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かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2019年11月17日(土)18:30開演の北陸学院高校演劇部『七人の部長』についての劇評です。

 あの子はあんなキャラだから、ああするだろう。私達は時に他人を「キャラ」の枠に当てはめてしまう。高校生など、その傾向が最も強い時期ではないか。
 
 北陸学院高校演劇部による『七人の部長』(作・越智優、演出・金子磨生)は、来年度の部費をめぐって繰り広げられる、部長達の会話劇だ。この戯曲は、2001年の高校演劇全国大会で最優秀賞を受賞した、愛媛県立川之江高校の作品である。
 舞台は生徒会室。壁の上部にある窓は、一部が割れている。備品は棚、ホワイトボードに、長机が5台、パイプ椅子が11脚。
 放課後に行われる部活動の予算会議。欠席者が多く、出席する部長はわずか7名。最初にやってきたのは生徒会長兼手芸部部長、蓮美詠子(岡中杏珠)。ぱらぱらと部長達が集まってきて、皆で机と椅子を並べ変える。
 会議といっても、実際は先生が作った予算案を承認するだけである。だが、予算案に異議を唱える部長が現れた。年間3600円という予算を提示された、演劇部の福岡ゆみ(山出亜子)だ。生徒会長が生徒会則を確かめたところ、全員の賛成があれば予算案の再検討を求めることができるらしい。しかし、誰も賛成はしない。それどころか、多くの予算を付けてもらっている剣道部の部長、椎名美奈子(ウッドハムズ仁花)と対立してしまう。陸上部長、窪マサミ(齋藤蓮)と、ソフトボール部部長、大野朋子(小杉恵生)は早く練習に行きたい。文芸部部長、佐藤晴海(角田明優美)やアニメ部部長、岬潤子(横山愛良)も早く帰りたい。なんとか皆の意見を変えようと演劇部部長は奮闘するが、部長達の主張はぶつかり合うばかりで、会議は進まない。まずはお互いについてよく知っていこうと、生徒会長がそれぞれの部の紹介を提案し、部長達はしぶしぶながら紹介を行っていく。その過程で、ある変化が起こる。

 結論からいうと、予算案は承認され、予算は変わらない。変わるのは、部長達の他者への認識である。こんなキャラなのに、意外なものを抱えていたりするのだ。剣道部長が実はアニメ好きであるとか。そして、関心の低かったキャラに、思いのほか深みがあることにも、彼女達は気付いていく。演劇部長が3年間役をもらえなかったのに頑張っているとか。

 その部活からイメージされる、わかりやすい見た目や言動をするキャラ達を、7人は好演していた。言動や行動が、そのキャラっぽく演じられており、確かにこの部活ならこんな感じの子がいるだろうなと思わせてくれた。ただ、先に述べたとおり、キャラという型にはまらない部分も、人は持ち合わせている。そのことに気付きだしてからの心の変化こそが、この劇の胆である。会議を終えて帰っていく彼女達は、ごく普通にしているようでいて、その心の内に揺らぎを感じているだろう。ちょっとした出来事でも大騒ぎになってしまう、多感な時期の女生徒達が、同じ年代の演者達によって、自然に表現されていた。


(以下は更新前の文章です)


 あの子はあんなキャラだから、ああするだろう。私達は時に他人を「キャラ」の枠に当てはめてしまう。高校生など、その傾向が最も強い時期ではないか。周囲から勝手に認定されたキャラの設定によって、その後の学生生活が決まってしまうといっても過言ではない。
 
 北陸学院高校演劇部による『七人の部長』(越智優・作、金子磨生・演出)は、来年度の部費をめぐって繰り広げられる、部長達の会話劇である。舞台は生徒会室。壁の上部にある窓は、一部が割れている。備品は棚、ホワイトボードに、長机が5台、パイプ椅子が11脚。
 放課後に行われる部活動の予算会議に出席する部長は、わずか7名。最初にやってきたのは生徒会長兼手芸部部長、蓮美詠子(岡中杏珠)。ぱらぱらと部長達が集まってきて、皆で机と椅子を並べ変える。
 会議といっても、実際は先生が作った予算案を承認するだけである。だが、予算案に異議を唱える部長が現れた。年間3600円という予算を提示された、演劇部の福岡ゆみ(山出亜子)だ。生徒会長が生徒会則を確かめたところ、全員の賛成があれば予算案の再検討を求めることができるらしい。しかし、誰も賛成はしない。それどころか、多くの予算を付けてもらっている剣道部の部長、椎名美奈子(ウッドハムズ仁花)と対立してしまう。陸上部長、窪マサミ(齋藤蓮)と、ソフトボール部部長、大野朋子(小杉恵生)は早く練習に行きたい。文芸部部長、佐藤晴海(角田明優美)やアニメ部部長、岬潤子(横山愛良)も早く帰りたい。なんとか皆の意見を変えようと演劇部部長は奮闘するが、部長達の主張はぶつかり合うばかりで、会議は進まない。まずはお互いについてよく知っていこうと、生徒会長がそれぞれの部の紹介を提案し、部長達はしぶしぶながら紹介を行っていく。その過程で、ある変化が起こる。

 結論からいうと、予算案は承認され、演劇部の予算は変わらない。変わるのは、部長達の他者への認識である。こんなキャラだからこうくる、という予想はいつも正解ではない。こんなキャラなのに、意外なものを出してきたりもするのである。そして、甘く見積もっていたキャラに、思いのほか深みがあることにも、彼女達は気付いていく。

 その部活からイメージされる、わかりやすい見た目や言動をするキャラ達を、7人は好演していた。言動や行動が、そのキャラっぽく造形されて演じられており、ああ、確かにこの部活ならこんな感じの子がいるだろうなと思わせてくれた。ただ、先に述べたとおり、キャラという型にはまらない部分も、人は持ち合わせている。そのことに気付きだしてからの心の変化こそが、この劇の胆である。会議を終えて帰っていく彼女達は、ごく普通にしているようでいて、その心の内に揺らぎを感じているだろう。ちょっとした出来事でも大事になってしまう、多感な時期の女生徒達が、同じ年代の演者達によって、自然に表現されていた。
この文章は、2019年11月17日(土)17:00開演の星稜高校演劇部『またこの空の中で』についての劇評です。

 舞台には観客達とテレビクルー(岡田あかり、北﨑千琴、谷野美怜、浅賀香太、中野優羽、黒瀬香)。そこはグライダー競技の決勝戦の会場だった。現れたのは、アカネ(島野日菜子)。そしてアカネの姉、リサ(小杉舞実)。グライダーの操縦席に乗り込んだ二人は、空へと出発していく。気流に乗るグライダー。その横に、カラス(新田龍一)が現れた。カラスは「危ない、危ない」と警告するが、二人は嵐に巻き込まれてしまう。
 
 星稜高校演劇部の作、演出による『またこの空の中で』は、アカネとリサが巡る、不思議な四つの場所での物語である。2人の気が付くと、そこは山の中。3人の男(齋藤真之介、山岸光、岡谷陽光)がやってくる。彼ら廃品回収男達は、おばあちゃん3人(直江美怜、江田千智、杉俣天乃)を連れている。アカネ達はおばあちゃん達を助けようと、紐を解く。この山は不要品が捨てられる場所。それでも彼女達は、廃品回収男達を逆に捕まえてやろうとしている。おばあちゃん達から風神様のお札をもらい、その力でグライダーは空へと飛ぶ。

 カラスを追って着いた場所は、お城のような裁判所。裁判長(松本梨留)と、門番(川本紗羽)が現れ、陪審員達(泉紗香、勘田成葉、竪畑志乃、大石涼々香、杉俣天乃)が躍る。被告人(山出暖大)が連れてこられ、「被告」(山岸光)と「目撃者」(齋藤真之介)による、連続殺人事件現場を再現した寸劇が始まる。それを見ながら陪審員達は好き勝手に意見を言う。たまりかねてアカネ達が発言すると、その供述をもって被告人は無罪となる。

 次に辿り着いた場所では、うつろな様子の人々が歩き回っている。スーツに帽子姿の夢食い人(岡谷陽光)が、大きくなりすぎた夢を持て余した男(山岸光)の首にかじりつく。アカネとリサも夢食い人に狙われるが、リサは夢くらい自分でみなさいと夢食い人に告げ、アカネと共に去る。
 
 最後に辿り着いた場所で、カコモリ(齋藤真之介)とカコ達(後藤みなみ、江田千智、大石涼々香)がリサを待っていた。リサは過去に語った物語の思い出を、アカネとともに体験していたのだ。それはアカネが囚われている過去から、彼女を解放するためである。リサの死という悲しみから、未来に目を向けてほしいのである。

 不要品の山、裁判所、夢食い人。高齢化、不透明な裁判、燃え尽きる人々と、現代社会の問題が垣間見られ、それを物語に混ぜ込んでみせようとした努力が感じられた。この各場面の関連性が読み取りづらく感じたのが残念である。

 大きな悲しみに襲われた時に、未来が見えなくなることや、過去にすがりたくなることがあるだろう。それでも、自分の夢を思い出して、前を向くこと。過去はずっとそこで、未来を見守っている。そんなメッセージを彼女達から受け取った。アカネの背中を押してやるリサの優しさと、自分の力を信じてグライダーを発進させる、アカネの力強さが印象に残った。


(以下は更新前の文章です)


 舞台には観客達とテレビクルー(岡田あかり、北﨑千琴、谷野美怜、浅賀香太、中野優羽、黒瀬香)。そこはセールプレーングランプリという、モーターグライダーによる競技の決勝戦の会場だった。現れたのは、アカネ(島野日菜子)。そしてアカネの姉、リサ(小杉舞実)。グライダーの操縦席に乗り込んだ二人は、空へと出発していく。気流に乗るグライダー。その横に、カラス(新田龍一)が現れた。カラスは「危ない、危ない」と警告するが、二人は嵐に巻き込まれてしまう。
 
 星稜高校演劇部の作、演出による『またこの空の中で』は、アカネとリサが巡る、不思議な四つの場所での物語である。2人の気が付くと、そこは山の中。3人の男(齋藤真之介、山岸光、岡谷陽光)がやってくる。彼ら廃品回収男達は、おばあちゃん3人(直江美怜、江田千智、杉俣天乃)を連れているではないか。アカネ達はおばあちゃん達を助けようと、紐を解く。この山はいらない物が捨てられる所。それでも彼女達は、廃品回収男達を逆に捕まえてやろうとしている。おばあちゃん達から風神様のお札をもらい、その力でグライダーは空へと飛ぶ。

 カラスを追って着いた場所は、お城のような裁判所。裁判長(松本梨留)と、門番(川本紗羽)が現れ、陪審員達(泉紗香、勘田成葉、竪畑志乃、大石涼々香、杉俣天乃)が躍る。被告人(山出暖大)が連れてこられ、「被告」(山岸光)と「目撃者」(齋藤真之介)による、連続殺人事件現場を再現した寸劇が始まる。それを見ながら陪審員達は好き勝手に意見を言う。たまりかねてアカネ達が発言すると、その供述をもって被告人は無罪となる。

 次に辿り着いた場所では、うつろな様子の人々が歩き回っている。スーツに帽子姿の夢食い人(岡谷陽光)が、大きくなりすぎた夢を持て余した男(山岸光)の首にかじりつく。アカネとリサも夢食い人に狙われるが、リサは夢くらい自分でみなさいと夢食い人に告げ、アカネと共に去る。
 
 最後に辿り着いた場所で、カコモリ(齋藤真之介)とカコ達(後藤みなみ、江田千智、大石涼々香)がリサを待っていた。リサは過去に語った物語の思い出を、アカネとともに体験していたのだ。それはアカネが囚われている過去から、彼女を解放するためである。

 ゴミ捨て山、裁判所、夢食い人。高齢化、不透明な裁判、燃え尽きる人々と、現代社会の問題が垣間見られ、それを物語に混ぜ込んでみせようとした努力が感じられた。ただ、各シーンの関連性がもう少しあればと思われた。

 大きな悲しみに襲われた時に、未来が見えなくなることや、過去にすがりたくなることがあるだろう。それでも、自分が持っていた夢を思い出して、前を向くこと。過去はずっとそこで、未来を見守っている。そんなメッセージを彼女達から受け取った。アカネの背中を押してやるリサの優しさと、自分の力を信じてグライダーを発進させる、アカネの力強さが印象に残った。
この文章は、2019年11月16日(土)18:30開演の北陸学院高校演劇部『七人の部長』についての劇評です。

今日は私立ヤツシマ女子高校の部活動予算会議。7人の部長が出席したが、早く終わらせて帰りたがっている者ばかり。そんな中で、演劇部部長・福岡ゆみ(山出亜子)だけは昨年の5,000円からさらに減らされた金額に気付いて愕然とする。「絶対無理!3,600円で、この一年間部活をやれってことですか?」この会議自体、教師たちが作成した予算案を部長らが承認するだけという形ばかりのもの。しかし、福岡が唱えた異議をきっかけに、今まで運動部に比べて冷遇されてきた文化系4部長が不満を抱えていたこともわかり、話し合いを提案する。北陸学院高校演劇部が11月16、17日に金沢市民芸術村ドラマ工房で上演した『七人の部長』(作:越智優、演出:金子磨生)は、もともとは2001年の高校演劇全国大会で最優秀賞に輝いた愛媛県立川之江高校の作品であり、今回は高校演劇の名作とされる脚本への挑戦となった。

最初は一人が反対するだけだったのに、他の陪審員らも次第に説得され、ついにはオセロゲームのように評決が覆ってしまったのは米国の法廷劇「十二人の怒れる男」(作:レジナルド・ローズ)だった。それほどドラマチックな展開ではなかったが、この作品もなかなか悪くはなかった。例えば、体育館でいつも異様な臭気を発している一画が実は剣道部の防具置き場であったり、ガラクタかと思ってマジックで落書きしてしまったハリボテが実は演劇部部長が一生懸命に作った舞台装置だったことも、話し合う中で初めてわかったりした。自分の部活動に熱心なあまり、他の部で何が行われているのかについてほとんど無知だったことを部長たちは悟るのだった。

さらにアニメ部部長・岬潤子(横山愛良)のオタクぶりを嘲笑う剣道部部長・椎名美奈子(ウッドハムズ仁花)が、意外にもアニメのディテールについて異様に詳しく、ついには自分もアニメ好きとバレてしまう。さっきまで威勢良く怒鳴り散らしていた椎名だけに落差が激しい。剣道部部長という体裁を繕うため、それほどまでも虚勢を張っていたわけか。1年生ウッドハムズの好演も相まって、椎名と岬が和解して抱き合ったシーンでは不覚にも胸がキュンとしてしまった。

やがて岬も椎名に賛成し、福岡も折れ、大勢は決したかに見えた。しかし、最後の採決でも、生徒会長兼手芸部部長・蓮美詠子(岡中杏珠)が予算案への反対を貫いたことに他の6人は驚く。彼女は、生徒会長として年間56回も会議に参加してきたが、その場で何かが決まることはなかった、一度でも何かを決めてみたかった、と本音をポロリ漏らす。そのセリフは、なぜ日本で「十二人の怒れる男」のようなドラマが成り立ちにくいのかをさり気なく突いており、脚本に盛り込まれた深い洞察を感じさせた。

一時間足らずの会議。対立を経てお互いへの理解を深め、知らず知らずのうちに視界がグンと広がった生徒たち。折よく雨も上がり、夕方の五月晴れの中へと元気に飛び出す姿は、爽やかな余韻を残してくれた。

(以下は改稿前の文章です。)

今日は私立ヤツシマ女子高校の部活動予算会議。7人の部長が出席したが、早く終わらせて帰りたがっている者ばかり。そんな中で、演劇部部長・福岡ゆみ(山出亜子)だけは昨年の5,000円からさらに減らされた金額に気付いて愕然とする。「絶対無理!3,600円で、この一年間部活をやれってことですか?」この会議自体、教師たちが作成した予算案を部長らが承認するだけという形ばかりのもの。しかし、福岡が唱えた異議をきっかけに、今まで運動部に比べて冷遇されてきた文化系4部長の不満が爆発し、話し合いを提案する。かなざわリージョナルシアター2019「げきみる」参加作品として、北陸学院高校演劇部は11月16、17の両日、『七人の部長』(作:越智優、演出:金子磨生)を金沢市民芸術村ドラマ工房で上演した。

最初は一人が反対意見を述べるだけだったのに、他の陪審員らも次第に説得され、ついにはオセロゲームのように評決が覆ってしまったのは米国の法廷劇「十二人の怒れる男」(作:レジナルド・ローズ)だった。それほどドラマチックな展開ではなかったが、今回の公演もなかなか悪くはなかった。例えば、体育館でいつも異様な臭気を発している一画が実は剣道部の防具置き場であったり、ガラクタかと思ってマジックで落書きしてしまったハリボテが実は演劇部部長が一生懸命に作った舞台装置だったことも、話し合う中で初めてわかったりした。自分の部活動に熱心なあまり、他の部で何が行われているのかについてほとんど無知だったことを部長たちは悟るのだった。

さらにアニメ部部長・岬潤子(横山愛良)のオタクぶりを嘲笑う剣道部部長・椎名美奈子(ウッドハムズ仁花)が、意外にもアニメのディテールについて異様に詳しく、ついには自分もアニメ好きとバレてしまう。さっきまで威勢良く怒鳴り散らしていた椎名だけに落差が激しい。それほど虚勢を張ってまで弱い心を隠していたのか。1年生ウッドハムズの好演も相まって、椎名と岬が和解して抱き合ったシーンでは不覚にも胸がキュンとしてしまった。

やがて岬も椎名に賛成し、福岡も折れ、大勢は決したかに見えた。しかし、最後の採決でも、生徒会長兼手芸部部長・蓮美詠子(岡中杏珠)が予算案への反対を貫いたことに他の6人は驚く。彼女は、生徒会長として年間56回も会議に参加してきたが、その場で何かが決まることはなかった、一度でも何かを決めてみたかった、と本音をポロリ漏らす。そのセリフは、なぜ日本で「十二人の怒れる男」のようなドラマが成り立たないのかをさり気なく突いており、作者の深い洞察を感じさせた。

一時間足らずの会議。対立を経て少しずつお互いへの理解を深め、知らず知らずのうちに視界がグンと広がった生徒たち。折よく雨も上がり、五月晴れの夕暮れの中へと元気に飛び出して行く姿は、爽やかな余韻を残してくれた。
この文章は、2019年11月16日(土)17:00開演の星稜高校演劇部『またこの空の中で』についての劇評です。

狭いコックピットに乗り込み、一本のレバーを操作しながら大空を翔けるグライダー競技。星稜高校演劇部が11月16、17日に金沢市民芸術村ドラマ工房で上演した『またこの空の中で』は、そんなスポーツに挑戦する若い女性が強風に飛ばされてさまざまな冒険を体験するとともに、家族に関する辛い過去から解放されて成長する姿を描いたファンタジーだった。作・演出は生徒たち自身で担当している。

グライダー競技の試合中、女子高校生パイロット・アカネと姉・リサを乗せた機体は、突風に煽られて山中に不時着する。そこは三人の老婆が今まさに廃品回収の男たちによって捨てられようとしている姥捨山だった。姉妹は老婆らの縄をほどいて助けようとするが、男たちが戻ってきて身の危険が迫る。老婆らに貰った風神様のお札に祈ると、風が再び巻き起こってグライダーは飛び立つことができた。次の到着地は女性裁判長が女王のごとく君臨する国。その法廷で交わされる議論が目撃者の証言と異なるので、我慢できなくなったアカネが口を挟むと、いつのまにか彼女自身が被告として裁判にかけられそうになり、慌ててまた風神の力を借りて脱出したのだった。

次は夢を食う男のいる場所。そこを訪れていた医師の夢は、世界中の貧しい子どもたちを救いたいというものだったが、夢が膨らみすぎて重荷に耐えられなくなったという。ドラキュラのように医師の首に噛みついた男は、口の周りを血で真っ赤にしながら彼の夢を貪り食った。最後の訪問地はカコモリが支配する過去の国。冒頭からアカネの後ろに同乗していたリサは実はそこの住人であり、以前に発生したグライダー事故ですでに死んでいた。その事実を直視できずにいる妹のために、彼女が冒険飛行を仕組んだのだった。

今回の作品では、風にまかせて空を飛ぶ競技の魅力を生かし、冒険へのワクワク感を高めていた。しかも辿り着いた先々では高齢化や社会正義、自分の夢に押しつぶされそうな人間など、現代日本が抱えるさまざまな問題についても考えさせられ、見応えがあった。そして、最終的には少女が肉親の死を乗り越えて成長する物語へと収斂させていく構成力には唸らされた。

舞台の中央には長方形の台に棒状の操作レバーと後部座席の台を取り付け、前後2本の台形フレームで挟んだ操縦席が一つ。あとは演技で観客の想像力を喚起し、壮大な虚構世界へと引き込んだ。役者陣ではカコモリ役の齊藤真之介や夢食い人の岡谷陽光ら、発声の良い男子が多く、魅力的だった。また、1年生ながら裁判長を演じた松本梨留の堂々と落ち着いた女王ぶりにも惹きつけられた。

(以下は改稿前の文章です。)

セールプレーンというグライダー競技があることを初めて知った。狭いコックピットに乗り込み、一本のレバーを操作しながら大空を翔けるスポーツである。星稜高校演劇部が11月16、17日に金沢市民芸術村ドラマ工房で上演した『またこの空の中で』は、そんな競技に挑戦する若い女性が強風に飛ばされてさまざまな冒険を体験するとともに、家族に関する辛い過去から解放されて成長する姿を描いたファンタジーだった。作・演出は生徒たち自身で担当している。

グライダー競技の試合中、女子高校生パイロット・アカネと姉・リサを乗せた機体は、突風に煽られて山中に不時着する。そこは三人の老婆が今まさに廃品回収の男たちによって捨てられようとしている姥捨山だった。老婆らは逆に男たちを縛り上げて自由になる策略を練っていた。そのうち身の危険を感じた姉妹がワタリガラスからもらった風神様のお札に祈ると、風が起こってグライダーは再び飛び立った。次の到着地は女性裁判長が女王のごとく君臨する国。その法廷で交わされる議論が目撃者の証言と異なるので、我慢できなくなったアカネが口を挟むと、いつのまにか彼女自身が被告として裁判にかけられそうになり、慌ててまた風神の力を借りて脱出したのだった。

次は夢を食う男のいる場所。そこを訪れていた医師の夢は、世界中の貧しい子どもたちを救いたいというものだったが、夢が膨らみすぎで耐えられなくなったという。ドラキュラのように医師の首に噛みついた男は、口の周りを血で真っ赤にしながら彼の夢を貪り食った。最後の訪問地はカコモリが支配する過去の国であり、リサはそこの住人だった。彼女はすでに死んでいたわけだが、その事実を直視できずにいる妹のために今回の冒険飛行を仕組んだのだった。

Youtubeでセールプレーンを検索すると、国内外の動画が多数ヒットした。国際大会も毎年開かれているらしい。今回の公演では、風にまかせて空を飛ぶ競技の魅力を生かし、冒険へのワクワク感を高めていた。しかも辿り着いた先々では高齢化や社会正義、自分の夢に押しつぶされそうな人間など、現代日本が抱えるさまざまな問題についても考えさせられ、見応えがあった。そして、最終的には主人公の個人的な成長へと収斂させていく構成力には唸らされた。

舞台の中央には長方形の台に棒状の操作レバーと後部座席の台を取り付け、前後の四角いフレームで挟んだコックピットが一つ。あとは演技で観客の想像力を喚起し、壮大な物語世界へと引き込んだ。役者陣ではカコモリ役の齊藤真之介や夢食い人の岡谷陽光ら、発声の良い男子が多く、魅力的だった。また、1年生ながら裁判長を演じた松本梨留の堂々と落ち着いた女王ぶりにも惹きつけられた。
※ この文章は2019年11月9日19開演のうんダンスぷらうる『生・遊・萎(うまれる・あそぶ・しほれる)』(アフタートーク付公演)についての劇評です。


 開演時刻になると場内は一度真っ暗になった。次に見えた正面の真っ白なスクリーンには黒い頭巾と黒いノースリーブのドレスを身に着けた女性。女性は椅子に座っていて、後ろにはさらに同じような出で立ちの3人の女性がいる。ほぼ中央に重なって並んでいて自由で柔らかな動きを見せる。スクリーンに映し出されたのは生まれる前の世界だ。
 スクリーンが上がって開演前の状態になると、9人の女性と一人の幼児がパフォーマンススペースに入ってきた。衣装はスクリーンの中にいた女性たちと同じ、幼児は真っ赤な天狗のお面をかぶっている。女性の一人と幼児は祭囃子に合わせて踊る。周りを囲む女性たちは幼児の誕生を喜んでいる。そこに男性が二人入ってくる。こちらも黒い衣装だ。小振袖のような袖が若い男性の力強い踊りに軽やかさを加えている。桶胴太鼓を肩からかけた男性が演奏しながら入ってくると、迫力のある演奏でさらに二人の男性の動きに力が増してくる。女性たちは彼らを囲むように座り、遊ぶように踊る姿を見守る。
 女性たちが少しづつ動き出し、やがて一まとまりの集団になって歩き出すと男性たちははけていった。女性たちは何周も何周も歩き続ける。単調な動きが続くこの場面だが、なぜか見ていて飽きない。そのうち徐々に一人一人が見えてきた。集団に見えていた女性たちからそれぞれの存在感を感じるようになった。
 中が透ける生地が足元まで下がっている傘が一つ、また一つと入ってくる。アフタートークによるとこの傘はカタツムリを表していて、中には悲しみが詰まっているらしい。新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』を思い出した。女性たちはそこに幸せがあることを期待して中に入っていく。中にはかなしみが詰まっているので、入った女性は苦悩した表情を見せる。全員が傘から抜け出して客席に向かって一塊になると、それまで表情を作っていなかった女性たちがいっせいにニヤッと笑った。悲しみからの笑顔は、前向きになった彼女たちの姿だ。。 
最後の場面はピチカート・ファイヴの『陽の当たる大通り』が流れた。歌詞のある曲が使われることで雰囲気が大きく変わった。白いワンピースの女性が軽やかなダンスで入ってきた。黒い衣装の女性たちの間を軽やかに飛ぶような、これまでとは全く様子の違うタイプの踊りだ。アフタートークではこのシーンの説明はなかったような気がする。前のシーンで笑顔を見せた女性たちのその後の姿だろうか。
 言葉のないパフォーマンスは捉えかたが難しい。この公演は一人一人の顔に区別がつくようになって、出演者の自由な動きが見えてきて、そこからとても楽しい気持ちになった。年齢がちょっと高めの女性たちは「しほれる」部分を表現していたのだが、幼児や若い男性たちがいなくなった後の彼女たちからは強さを感じた。動きには段取りはあるようだったが、細かい決まりがないように見えた。自由に動き、表情も無理に作らない。「女性らしさ」を敢えて表現しない彼女たちの姿に、私はものすごくわくわくした。 

(以下は改稿前の文章です。)

 劇場内は床と壁が黒く覆われ、正面奥は黒の壁に木の骨組みが見えた。開演時刻になると一度真っ暗になった。次に見えたのは正面の真っ白なスクリーンには黒い頭巾と黒いノースリーブのドレスを身に着けた女性だった。女性は椅子に座っていて、後ろにはさらに3人の女性がいる。ほぼ中央に重なって並んでいて自由で柔らかな動きを見せる。スクリーンに映し出されたのは生まれる前の世界だ。
 開演前に見えていた黒い壁に戻ると、9人の女性と一人の幼児がパフォーマンススペースに入ってきた。衣装はスクリーンの中にいた女性たちと同じ、幼児は真っ赤な天狗のお面をかぶっている。女性と幼児は祭囃子に合わせて踊る。女性たちは幼児の誕生を喜んでいる。そこに男性が二人入ってくる。こちらも黒い衣装だ。小振袖のような袖が若い男性の力強い踊りに軽やかさを加えている。桶胴太鼓を肩からかけた男性が演奏しながら入ってくると、迫力のある演奏でさらに二人の男性の動きに力が増してくる。女性たちは彼らを囲むように座り、遊ぶように踊る姿を見守る。
 女性たちが少しづつ動き出し、やがて一まとまりの集団になって歩き出すと男性たちははけていった。女性たちは何周も何周も歩き続ける。やがてパフォーマンススペース全体に散らばると、一人に対して全員が指を差す。指を指された女性は戸惑った表情を見せ、一度は自分を指差すが、すぐに空に向かってその指を差した。周りの女性も空を指差す。単調な動きが続くこの場面で一人一人がだんだん見えてきた。
 中が透ける生地が足元まで下がっている傘が一つ、また一つと入ってくる。最終的に入ってきた3つの傘はカタツムリを表していて、中に幸せがあることを期待した女性たちは中に入っていく。そこには悲しみが詰まっていて、入った女性は苦悩した表情を見せる。全員が傘から抜け出して客席に向かって一塊になると、それまで表情を作っていなかった女性たちがいっせいにニヤッと笑った。 
最後の場面はピチカート・ファイヴの『陽の当たる大通り』が流れ、ここまでの雰囲気と大きく変わった。歌詞がある曲が選ばれたことにとても驚いた。ずっと自由な雰囲気で踊っていた空間に白いワンピースの女性が軽やかなダンスで入ってきた。黒い衣装の女性たちの間を軽やかに飛ぶような、これまでとは全く様子の違う踊りだ。
 アフタートークがあったのでほとんどの設定が分かってしまったが、観劇中は男性二人が踊っているあたりまでどう捉えていいかわからなかった。一人一人の顔に区別がつくようになったところから、出演者たちの自由な動きが見えてきて、妙に楽しくなった。年齢がちょっと高めの女性たちは「しほれる」部分を表現していたのだが、幼児や若い男性たちがいなくなった後の彼女たちからは強さを感じた。動きには段取りはあるようだったが、細かい決まりがないように見えた。自由に動き、表情も無理に作らない。彼女たちの姿に私はものすごくわくわくした。