(劇評・12/10更新)「試される想像力」なかむらゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
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この文章は、2022年12月3日(土)18:00開演の劇団血パンダ『冬の練習問題』についての劇評です。

「観測所」と呼ばれる施設で働く8人のスタッフが登場する。物資は本土から船で運ばれてくる。場所の描写はそれだけだ。あとは観客の想像力しだいだ。

劇場は、げきみるではおなじみのドラマ工房だが、普段活動の拠点を富山に置く劇団血パンダによって、いつもと少し違う空間の使われ方をしていた。普段はバックステージとなったり、客席の裏側になったりして見えない部分を、まるでしつらえたセットのように使用。劇場の階段を使うことで劇中の施設全体の大きさをイメージしやすくなった。柱は普段は視界を遮る邪魔な存在でしかなかったが、舞台と客席の境界として生きていた。もともとの劇場の広さの半分かそれ以下のスペースを主なアクティングエリアとしていたが、客席を舞台を三方から囲む形にして余った空間を感じさせない工夫がされていた。

劇団血パンダ『冬の練習問題』で描かれていたのは観測所の日常だ。8人の登場人物は一見ごく普通の人たちで、特に奇抜な行動をする人はいない。作業服のスタッフがいるかと思うと、普段着のスタッフもいる。普段着のスタッフの中には勤務時間外だと思われるものもいる。シェフもいるので食事もすべてこの施設の中で用意されているようだ。会話の中には特に事件はなく盛り上がりもなく、いつものメンバーでいつものように会話がつながっていく。

平坦な日常が続く観測所にこの日問題が起こる。施設内の設備から異音が発生したのだ。観測データを取っていたスタッフは、観測対象にも異常があることを伝えてくる。異音が何なのかはわからない。観客には観測対象もはっきりとわからない。12年前にも同じようなことが起こっていて、観測所の判断として、全員避難することになる。避難するのは明日だ。緊急事態であるはずなのに、スタッフの間ではそれまでと変わらないテンションで日常会話が続く。テンションは変わらないが過去に後悔した出来事を告白したり、避難することで使えなくなる生鮮食品を調理したり、行動は非日常だ。緊急事態での落ち着きは、もしかすると「まだ大丈夫」「今回は大丈夫」といった正常性バイアスが掛かっているのかもしれない。

気になるのは12年前にも同じようなことが起こったということだ。現実世界で考えてみると、東日本大震災から来年で丸12年だ。震災によって原子力発電所が危険な施設になりうると、誰の目にも明らかになったときだ。この観測所は、危険な施設になりうるものなのだろう。本土からは離れていて、常に何かを観測をし、異常があれば全員退避をしなければならない施設。しかし、そこに働く人だけが避難すればよいのだとすれば、いま、私たちが住んでいるこの地域より人的被害が出ることは少ないのかもしれない。夫の実家に行くときは原子力発電所の近くを通る。海と山に囲まれていて、人口が少ない地域だ。滞在中に事故が起これば自宅には帰れない。この観測所のように「本土」から隔離された状態になるだろうというイメージはずっと持っていた。

具体的に何もわからない観測所での出来事は、見る人にとって違う物語になる。観測所は原子力関連の施設だと捉えた私は、観測しているのはゴジラ的なものかもしれないと一瞬思った。イメージするゴジラは古い白黒映像のもので、そのゴジラは放射能によって生まれた怪獣であるという知識がうっすらあったからだ(Wikipediaによると1954年ビキニ環礁の水爆実験で飛散した放射能により生まれた怪獣とある)。この作品の中で、何を観測しているのかわからなかったが、観測することで危険が回避できるなら、科学が人の安全を守ることになるのだろうか。隔離しなければいけない施設はそもそも人の安全を脅かしているのだろうか。忘れかけていた不安を思い起こし、改めて人が安全に生きることについて考えた。


(以下は更新前の文章です)



「観測所」と呼ばれる施設で働く8人のスタッフが登場する。物資は本土から船で運ばれてくる。場所の描写はそれだけだ。あとは観客の想像力しだいだ。

劇場は、げきみるではおなじみのドラマ工房だが、普段活動の拠点を富山に置く劇団血パンダによって、いつもと少し違う空間の使われ方をしていた。
今回のアクティングエリアは入り口近くでこぢんまりと作られていた。あまり大きくない正方形に近いテーブルは、一つの辺に一人座るのがやっとの大きさだ。テーブルのまわりにあまり多くのスペースはとっていない。
手前にはドラマ工房の柱と柱を結ぶ空間が、演者と観客を区切っているようだった。
奥は壁で、階段は右の上階から直接この部屋につながっている。
柱も壁も階段も、ドラマ工房にもともとある構造を利用したものだ。
客席はアクティングエリアから見て正面と左右に階段状で3段ほどの高さで設置されていた。左の客席の後ろは使われていなかった。明かりもなかったので暗い空間となっていた。
ただ、入り口からみて対角線上の位置にある2階部分はアクティングエリアの一つになっていた。

描かれていたのは観測所の日常だ。8人の登場人物は一見ごく普通の人たちで、特に奇抜な行動をする人はいない。
作業服のスタッフがいるかと思うと、普段着のスタッフもいる。
普段着のスタッフの中には勤務時間外だと思われるものもいる。
シェフもいるので食事もすべてこの施設の中で用意されているようだ。
会話の中には特に事件はなく盛り上がりもなく、いつものメンバーでいつものように会話がつながっていく。

観劇した日にはアフタートークがあって、劇団血パンダ団長でこの『冬の練習問題』の作・演出をつとめる仲悟志の話を聞くことができた。彼は平田オリザや岩松了などに影響を受け、静かな演劇の手法を取り入れているという。
セリフの発し方が意図的なのは伝わってきていた。
ただ、彼の言う日常の熱量での会話ってなんだろう。
その場にいる人間がみんな同じようなテンションで話す様子に違和感があった。
少なくとも私の日常の会話とはだいぶ様子が違うからだ。基本的にテンションが高くてうるさいので、少しは見習ったほうがいいかもしれない。ただ、あのローテンションで、あの長い会話を続けるのは、私にとってそれなりのエネルギーが要りそうだ。

平坦な日常が続く観測所にこの日問題が起こる。施設内の設備から異音が発生したのだ。
観測データを取っていたスタッフは、観測対象にも異常があることを伝えてくる。
異音が何なのかはわからない。観測対象もはっきりとわからない。
12年前にも同じようなことが起こっていて、観測所の判断として、全員避難することになる。
避難するのは明日だ。
緊急事態であるはずなのに、スタッフの間ではそれまでと変わらないテンションで日常会話が続く。
テンションは変わらないが過去に後悔した出来事を告白したり、避難することで使えなくなる生鮮食品を調理したり、行動は非日常だ。
緊急事態での落ち着きは、もしかすると平常バイアスが掛かっているのかもしれない。

気になるのは12年前にも同じようなことが起こったということだ。
現実世界で考えてみると、東日本大震災から来年で丸12年だ。震災によって原子力発電所が危険な施設になりうると、だれの目にも明らかになったときだ。
この観測所は、危険な施設になりうるものなのだろう。本土からは離れていて、常に何かを観測をし、異常があれば全員退避をしなければならない施設。
しかし、そこに働く人だけが避難すればよいのだとすれば、いま、私たちが住んでいるこの地域より人的被害が出ることは少ないかもしれない。
夫の実家に行くときは原子力発電所の近くを通る。海と山に囲まれていて、人口が少ない地域だ。滞在中に事故が起これば家には帰れない。この観測所のように「本土」から隔離された状態になるだろうとイメージをしていた。

どれもこれも具体的にわからない観測所での出来事は、見る人にとって違う物語になる。
観測しているのはゴジラ的なものかもしれないと一瞬思ったが、その理由は観測所が原子力関連の施設だと思ったからだ。どうしても原子力発電所と絡めたイメージしかわかない。
できるならもっとファンタジー的に捕らえてもっと楽しみたかった。
自分の想像力ではゴジラが限界だった。