この文章は、2020年11月21日(土)20:00開演のMIREI / LAVIT『Separate』についての劇評です。
MIREI / LAVIT『Separate』(作・演出:中元ミレイ、振付:LAVIT)は、高校生くらいのボーイッシュな女の子(Hiroka)と彼女が憧れる同年代か少し上くらいの女性アイドル(Sena)の関係性をドラマとダンスで表現した作品だ。YouTube動画としてオンライン公開されているほか、映像に合わせてダンサー2人が踊るパフォーマンスも金沢市民芸術村ドラマ工房で行われた。
女子高生は飲食店でバイトしながら、稼いだお金でゴシックロリータ雑誌を買い、そこに掲載されたアイドルの写真を切り抜いてスクラップ帖を作ったりしている。撮影会ではカメラを構えてアイドルに急接近することも。そんなある日、彼女の思いを込めた手紙にアイドルから返事が来た。2人だけで過ごす夢のような時間。いつもイベントに顔を出す彼女をアイドルも認知していて、すごく喜んでくれた!ほぼ同年代なので、ガールズトークもはずむ。あらためてアイドルを間近から見ると、なんて綺麗なんだろう。そっと、彼女の髪に触れてみる。いい匂いがする……。気がついたら、抱きついていた。自分がしでかしたことの重大さを悟ったのは、アイドルがスッと離れて席を立った瞬間だった。一人で取り残され、後悔の淵に沈む。今まで人生のすべてをアイドルに捧げてきたのに、これでもう何もかも終わったのだろうか?
一方で、どうにか面倒なファンから逃げ出したアイドルは、一分の隙もないゴスロリ・ファッションに身を包み、街並みを闊歩する。彼女の全身から「私のお仕事は、アイドルです!!」というオーラが滲み出ていた。アイドルとファン。お互いなくてはならない存在のはずだが、たとえ同じ場所で同じ空気を吸っていたとしても、2人の間には容易に乗り越えられない壁が立ちふさがっている。やがて女子高生は、あれほど夢中で読んでいたゴスロリ雑誌をゴミ箱へ投げ込んでしまう。現実に目覚め、大人になったということだろうか。
ドラマの合間に挿入されたダンスは、MIREIとLAVITが左右両サイドに分かれ、周囲に張り巡らされた壁の存在を確かめるように両手でなぞるパントマイムから始まった。MIREIは黒い衣装に身を包み、顔が隠れるくらいに前髪を伸ばしている。怒りをたぎらせ、前髪を激しく揺らしながら、壁を蹴るような動作が迫力満点だった。LAVITは白い衣装で髪をおかっぱボブに切り揃え、微笑を浮かべながら、ゆったりと踊る。両腕をしなやかに交差させながらヒラヒラと蝶が飛ぶように動かしたり、空から落ちてくる雨の雫を手のひらで受け止めるようなダンスが印象的だ。
音楽はKantaroによるオリジナル曲であり、どこか懐かしさを感じさせるレトロなシティサウンド。悲しげに歌い上げるサックス(演奏:Taisetsu Ueno)の響きは、ヒロインの傷ついた心の襞を一つひとつ柔らかになぞってくれる。Hirokaとこのサックス演奏は抜群に相性が良い。動画を見終わった後も、私の脳内では彼女の表情が何度も浮かんでは消えたが、そのたびごとに必ずサックスの旋律が一緒に再生されていた。
動画の概要欄によれば、タイトルの「Separate」には「隔たり」の意味があるという。例えば、好きな人との間に横たわる距離感。それは一般的にはネガティブなものと思われるかもしれない。だが、本当にそうだろうか。私がよく視聴するK-POPの界隈にも「サセン」という韓国語のスラングがある。追っかけが高じ、アイドルのプライベート空間にまで遠慮なく押しかけて行く過激なファンのことだ。また、熱烈だったファンが反転して「アンチ」となるケースも珍しくない。SNSなどで私生活に関するデマを拡散されたり、言葉の暴力を受けたアイドルが精神に異常を来した挙句、自死に至る悲劇も実際に起こった。いくらファンでも適度な距離感を忘れてはいけないという思いが最近は強い。
舞台上の公演では、正面のスクリーンに動画を映しながら、その前でMIREIとLAVITが踊った。ダンスと映像がシンクロする様子も面白かったが、私は特に映像が終わった後の場面が興味深かった。そこではやはり2人は左右に分かれていたが、LAVITが黒、MIREIが白と衣装が逆転しただけでなく、髪型もダンスも淡々として大人しくなった。LAVITの顔から微笑が消えている。やはり乗り越えられない壁がある現実を受け止めなければならないという諦念のように感じられた。そう言えば、動画の中で、女子高生がアイドルの雑誌に読み耽っていた時、誰かが同じ雑誌を捨てていたシーンを思い出した。だとすれば、まさに今また別の誰かが熱心にページを繰っていてもおかしくはない。巡り巡って、今度はあなたがアイドルにハマってしまうかもしれない。人間が誰かに憧れる気持ちは決してなくなることがないのだから。
(以下は改稿前の文章です。)
MIREI / LAVIT『Separate』(作・演出:中元ミレイ、振付:LAVIT)は、高校生くらいのボーイッシュな女の子(Hiroka)と彼女が憧れる同年代か少し上くらいの女性アイドル(Sena)の関係性をドラマとダンスで表現した作品だ。YouTube動画としてオンライン公開されているほか、映像に合わせてダンサー2人が踊るパフォーマンスも金沢市民芸術村ドラマ工房で行われた。
女子高生は飲食店でバイトしながら、稼いだお金でゴシックロリータ雑誌を買い、そこに掲載されたアイドルの写真を切り抜いてスクラップ帖を作ったりしている。そうやって自分で楽しむだけでなく、ファンレターを送り、実際にアイドルと会って写真を撮らせてもらったりとかなり積極的なオタ活動を展開している。アイドルの方も彼女が自分を好きでいてくれることが嬉しく、同年代ということもあって一緒にいるだけで楽しい。とは言え、アイドルにとってその時間は仕事の延長みたいなものだ。個々のファンに対して感謝以上の感情を抱いているわけではない。その気になって興奮したファンが、手を伸ばして髪を触ったり、抱きついてきたりした時にはスッと離れて席を立つしかない。どうにか面倒なファンから逃げ出した後、一分の隙もないゴスロリ・ファッションで街並みを闊歩するアイドル。「私のお仕事は、アイドルです!!」というオーラが全身から滲み出ていた。
それに対し、ファンの女子高生は、人生のすべてをアイドルに捧げてきたのに、両想いになれず、落胆が大きい。アイドルとファン。お互いなくてはならない存在のはずだが、たとえ同じ場所で同じ空気を吸っていたとしても、2人の間には容易に乗り越えられない壁が立ちふさがっている。やがて女子高生は、あれほど夢中で読んでいたゴスロリ雑誌をゴミ箱へ投げ込んでしまう。現実に目覚め、大人になったということだろうか。
ドラマの合間に挿入されたダンスは、MIREIとLAVITが左右両サイドに分かれ、周囲に張り巡らされた壁の存在を確かめるように両手でなぞるパントマイムから始まった。MIREIは黒い衣装に身を包み、顔が隠れるくらいに前髪を伸ばしている。怒りをたぎらせ、前髪を激しく揺らしながら、壁を蹴るような動作が迫力満点だった。LAVITは白い衣装で髪をおかっぱボブに切り揃え、微笑を浮かべながら、ゆったりと踊る。両腕をしなやかに交差させながらヒラヒラと蝶が飛ぶように動かしたり、空から落ちてくる雨の雫を手のひらで受け止めるようなダンスが印象的だ。音楽はKantaroによるオリジナル曲であり、どこか懐かしさを感じさせるレトロなシティサウンド。悲しげに歌い上げるサックス(演奏:Taisetsu Ueno)の響きは、ヒロインの傷ついた心の襞を一つひとつ柔らかになぞってくれているようだ。
動画の概要欄によれば、タイトルの「Separate」には「隔たり」の意味があるという。例えば、好きな人との間に横たわる距離感。それは一般的にはネガティブなものと思われるかもしれない。だが、本当にそうだろうか。私がよく視聴するK-POPの界隈にも「サセン」という韓国語のスラングがある。追っかけが高じ、アイドルのプライベート空間にまで遠慮なく押しかけて行く過激なファンのことだ。また、熱烈だったファンが反転して「アンチ」となるケースも珍しくない。SNSなどで私生活に関するデマを拡散されたり、言葉の暴力を受けたアイドルが精神に異常を来した挙句、自死に至る悲劇も実際に起こった。いくらファンでも適度な距離感を忘れてはいけないという思いが最近は強い。
舞台上の公演では、正面のスクリーンに動画を映しながら、その前でMIREIとLAVITが踊った。ダンスと映像がシンクロする様子も面白かったが、私は特に映像が終わった後の場面が興味深かった。そこではやはり2人は左右に分かれていたが、LAVITが黒、MIREIが白と衣装が逆転しただけでなく、髪型もダンスも淡々として大人しくなった。LAVITの顔から微笑が消えている。やはり乗り越えられない壁がある現実を受け止めなければならないという諦念のように感じられた。そう言えば、動画の中で、女子高生がアイドルの雑誌に読み耽っていた時、誰かが同じ雑誌を捨てていたシーンを思い出した。だとすれば、まさに今また別の誰かが熱心にページを繰っていてもおかしくはない。巡り巡って、今度はあなたがアイドルにハマってしまうかもしれない。人間が誰かに憧れる気持ちは決してなくなることがないのだから。
この文章は、2020年11月21日(土)20:00開演のMIREI / LAVIT『Separate』についての劇評です。
見終わった直後に感じたのは、生の公演はいいなぁということだった。MIREI / LAVITは映像作品と劇場でのダンスパフォーマンスをバランスよく合わせて『Separate』の世界を表現した。映像作品は主演のひ3かの演技に引き込まれたし、見ごたえがあった。でもやはり生のパフォーマンスはいい。映像に映るMIREI / LAVITとパフォーマンススペースで踊る二人は同じだけど、人としての質感とエネルギーの圧力に大きな差がある。オンラインでも配信できる映像の強みとともに生の凄みを同時に感じることができる、今の状況だからこその作品だ。
この作品は主な部分は映像作品からなっている。登場するのは主役の女の子とワンピースの女の子(Sena)、そして白い衣装のLAVITと黒い衣装のMIREIだ。主役の女の子はごく普通の生活をしている。飲食店でアルバイトをし、本屋で好きな雑誌を買って帰る。楽しそうに雑誌を読んだり手紙を書いたりして過ごす。その彼女のそばにいるのが黒い衣装のMIREIだ。表情はどこか暗い。ダンスは荒々しく激しい。主役の女の子のふんわりとした明るい雰囲気にそぐわない。MIREIのパフォーマンスからは不安のようなものを感じた。それは女の子を心配しているようにも見えた。
ワンピースの女の子は西洋のお人形のようにかわいい女の子だ。主役の女の子が買った雑誌に載っていてもおかしくないような容姿で、主役の子は近い距離で熱心に写真を撮る。時折映り込むレンガの建物や幹の太い木々やあたたかな太陽の日差しは二人のビジュアルに合っている。ただこの時期の金沢でこの天気は奇跡だななどという余計なことも頭の隅で考えた。そう思うとキラキラした映像が不似合いで不安定に感じる。なんとなく不安を感じるようなところがMIREIのダンスを見たときの不安と似ていた。
LAVITが現れたのは女の子が自室に戻ってからだ。楽しそうに雑誌を切り抜く女の子の周りで、彼女の気持ちに沿うように笑みを浮かべやさしく踊る。指でハートを描き、ワンピースの女の子への恋心を応援しているようだった。恋心を露にしたとき、ワンピースの女の子は去って行った。主役の女の子の目が彼女のショックの大きさをとてもうまく表現していた。このとき胃の上のほうをつかまれるような感じがして、本当に切なかった。
印象的な小道具が二つある。一つは主役の女の子が買った雑誌「ゴシック&ロリータバイブル」、もう一つは作品の中で女の子が書いていた手紙だ。手紙は枕元に置いて就寝すると、MIREIがそっと持ち去った。そして別の日にLAVITがそっと枕元に返す。雑誌は女の子が帰宅途中に読んでいるとき、近くのゴミ箱に同じ雑誌が投げ捨てられた。それを暗い瞳をしたMIREIが拾い上げる。すくなくとも手紙を持ち去ったMIREIに女の子は気づいていたし、映像のラスト近くで雑誌を捨てたのは女の子自身であることが分かる。
恋の応援をしていたLAVITは傷ついた女の子を慰めはしなかった。ラストのダンスはLAVITの衣装は黒だったし、表情から笑顔がなくなっていた。LAVIT自身が女の子、もしくは女の子の生きる道に失望したようだった。主役の女の子はワンピースの女の子に触れた。それは恋愛感情の表れだ。触れた先にさらに深い接触を期待していただろう。それを拒まれた。その後彼女は金銭で彼女自体は求めていない接触を提示される。彼女の中できれいに見えたものが一気に汚くなった瞬間だ。LAVITはその影響を強く受けていた。単純に考えれば、MIREIもLAVITも主役の女の子自身だったのだろう。LAVITは少女の頃、MIREIはすべてを知った後の彼女だったのではないだろうか。だとしたら、主役の女の子はキラキラした少女の頃を人生の頂点にしたまま前に進めていない。
見終わった直後に感じたのは、生の公演はいいなぁということだった。MIREI / LAVITは映像作品と劇場でのダンスパフォーマンスをバランスよく合わせて『Separate』の世界を表現した。映像作品は主演のひ3かの演技に引き込まれたし、見ごたえがあった。でもやはり生のパフォーマンスはいい。映像に映るMIREI / LAVITとパフォーマンススペースで踊る二人は同じだけど、人としての質感とエネルギーの圧力に大きな差がある。オンラインでも配信できる映像の強みとともに生の凄みを同時に感じることができる、今の状況だからこその作品だ。
この作品は主な部分は映像作品からなっている。登場するのは主役の女の子とワンピースの女の子(Sena)、そして白い衣装のLAVITと黒い衣装のMIREIだ。主役の女の子はごく普通の生活をしている。飲食店でアルバイトをし、本屋で好きな雑誌を買って帰る。楽しそうに雑誌を読んだり手紙を書いたりして過ごす。その彼女のそばにいるのが黒い衣装のMIREIだ。表情はどこか暗い。ダンスは荒々しく激しい。主役の女の子のふんわりとした明るい雰囲気にそぐわない。MIREIのパフォーマンスからは不安のようなものを感じた。それは女の子を心配しているようにも見えた。
ワンピースの女の子は西洋のお人形のようにかわいい女の子だ。主役の女の子が買った雑誌に載っていてもおかしくないような容姿で、主役の子は近い距離で熱心に写真を撮る。時折映り込むレンガの建物や幹の太い木々やあたたかな太陽の日差しは二人のビジュアルに合っている。ただこの時期の金沢でこの天気は奇跡だななどという余計なことも頭の隅で考えた。そう思うとキラキラした映像が不似合いで不安定に感じる。なんとなく不安を感じるようなところがMIREIのダンスを見たときの不安と似ていた。
LAVITが現れたのは女の子が自室に戻ってからだ。楽しそうに雑誌を切り抜く女の子の周りで、彼女の気持ちに沿うように笑みを浮かべやさしく踊る。指でハートを描き、ワンピースの女の子への恋心を応援しているようだった。恋心を露にしたとき、ワンピースの女の子は去って行った。主役の女の子の目が彼女のショックの大きさをとてもうまく表現していた。このとき胃の上のほうをつかまれるような感じがして、本当に切なかった。
印象的な小道具が二つある。一つは主役の女の子が買った雑誌「ゴシック&ロリータバイブル」、もう一つは作品の中で女の子が書いていた手紙だ。手紙は枕元に置いて就寝すると、MIREIがそっと持ち去った。そして別の日にLAVITがそっと枕元に返す。雑誌は女の子が帰宅途中に読んでいるとき、近くのゴミ箱に同じ雑誌が投げ捨てられた。それを暗い瞳をしたMIREIが拾い上げる。すくなくとも手紙を持ち去ったMIREIに女の子は気づいていたし、映像のラスト近くで雑誌を捨てたのは女の子自身であることが分かる。
恋の応援をしていたLAVITは傷ついた女の子を慰めはしなかった。ラストのダンスはLAVITの衣装は黒だったし、表情から笑顔がなくなっていた。LAVIT自身が女の子、もしくは女の子の生きる道に失望したようだった。主役の女の子はワンピースの女の子に触れた。それは恋愛感情の表れだ。触れた先にさらに深い接触を期待していただろう。それを拒まれた。その後彼女は金銭で彼女自体は求めていない接触を提示される。彼女の中できれいに見えたものが一気に汚くなった瞬間だ。LAVITはその影響を強く受けていた。単純に考えれば、MIREIもLAVITも主役の女の子自身だったのだろう。LAVITは少女の頃、MIREIはすべてを知った後の彼女だったのではないだろうか。だとしたら、主役の女の子はキラキラした少女の頃を人生の頂点にしたまま前に進めていない。
この文章は、2020年11月21日(土)20:00開演のMIREI / LAVIT『Separate』についての劇評です。
この世界のどこにでも隔たりがあって、誰かと誰かは引き離される。一緒にいたいという願いは、簡単には叶わない。MIREI / LAVIT『Separate』(作・演出:中元ミレイ、振付:LAVIT)は、コロナ禍の現状において、より顕著に様々な場面で見られるようになった「隔たり」を表現した映像作品である。YouTube上で公開された作品で完成しているが、金沢市民芸術村での公演では、MIREIとLAVIT、ダンサー二人の出演があり、映像にプラスした演出がなされていた。
舞台下手前方に、ギター奏者で、映像の音楽を担当しているKantaroが登場する。下手から黒い衣装のMIREIが、上手から白い衣装のLAVITが現れて、踊り出す。しばらくすると、舞台後方のスクリーンにYouTubeで公開されている映像が流れる。映像の場面は夜の街。飲食店で洗い物の仕事をしている女性(Hiroka)。仕事を終えたらしい彼女は、書店でゴシック&ロリータの雑誌を買う。自室と思わしき場所で、彼女は楽しそうに雑誌を読んでいる。ところが、ゴミ箱がアップになると、そこに彼女が読んでいた雑誌が捨てられる。その雑誌を拾い上げたのは、黒い衣装のMIREIだった。Hirokaは雑誌を見ながら、手紙を書く。MIREIは何かを自分に引きつけるような動作を交えながら、激しく踊る。映像上でMIREIが登場しているこの時には、舞台上にもMIREIが現れ、映像とリアルの二人は、時にシンクロするように踊る。映像にて、Hirokaは手紙をベッドの枕元に置き、眠る。その手紙をMIREIが取る。
場面が変わり、木漏れ日の眩しい公園で、Hirokaが女性(Sena)の写真を撮っている。金髪で赤いベレー帽にピンクのワンピースを着たSenaは、黒髪のショートカットでパンツを履いているHirokaとは雰囲気の違う女の子だが、二人は仲よさそうにしている。場面が変わり、Hirokaは机で雑誌を切り抜いて、スクラップブックを作っている。その彼女の背後に、白い衣装のLAVITが登場し、軽やかに回ったり、両手で鳥の飛ぶ様を表現したりと、しなやかに踊る。ここでも、映像上のLAVITと、舞台上のLAVITが共に踊る。映像では、Hirokaが眠ったベッドに、LAVITが手紙を置く。
HirokaはSenaにスクラップブックを見せている。ふいに、Senaの髪を手に取ったHirokaは、Senaに軽く抱き付く。しかし、Senaは立ち上がり、去ってしまう。その後、一人でコーヒーのプラカップを手に、街を笑顔で歩くSena。場所が変わり、そこには光線を真ん中にして、踊るMIREIとLAVITがいる。二人は、そこに壁があるようなパントマイムの動きを交えて踊っている。立ち位置を入れ替えて、すれ違い、何かに手を伸ばし、その手を胸にあてる。映像のラストで、Hirokaは雑誌をゴミ箱に捨てる。Hirokaは立ち去るが、それは、雑誌に載っているような彼女の憧れからの決別の現れだろう。
舞台上では、映像が終わった後にもダンサーの二人が登場する。黒い衣装だったMIREIが白い衣装で、白い衣装だったLAVITが黒い衣装で登場する。二人は振りなども入れ替えて踊る。緻密な振付がなされていた。しかし、ただ役割を交代したわけでもなさそうだ。最初に登場した白いLAVITは終始笑顔だったが、白になったMIREIは笑顔ではない。MIREIもLAVITも笑わず、表情を動かさずに踊っていた。白が明るく、黒が暗いと、単純化できるものではない。どちらがいいとか悪いとか、そんなふうに簡単には分けられない。ある面から見ればどちらかがよく見え、また別の面から見れば違う。視点の多様性には、物事を複雑にする作用もある。様々な物事が受け入れられる世界は自由だが、なんでもありの世界を受け止めていくのは、秩序だった世界を生きるよりも大変だろう。物事の個別性を、一つ一つ丁寧に見て考えていかねばならない。
誰かと誰かは、違っている。その違いを受け止めあえるなら幸せだが、果たして現状はそうなっているだろうか。違うものは受け入れられないのではないだろうか。そんな不寛容を強くしている要素の一つが、COVID-19の流行である。様々な予防対策により、人々は物理的に距離を取らされている。身体が側にあれば伝わりやすいという、それこそ単純な問題ではない。しかし、目の前にいるその身体が発する息や、熱が、言語化し難い思いを伝えることがあると、舞台上での二人の踊りを観て感じた。身体を伴わない媒体で、何を伝えることができるだろうか。『Separate』はその実験であり、隔たらざるを得ない現状への悲嘆だ。
(以下は更新前の文章です)
この世界のどこにでも隔たりがあって、誰かと誰かは引き離される。一緒にいたいという願いは、簡単には叶わない。MIREI / LAVIT『Separate』(作・演出:中元ミレイ、振付:LAVIT)は、コロナ禍の現状において、より顕著に様々な場面で見られるようになった「隔たり」を表現した映像作品である。YouTube上で公開された作品で完成しているが、金沢市民芸術村での公演では、MIREIとLAVIT、ダンサー二人の出演があり、映像にプラスした演出がなされていた。
舞台下手前方に、ギター奏者で、映像の音楽を担当しているKantaroが登場する。下手から黒い衣装のMIREIが、上手から白い衣装のLAVITが現れて、踊り出す。しばらくすると、舞台後方のスクリーンにYouTubeで公開されている映像が流れる。映像の場面は夜の街。飲食店で洗い物の仕事をしている女性(Hiroka)。仕事を終えたらしい彼女は、書店でゴシック&ロリータの雑誌を買う。自室と思わしき場所で、彼女は楽しそうに雑誌を読んでいる。ところが、ゴミ箱がアップになると、そこに彼女が読んでいた雑誌が捨てられる。その雑誌を拾い上げたのは、黒い衣装のMIREIだった。Hirokaは雑誌を見ながら、手紙を書く。MIREIは何かを自分に引きつけるような動作を交えながら、激しく踊る。映像上でMIREIが登場しているこの時には、舞台上にもMIREIが現れ、映像とリアルの二人は、時にシンクロするように踊る。映像にて、Hirokaは手紙をベッドの枕元に置き、眠る。その手紙をMIREIが取る。
場面が変わり、木漏れ日の眩しい公園で、Hirokaが女性(Sena)の写真を撮っている。金髪で赤いベレー帽にピンクのワンピースを着たSenaは、黒髪のショートカットでパンツを履いているHirokaとは雰囲気の違う女の子だが、二人は仲よさそうにしている。場面が変わり、Hirokaは机で雑誌を切り抜いて、スクラップブックを作っている。その彼女の背後に、白い衣装のLAVITが登場し、軽やかに回ったり、両手で鳥の飛ぶ様を表現したりと、しなやかに踊る。ここでも、映像上のLAVITと、舞台上のLAVITが共に踊る。映像では、Hirokaが眠ったベッドに、LAVITが手紙を置く。
HirokaはSenaにスクラップブックを見せている。ふいに、Senaの髪を手に取ったHirokaは、Senaに軽く抱き付く。しかし、Senaは立ち上がり、去ってしまう。一人、コーヒーのプラカップを手に、街を笑顔で歩くSena。光線を真ん中にして、踊るMIREIとLAVIT。二人はそこに壁があるようなパントマイムの動きを交えている。二人は立ち位置を入れ替えて、すれ違い、何かに手を伸ばし、その手を胸にあてる。
映像のラストで、Hirokaは雑誌をゴミ箱に捨てる。それは始めのほうで雑誌が捨てられた場面とループしているのだろう。Hirokaは立ち去るが、それは、雑誌に載っているような彼女の憧れからの決別の現れだろうか。では、ループしている構造はどのような意図があるのだろう。疑問点は他にもある。手紙の存在だ。彼女はそこに何を書き留め、MIREIとLAVITはそこから何を受け取り、返したのか。
舞台上では、映像が終わった後にもダンサーの二人が登場する。黒い衣装だったMIREIが白い衣装で、白い衣装だったLAVITが黒い衣装で登場する。二人は振りなども入れ替えて踊る。緻密な振付がなされていた。しかし、ただ役割を交代したわけでもなさそうだ。最初に登場した白いLAVITは終始笑顔だったが、白になったMIREIは笑顔ではない。MIREIもLAVITも笑わず、表情を動かさずに踊っていた。白が明るく、黒が暗いと、単純化できるものではない。どちらがいいとか悪いとか、そんなふうに簡単には分けられない。ある面から見ればどちらかがよく見え、また別の面から見れば違う。視点の多様性には、物事を複雑にする作用もある。様々な物事が受け入れられる世界は自由だが、なんでもありの世界を受け止めていくのは、秩序だった世界を生きるよりも大変だろう。物事の個別性を、一つ一つ丁寧に見て考えていかねばならない。
誰かと誰かは、違っている。その違いを受け止めあえるなら幸せだが、果たして現状はそうなっているだろうか。違って目立つ何かは攻撃される。違っているから受け入れられない。そんな状態なのではないだろうか。その不寛容を強くしている要素の一つが、COVID-19の流行である。様々な予防対策により、人々は物理的にも距離を取らされることとなっている。身体が側にあれば伝わりやすいという、それこそ単純な問題ではない。しかし、目の前にいるその身体が発する息や、熱が、何かを伝えることがある。その機会を取り上げられている今、身体を伴わない媒体で、何を伝えることができるだろうか。『Separate』はその実験であり、隔たりに悲嘆する切実な思いだ。
この世界のどこにでも隔たりがあって、誰かと誰かは引き離される。一緒にいたいという願いは、簡単には叶わない。MIREI / LAVIT『Separate』(作・演出:中元ミレイ、振付:LAVIT)は、コロナ禍の現状において、より顕著に様々な場面で見られるようになった「隔たり」を表現した映像作品である。YouTube上で公開された作品で完成しているが、金沢市民芸術村での公演では、MIREIとLAVIT、ダンサー二人の出演があり、映像にプラスした演出がなされていた。
舞台下手前方に、ギター奏者で、映像の音楽を担当しているKantaroが登場する。下手から黒い衣装のMIREIが、上手から白い衣装のLAVITが現れて、踊り出す。しばらくすると、舞台後方のスクリーンにYouTubeで公開されている映像が流れる。映像の場面は夜の街。飲食店で洗い物の仕事をしている女性(Hiroka)。仕事を終えたらしい彼女は、書店でゴシック&ロリータの雑誌を買う。自室と思わしき場所で、彼女は楽しそうに雑誌を読んでいる。ところが、ゴミ箱がアップになると、そこに彼女が読んでいた雑誌が捨てられる。その雑誌を拾い上げたのは、黒い衣装のMIREIだった。Hirokaは雑誌を見ながら、手紙を書く。MIREIは何かを自分に引きつけるような動作を交えながら、激しく踊る。映像上でMIREIが登場しているこの時には、舞台上にもMIREIが現れ、映像とリアルの二人は、時にシンクロするように踊る。映像にて、Hirokaは手紙をベッドの枕元に置き、眠る。その手紙をMIREIが取る。
場面が変わり、木漏れ日の眩しい公園で、Hirokaが女性(Sena)の写真を撮っている。金髪で赤いベレー帽にピンクのワンピースを着たSenaは、黒髪のショートカットでパンツを履いているHirokaとは雰囲気の違う女の子だが、二人は仲よさそうにしている。場面が変わり、Hirokaは机で雑誌を切り抜いて、スクラップブックを作っている。その彼女の背後に、白い衣装のLAVITが登場し、軽やかに回ったり、両手で鳥の飛ぶ様を表現したりと、しなやかに踊る。ここでも、映像上のLAVITと、舞台上のLAVITが共に踊る。映像では、Hirokaが眠ったベッドに、LAVITが手紙を置く。
HirokaはSenaにスクラップブックを見せている。ふいに、Senaの髪を手に取ったHirokaは、Senaに軽く抱き付く。しかし、Senaは立ち上がり、去ってしまう。その後、一人でコーヒーのプラカップを手に、街を笑顔で歩くSena。場所が変わり、そこには光線を真ん中にして、踊るMIREIとLAVITがいる。二人は、そこに壁があるようなパントマイムの動きを交えて踊っている。立ち位置を入れ替えて、すれ違い、何かに手を伸ばし、その手を胸にあてる。映像のラストで、Hirokaは雑誌をゴミ箱に捨てる。Hirokaは立ち去るが、それは、雑誌に載っているような彼女の憧れからの決別の現れだろう。
舞台上では、映像が終わった後にもダンサーの二人が登場する。黒い衣装だったMIREIが白い衣装で、白い衣装だったLAVITが黒い衣装で登場する。二人は振りなども入れ替えて踊る。緻密な振付がなされていた。しかし、ただ役割を交代したわけでもなさそうだ。最初に登場した白いLAVITは終始笑顔だったが、白になったMIREIは笑顔ではない。MIREIもLAVITも笑わず、表情を動かさずに踊っていた。白が明るく、黒が暗いと、単純化できるものではない。どちらがいいとか悪いとか、そんなふうに簡単には分けられない。ある面から見ればどちらかがよく見え、また別の面から見れば違う。視点の多様性には、物事を複雑にする作用もある。様々な物事が受け入れられる世界は自由だが、なんでもありの世界を受け止めていくのは、秩序だった世界を生きるよりも大変だろう。物事の個別性を、一つ一つ丁寧に見て考えていかねばならない。
誰かと誰かは、違っている。その違いを受け止めあえるなら幸せだが、果たして現状はそうなっているだろうか。違うものは受け入れられないのではないだろうか。そんな不寛容を強くしている要素の一つが、COVID-19の流行である。様々な予防対策により、人々は物理的に距離を取らされている。身体が側にあれば伝わりやすいという、それこそ単純な問題ではない。しかし、目の前にいるその身体が発する息や、熱が、言語化し難い思いを伝えることがあると、舞台上での二人の踊りを観て感じた。身体を伴わない媒体で、何を伝えることができるだろうか。『Separate』はその実験であり、隔たらざるを得ない現状への悲嘆だ。
(以下は更新前の文章です)
この世界のどこにでも隔たりがあって、誰かと誰かは引き離される。一緒にいたいという願いは、簡単には叶わない。MIREI / LAVIT『Separate』(作・演出:中元ミレイ、振付:LAVIT)は、コロナ禍の現状において、より顕著に様々な場面で見られるようになった「隔たり」を表現した映像作品である。YouTube上で公開された作品で完成しているが、金沢市民芸術村での公演では、MIREIとLAVIT、ダンサー二人の出演があり、映像にプラスした演出がなされていた。
舞台下手前方に、ギター奏者で、映像の音楽を担当しているKantaroが登場する。下手から黒い衣装のMIREIが、上手から白い衣装のLAVITが現れて、踊り出す。しばらくすると、舞台後方のスクリーンにYouTubeで公開されている映像が流れる。映像の場面は夜の街。飲食店で洗い物の仕事をしている女性(Hiroka)。仕事を終えたらしい彼女は、書店でゴシック&ロリータの雑誌を買う。自室と思わしき場所で、彼女は楽しそうに雑誌を読んでいる。ところが、ゴミ箱がアップになると、そこに彼女が読んでいた雑誌が捨てられる。その雑誌を拾い上げたのは、黒い衣装のMIREIだった。Hirokaは雑誌を見ながら、手紙を書く。MIREIは何かを自分に引きつけるような動作を交えながら、激しく踊る。映像上でMIREIが登場しているこの時には、舞台上にもMIREIが現れ、映像とリアルの二人は、時にシンクロするように踊る。映像にて、Hirokaは手紙をベッドの枕元に置き、眠る。その手紙をMIREIが取る。
場面が変わり、木漏れ日の眩しい公園で、Hirokaが女性(Sena)の写真を撮っている。金髪で赤いベレー帽にピンクのワンピースを着たSenaは、黒髪のショートカットでパンツを履いているHirokaとは雰囲気の違う女の子だが、二人は仲よさそうにしている。場面が変わり、Hirokaは机で雑誌を切り抜いて、スクラップブックを作っている。その彼女の背後に、白い衣装のLAVITが登場し、軽やかに回ったり、両手で鳥の飛ぶ様を表現したりと、しなやかに踊る。ここでも、映像上のLAVITと、舞台上のLAVITが共に踊る。映像では、Hirokaが眠ったベッドに、LAVITが手紙を置く。
HirokaはSenaにスクラップブックを見せている。ふいに、Senaの髪を手に取ったHirokaは、Senaに軽く抱き付く。しかし、Senaは立ち上がり、去ってしまう。一人、コーヒーのプラカップを手に、街を笑顔で歩くSena。光線を真ん中にして、踊るMIREIとLAVIT。二人はそこに壁があるようなパントマイムの動きを交えている。二人は立ち位置を入れ替えて、すれ違い、何かに手を伸ばし、その手を胸にあてる。
映像のラストで、Hirokaは雑誌をゴミ箱に捨てる。それは始めのほうで雑誌が捨てられた場面とループしているのだろう。Hirokaは立ち去るが、それは、雑誌に載っているような彼女の憧れからの決別の現れだろうか。では、ループしている構造はどのような意図があるのだろう。疑問点は他にもある。手紙の存在だ。彼女はそこに何を書き留め、MIREIとLAVITはそこから何を受け取り、返したのか。
舞台上では、映像が終わった後にもダンサーの二人が登場する。黒い衣装だったMIREIが白い衣装で、白い衣装だったLAVITが黒い衣装で登場する。二人は振りなども入れ替えて踊る。緻密な振付がなされていた。しかし、ただ役割を交代したわけでもなさそうだ。最初に登場した白いLAVITは終始笑顔だったが、白になったMIREIは笑顔ではない。MIREIもLAVITも笑わず、表情を動かさずに踊っていた。白が明るく、黒が暗いと、単純化できるものではない。どちらがいいとか悪いとか、そんなふうに簡単には分けられない。ある面から見ればどちらかがよく見え、また別の面から見れば違う。視点の多様性には、物事を複雑にする作用もある。様々な物事が受け入れられる世界は自由だが、なんでもありの世界を受け止めていくのは、秩序だった世界を生きるよりも大変だろう。物事の個別性を、一つ一つ丁寧に見て考えていかねばならない。
誰かと誰かは、違っている。その違いを受け止めあえるなら幸せだが、果たして現状はそうなっているだろうか。違って目立つ何かは攻撃される。違っているから受け入れられない。そんな状態なのではないだろうか。その不寛容を強くしている要素の一つが、COVID-19の流行である。様々な予防対策により、人々は物理的にも距離を取らされることとなっている。身体が側にあれば伝わりやすいという、それこそ単純な問題ではない。しかし、目の前にいるその身体が発する息や、熱が、何かを伝えることがある。その機会を取り上げられている今、身体を伴わない媒体で、何を伝えることができるだろうか。『Separate』はその実験であり、隔たりに悲嘆する切実な思いだ。
この文章は、2020年11月14日(土)19:00開演の北陸つなげて広げるプロジェクト『マジックマッシュRoom』についての劇評です。
日本語では「菌」と一文字で書いて「きのこ」と読む。きのこと細菌とウイルスは、それぞれ別物のはずだが、何となく頭の中でゴッチャになっているのは私だけだろうか。今年は新型コロナウイルスに振り回された一年だった。政府が発令した緊急事態宣言やその後も要請された「自粛」により、演劇界も公演中止や入場制限など大きな影響を受けた。そんな中で、「かなざわリージョナルシアター2020げきみる」の一環として、金沢市民芸術村ドラマ工房で上演された北陸つなげて広げるプロジェクト『マジックマッシュRoom』(振付・演出・映像:宝栄美希)。きのことウイルスのイメージをおそらく意図的にまぜこぜに(=マッシュアップ)しながら、自宅待機で気が狂いそうだった日々をシニカルかつチャーミングに描いたコンテンポラリーダンス作品だ。
タイトルは、幻覚作用のある毒キノコ「マジックマッシュルーム(Magic mushroom)」と外出自粛でゴロゴロしていた部屋(Room)を引っかけているようで、やや自嘲気味だ。舞台では、お気に入りのクッションを固く抱き締め、身体をダルマのように丸くして、床の上を転がり回るダンサーたち。同様に、缶入りアルコール飲料で乾杯して飲み干したりもした。また、立ちながら本を読んでいる人に他の人が横から近づいて本をサッと取り上げると、読書家の手にはきれいなブックカバーだけが残るシーンは、緊急事態宣言の頃にSNSで流行した「ブックカバーチャレンジ」を思わせた。本を取られた読書家はカバーを床に投げ捨て、また次の人から本を奪う……。やがてブックカバーが床一面に散乱するのだが、その数と鮮やかな色彩は、自粛期間の長さと心の中に積もり積もった鬱屈の量を示していた。
そんなユウウツ極まりない日常の中で、いきなり可愛い衣装に身を包んだアイドルたちが現れて踊り出す。その衣装には目も覚めるような原色や水玉模様が使われており、毒キノコを連想してしまった。そのシーンでバックに流れたNiziU(ニジュー)のヒット曲「Make you happy」。今年6月にプレデビューしたNiziUは日本人だけで結成されたK-POPガールズグループであり、新人ながらミュージック・ビデオの再生回数は1億6000万回と驚異的な記録を打ち立てた。私もいち早くファンクラブに入ったが、今回のダンス作品を踏まえて考えてみれば、彼女たちはコロナ下で蟄居を余儀なくされた人々の眼に差し込んだ美しい幻だったのか。やがて正面のスクリーンにウイルスを拡大した顕微鏡写真や感染者数が増加の一途を辿るグラフが表示される。その前で男性ダンサーがソロで乱舞した挙句に倒れ込んだのだが、コロナによる死を表現しているように見えた。
かなり無惨な話にもかかわらず、出演した8人の市民ダンサーたちにはほんわかした雰囲気が漂っていた。本当にいい人たちなんだな、と思った。しかし、終盤にドキリとさせられるシーンがあった。ダンサーたちは床の上に仰向けに寝転び、両腕を下から持ち上げながら、きのこが土の中から伸びて傘を膨らませていく様子を群舞で表現していた。気になったのは、きのこを演じるダンサーたちが、身体の下に「新聞紙」を敷いていたことだ。新聞紙を敷いたからには、野や山に自生するきのこではあるまい。鉢植えの屋内栽培に違いない。その少し前にスクリーンで流れた映像には「(マジックマッシュルームは)2002年に規制された」と文字で明記されていた。すなわち現時点では違法と知りつつ、栽培していることになる。
人々が「自粛」した果て、幻覚を見るに至ったという設定自体が社会に対する皮肉になっていた。また、善良そうな顔をした市民ダンサーたち自身がどこまで毒キノコの栽培という意味を理解していたかは不明だが、わかっていながら外面(そとづら)を取り繕っていたのなら、相当の確信犯だ。いずれにせよ、この作品がカワイイ装いの下に「毒」を隠し持っていたことは間違いない。
日本語では「菌」と一文字で書いて「きのこ」と読む。きのこと細菌とウイルスは、それぞれ別物のはずだが、何となく頭の中でゴッチャになっているのは私だけだろうか。今年は新型コロナウイルスに振り回された一年だった。政府が発令した緊急事態宣言やその後も要請された「自粛」により、演劇界も公演中止や入場制限など大きな影響を受けた。そんな中で、「かなざわリージョナルシアター2020げきみる」の一環として、金沢市民芸術村ドラマ工房で上演された北陸つなげて広げるプロジェクト『マジックマッシュRoom』(振付・演出・映像:宝栄美希)。きのことウイルスのイメージをおそらく意図的にまぜこぜに(=マッシュアップ)しながら、自宅待機で気が狂いそうだった日々をシニカルかつチャーミングに描いたコンテンポラリーダンス作品だ。
タイトルは、幻覚作用のある毒キノコ「マジックマッシュルーム(Magic mushroom)」と外出自粛でゴロゴロしていた部屋(Room)を引っかけているようで、やや自嘲気味だ。舞台では、お気に入りのクッションを固く抱き締め、身体をダルマのように丸くして、床の上を転がり回るダンサーたち。同様に、缶入りアルコール飲料で乾杯して飲み干したりもした。また、立ちながら本を読んでいる人に他の人が横から近づいて本をサッと取り上げると、読書家の手にはきれいなブックカバーだけが残るシーンは、緊急事態宣言の頃にSNSで流行した「ブックカバーチャレンジ」を思わせた。本を取られた読書家はカバーを床に投げ捨て、また次の人から本を奪う……。やがてブックカバーが床一面に散乱するのだが、その数と鮮やかな色彩は、自粛期間の長さと心の中に積もり積もった鬱屈の量を示していた。
そんなユウウツ極まりない日常の中で、いきなり可愛い衣装に身を包んだアイドルたちが現れて踊り出す。その衣装には目も覚めるような原色や水玉模様が使われており、毒キノコを連想してしまった。そのシーンでバックに流れたNiziU(ニジュー)のヒット曲「Make you happy」。今年6月にプレデビューしたNiziUは日本人だけで結成されたK-POPガールズグループであり、新人ながらミュージック・ビデオの再生回数は1億6000万回と驚異的な記録を打ち立てた。私もいち早くファンクラブに入ったが、今回のダンス作品を踏まえて考えてみれば、彼女たちはコロナ下で蟄居を余儀なくされた人々の眼に差し込んだ美しい幻だったのか。やがて正面のスクリーンにウイルスを拡大した顕微鏡写真や感染者数が増加の一途を辿るグラフが表示される。その前で男性ダンサーがソロで乱舞した挙句に倒れ込んだのだが、コロナによる死を表現しているように見えた。
かなり無惨な話にもかかわらず、出演した8人の市民ダンサーたちにはほんわかした雰囲気が漂っていた。本当にいい人たちなんだな、と思った。しかし、終盤にドキリとさせられるシーンがあった。ダンサーたちは床の上に仰向けに寝転び、両腕を下から持ち上げながら、きのこが土の中から伸びて傘を膨らませていく様子を群舞で表現していた。気になったのは、きのこを演じるダンサーたちが、身体の下に「新聞紙」を敷いていたことだ。新聞紙を敷いたからには、野や山に自生するきのこではあるまい。鉢植えの屋内栽培に違いない。その少し前にスクリーンで流れた映像には「(マジックマッシュルームは)2002年に規制された」と文字で明記されていた。すなわち現時点では違法と知りつつ、栽培していることになる。
人々が「自粛」した果て、幻覚を見るに至ったという設定自体が社会に対する皮肉になっていた。また、善良そうな顔をした市民ダンサーたち自身がどこまで毒キノコの栽培という意味を理解していたかは不明だが、わかっていながら外面(そとづら)を取り繕っていたのなら、相当の確信犯だ。いずれにせよ、この作品がカワイイ装いの下に「毒」を隠し持っていたことは間違いない。
この文章は、2020年11月14日(土)19:00開演の北陸つなげて広げるプロジェクト『マジックマッシュRoom』についての劇評です。
今年の「げきみる」はどうしてもコロナ禍の影響が出てしまう。北陸つなげて広げるプロジェクトのダンスパフォーマンスもコロナ禍だからこそ生まれた設定だ。『マジックマッシュROOM』(振付・演出・映像/宝栄美希)は麻薬取締法で禁止されているマジックマッシュルームとコロナ禍で閉じこもらざるを得なかった部屋(ROOM)を掛けている。
2020年4月、コロナウイルス感染拡大防止のために多くの人が外出を自粛するという選択をした。その頃の私たちの姿をパフォーマーたちは表現していく。あまり色味の強くない衣装は部屋着だろうか。7人のパフォーマーがクッションを持って床をごろごろしていく。しばらく転がっていたが生活する中でごろごろするにも限界がある。パフォーマンススペースに残った3人はそれぞれ本を読み始める。読み終えた本の表紙は次々に床に放り投げられていく。正面のスクリーンには「#7日間ブックカバーチャレンジ」のハッシュタグを使ったSNS画面が投影される。この頃はいろんなハッシュタグ付のチャレンジを目にした。友人の何人かは同じようにブックカバーチャレンジをしていたし、手洗いチャレンジ動画をアップする俳優をよく目にしたりした。○○チャレンジは次にチャレンジする人を指名して繋がっていく。突然直接繋がれない世界になってしまった中で、人と繋がる方法の一つだった。同時にWEB会議システムがものすごい速さで普及していった。そこで生まれたのはオンライン飲み会だ。私も友人に会いたくて、WEB会議システムを利用していた。今でも慣れたメンバーとの打合せはLINEビデオ通話で済ます。移動時間がなくて楽だ。だが自粛していた期間はオンラインしか選択肢がないかのような雰囲気だった。パフォーマンススペースではオンライン飲み会の様子も表現される。先ほどとは別の3人が缶を1本ずつ持ってリズムに合わせて缶を隣に移動させ、回ってきた缶を煽るように飲む。缶を床に置くときの軽快なテンポと音が飲み会の楽しさを伝えてくる。だが、お酒に酔ったのか画面越しの繋がりに疲れたのか、パフォーマーはフラフラとした動きをし始めた。飲み会の雰囲気がトーンダウンし場面が変わる。
静かに8人のパフォーマーが床に寝そべり、手指を胸の辺りで動かしたり、手のひらをすり合わせたり、天井に向かって伸ばしたりする。スクリーンにはパフォーマーの影が映るだけだ。次の場面ではスペースの四隅のうちの三つに体育座りで3人のパフォーマーがそれぞれ座り、真ん中にスマートフォンが置かれる。そこへれ赤や緑、紫、大きな水玉など、これまでとは違ったはっきりした色目の衣装を着た7人のパフォーマーが入ってきた。カラフルな衣装の7人は同じ方向に行進するような動きがあったり、時々何人かがしゃがみこんだり、折り紙を折ったり、一抱えぐらいある今川焼きの形をしたクッションを3つ空中で重ねたりバラしたり、いくつかの場面が表現されていった。コロナ禍の生活は表現が分かりやすかったが、その後演じられたいくつかの場面はどう捉えていいかわからなかった。部屋の中でオンラインに頼った生活をしていた私達が見た「幻覚」なのだろうか。
気がつくと黒いシャツにパンツ姿の一人のパフォーマーが正面の奥で踊っていた。スクリーンにはコロナウイルス感染者のグラフらしきものや、口から肺への呼吸を描いたイラストが何回も映し出された。コロナウイルスの写真は何枚も何枚も続いてしつこく感じた。7人は1~2枚の新聞紙を床に置くと、その隅に立った。そして徐々にうつむいていく。黒いシャツのパフォーマーは踊り続けている。7人はどんどん屈んでいく。バックに流れていた音楽が小鳥のさえずりに変わった。スクリーンには草木を連想させる緑が投影されている。7人は屈んでいってそのまま横になった。ここで少し息を吐けた気がする。目に見える緑と小鳥のさえずりは心を緩めてくれた。さえずりが音楽に変わると、パフォーマーは腕を伸ばしだんだん起き上がる。今、私が生きている世界はこの部分かもしれない。スクリーンは緑から赤色のバラのようなイラストに変わった。赤い色はこの先の希望を表す色だろうか。
今年の「げきみる」はどうしてもコロナ禍の影響が出てしまう。北陸つなげて広げるプロジェクトのダンスパフォーマンスもコロナ禍だからこそ生まれた設定だ。『マジックマッシュROOM』(振付・演出・映像/宝栄美希)は麻薬取締法で禁止されているマジックマッシュルームとコロナ禍で閉じこもらざるを得なかった部屋(ROOM)を掛けている。
2020年4月、コロナウイルス感染拡大防止のために多くの人が外出を自粛するという選択をした。その頃の私たちの姿をパフォーマーたちは表現していく。あまり色味の強くない衣装は部屋着だろうか。7人のパフォーマーがクッションを持って床をごろごろしていく。しばらく転がっていたが生活する中でごろごろするにも限界がある。パフォーマンススペースに残った3人はそれぞれ本を読み始める。読み終えた本の表紙は次々に床に放り投げられていく。正面のスクリーンには「#7日間ブックカバーチャレンジ」のハッシュタグを使ったSNS画面が投影される。この頃はいろんなハッシュタグ付のチャレンジを目にした。友人の何人かは同じようにブックカバーチャレンジをしていたし、手洗いチャレンジ動画をアップする俳優をよく目にしたりした。○○チャレンジは次にチャレンジする人を指名して繋がっていく。突然直接繋がれない世界になってしまった中で、人と繋がる方法の一つだった。同時にWEB会議システムがものすごい速さで普及していった。そこで生まれたのはオンライン飲み会だ。私も友人に会いたくて、WEB会議システムを利用していた。今でも慣れたメンバーとの打合せはLINEビデオ通話で済ます。移動時間がなくて楽だ。だが自粛していた期間はオンラインしか選択肢がないかのような雰囲気だった。パフォーマンススペースではオンライン飲み会の様子も表現される。先ほどとは別の3人が缶を1本ずつ持ってリズムに合わせて缶を隣に移動させ、回ってきた缶を煽るように飲む。缶を床に置くときの軽快なテンポと音が飲み会の楽しさを伝えてくる。だが、お酒に酔ったのか画面越しの繋がりに疲れたのか、パフォーマーはフラフラとした動きをし始めた。飲み会の雰囲気がトーンダウンし場面が変わる。
静かに8人のパフォーマーが床に寝そべり、手指を胸の辺りで動かしたり、手のひらをすり合わせたり、天井に向かって伸ばしたりする。スクリーンにはパフォーマーの影が映るだけだ。次の場面ではスペースの四隅のうちの三つに体育座りで3人のパフォーマーがそれぞれ座り、真ん中にスマートフォンが置かれる。そこへれ赤や緑、紫、大きな水玉など、これまでとは違ったはっきりした色目の衣装を着た7人のパフォーマーが入ってきた。カラフルな衣装の7人は同じ方向に行進するような動きがあったり、時々何人かがしゃがみこんだり、折り紙を折ったり、一抱えぐらいある今川焼きの形をしたクッションを3つ空中で重ねたりバラしたり、いくつかの場面が表現されていった。コロナ禍の生活は表現が分かりやすかったが、その後演じられたいくつかの場面はどう捉えていいかわからなかった。部屋の中でオンラインに頼った生活をしていた私達が見た「幻覚」なのだろうか。
気がつくと黒いシャツにパンツ姿の一人のパフォーマーが正面の奥で踊っていた。スクリーンにはコロナウイルス感染者のグラフらしきものや、口から肺への呼吸を描いたイラストが何回も映し出された。コロナウイルスの写真は何枚も何枚も続いてしつこく感じた。7人は1~2枚の新聞紙を床に置くと、その隅に立った。そして徐々にうつむいていく。黒いシャツのパフォーマーは踊り続けている。7人はどんどん屈んでいく。バックに流れていた音楽が小鳥のさえずりに変わった。スクリーンには草木を連想させる緑が投影されている。7人は屈んでいってそのまま横になった。ここで少し息を吐けた気がする。目に見える緑と小鳥のさえずりは心を緩めてくれた。さえずりが音楽に変わると、パフォーマーは腕を伸ばしだんだん起き上がる。今、私が生きている世界はこの部分かもしれない。スクリーンは緑から赤色のバラのようなイラストに変わった。赤い色はこの先の希望を表す色だろうか。