸らしていたことは杏子のセリフからわかる。やっと私を見てくれたと杏子がひかりに言ったのは、篠塚(近江亮哉)が杏子は自分の子どもを妊娠したとみんなに知らせた時だ。
杏子はトラウマを持っていた。父親から血が出るほど暴行を受けていたことを雨の日には思い出すのだ。そういうときに杏子のそばにいたのはひかりだった。だが妄想から現実を見なくなったひかりは杏子の辛さに寄り添えない。杏子にはトラウマから助けてくれる人が必要だった。それが篠塚だったのだろう。
篠塚と杏子が妊娠を報告するシーンで少し違和感を感じた。妊娠の報告について杏子は一言も発しないのだ。杏子は篠塚の少し後ろに控えめに立っていて、言葉はすべて篠塚から発せられた。ここに、それまで特に感じなかった「男らしさ」「女らしさ」が意識して表現されていたように思う。この作品は女性同士の恋愛という設定にしたことで、男女の恋愛にあるジェンダー的なバイヤスがなくなった。杏子がパートナーに何を求めていたか、ひかりは求めていたものをなぜ失ったかが分かりやすく伝わってきたのはよかったと思う。
この文章は、2018年11月17日(土)18:30開演の北陸学院高校演劇部『修学旅行』についての劇評です。

修学旅行で沖縄を訪れた高校生たちが宿泊している旅館。消灯の確認に回って来た社会科教師・アキラ先生(松田匠平)からひめゆりの塔の感想を聞かれた生徒会長のノミヤ(荒井莉子)は、「私たちと同じ年頃の少女たちが戦場で死んでいったわけじゃないですか。私、泣いちゃって。人ごとじゃない。平和を守って行くのは私たちなんだって思いました」などと如才なく答える。先生は我が意を得たりと興奮し、その話を報告された校長先生も「うちの生徒は立派だ」と感動したという。そんな風に大人たちが右往左往する姿をほくそ笑みながら眺めているノミヤには、少女の小悪魔的な魅力を感じさせられた。11月17、18日に金沢市民芸術村PIT2ドラマ工房で上演された北陸学院高校演劇部『修学旅行』(作:畑澤聖悟、演出:井口時次郎)は、等身大の女子高校生たちによるドタバタ喜劇としてとても面白かった。見終わってすぐは沖縄の現実を直視しない生徒たちにイライラしたが、しばらく経ってまさにそうした他人事のような感覚をこそ作者は描いていたのだと気付いた。そして、生徒たちの姿は、沖縄県が払わされている犠牲を口先では気の毒がりながら、基地問題を解決するための行動は何もしないという、まさに本土の日本人が示す二面性とピタリ重なった。したがって今回の上演は作者の意図を十分に汲んだものだと考え直した。

旅館ではノミヤをはじめ、班長を務めるヒカル(角田明優実)、新体操部の部長・シャトミ(岡中杏珠)、マン研のチアキ(横山心愛)、ソフトボール部のカキザキ(小杉恵生)の5人が同室だ。ヒカルの発案により、同級生の男子で誰が好きかを匿名で紙に書いて発表することになったが、五人ともカイト(葛谷康介)と書いたことから、微妙な空気が漂う。特にノミヤとシャトミが女同士で火花を散らすシーンは見応えがあった。また、カキザキは試合を3日後に控えており、部屋でも素振りに余念がない。布団が隣のノミヤはいつバットが飛んで来るかとビクビクしている。とうとうノミヤは怒って自分の布団を隅に寄せ、ここからは自分の領土だから入るなと宣言。必死になだめるヒカルに対し、許してほしかったらカイトをここに連れて来てと要求。友人のクスミ(小西央)に背負われて3階の窓から入って来たカイトはヒカルを好きだと勘違いされたことから、5人の間で積もり積もった嫉妬や怒りをぶつけ合う激しい枕投げが繰り広げられる。

とにかくノミヤ役を演じた荒井莉子が上手かった。自分が喋っていない時でも役になり切っているので、目が離せない。先生が来そうな時は面倒臭そうに口角を上げる練習。カイトが来ると聞けば、シャトミと一緒に思わず鏡を取り出して髪形を直し始める。冒頭に書いたひめゆりの塔に関する感想でも、本当は何の興味もないくせに、こう言えば大人が喜ぶだろうという勘所をしっかりと押さえた、嫌味な優等生的キャラクターを巧みに表現していた。

戯曲は2005年夏の高校演劇全国大会で青森中央高校に最優秀賞をもたらした名作だ。背景には2003年から始まったイラク戦争があった。劇の前半でヒカルが「イラクに派遣されてる米軍の兵士の三分の一は沖縄県内の基地から出撃してる」と情報提供していた通り、弱者を痛めつけるための踏み台として同じ弱者が利用された。そして、イラクと沖縄のつながりに対し、世間話程度の興味しか示さない生徒たち。枕投げの罰として正座させられた5人は、暇つぶしで順番に世界中の国の名前を挙げていくゲームを行う。誰かが「イラク」と言った後、やや長い間が生じる。彼女たちにとってそれは単なる国名に過ぎない。しかし、間の後で行われる「…私たち、これからどうしよう?」「大丈夫。明日があるよ」といったやり取りは、これから朝までずっと正座させられるかもしれない彼女たちの恐れと同時に、イラクや沖縄の先行きを忍耐強く見つめる作者の心情をも代弁しているように感じられた。

《以下は更新する前の文章です。》

「面白かったが沖縄の問題に届かず」

修学旅行で沖縄を訪れた高校生たち。宿泊先の旅館が舞台となる。消灯の確認に回って来た社会科教師・アキラ先生(松田匠平)からひめゆりの塔の感想を聞かれた生徒会長のノミヤ(荒井莉子)は、「私たちと同じ年頃の少女たちが戦場で死んでいったわけじゃないですか。私、泣いちゃって。人ごとじゃない。平和を守って行くのは私たちなんだって思いました」などと如才なく答える。先生は我が意を得たりと興奮し、その話を報告された校長先生も「うちの生徒は立派だ」と感動したという。そんな風に大人たちが右往左往する姿をほくそ笑みながら眺めているノミヤには、少女の小悪魔的な魅力を感じさせられた。11月17、18日に金沢市民芸術村PIT2ドラマ工房で上演された北陸学院高校演劇部『修学旅行』(作:畑澤聖悟、演出:井口時次郎)は、等身大の女子高校生たちによるドタバタ喜劇として面白かったが、戯曲が持っている沖縄の基地問題というメッセージを現代の観客に向かって伝え損ねているような気がした。

ノミヤが好意を寄せているのは同級生のカイト(葛谷康介)だ。班長のヒカル(角田明優実)の発案で、好きな男子の名前を紙に書いて投票することになったが、同じ部屋の5人ともカイトと書いたことから、微妙な空気が漂う。新体操部の部長・シャトミ(岡中杏珠)も本気でカイトが好きらしく、女同士が火花を散らすシーンは見応えがあった。また、ソフトボール部のカキザキ(小杉恵生)は試合を4日後に控えており、部屋でも素振りに余念がない。布団が隣のノミヤはいつバットが飛んで来るかとビクビクしている。

とうとうノミヤは怒って自分の布団を隅に寄せ、ここからは自分の領土だから入るなと宣言。ヒカルは機嫌を直してもらおうと、ノミヤとシャトミの間を行き来して和平交渉に努めるが、二人とも強硬でラチがあかない。ノミヤは許してほしかったらカイトをここに連れて来てと要求。実際にカイトがやって来るものの、彼は驚いた時に「でえええー」と言う女の子が好きと謎の言葉を残して去ってしまう。

とにかくノミヤ役を演じた荒井莉子が上手い。自分が喋っていない時でも役になり切っているので、目が離せない。先生が来そうな時は面倒臭そうに口角を上げる練習。カイトが来ると聞けば、シャトミと一緒に思わず鏡を取り出して髪形を直し始める。冒頭の優等生的な受け答えも、本当は何の興味もないくせに、こう言えば大人は喜ぶだろうという勘所をしっかり押さえている。同時にこうした態度は、本土の日本人が示す二面性を象徴しているようにも見えた。沖縄県が払わされている犠牲を口先では気の毒がりながら、基地問題を解決するための行動は何もしない。

戯曲は2005年夏の高校演劇全国大会で青森中央高校に最優秀賞をもたらした名作。背景には2003年から始まったイラク戦争があった。沖縄の米軍基地を飛び立った爆撃機が、イラクを破壊する。弱者を痛めつけるための踏み台として同じ弱者が利用される。

しかし、今回の上演では、戯曲に込められたこの皮肉な構図が浮かび上がって来なかった。作品の最後、枕投げの罰として正座させられた5人は、順番に世界中の国の名前を挙げていくゲームを行う。誰かが「イラク」と言った時、やや長い沈黙が生じる。本来なら、ここで観客の胸中にさまざまな思いが駆けめぐるはずではなかったか。しかし、私の脳裡には何の映像も湧いて来なかった。劇の前半でヒカルが「イラクに派遣されてる米軍の兵士の三分の一は沖縄県内の基地から出撃してる」と情報提供するが、他の生徒たちは世間話程度の興味しか示さなかった。イラクと沖縄(そして、日本)の負のつながりが無視されたように思える。イラク戦争はすでに過去の話だと作り手たちは考えているのだろうか。今年に入って朝鮮半島の緊張緩和に伴い、在日米軍の撤退も俎上に載せられている。こうした時期だけにタイムリーな上演にもなり得たはずなのに、作者からの重要なメッセージがスッポリと抜け落ちてしまったのは残念だった。