(劇評・12/7更新)「可能性の芽が見えた」大場さやか | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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この文章は、2022年11月26日(土)19:00開演の演劇ユニット浪漫好-Romance-『なにもん芝居』についての劇評です。

演劇ユニット浪漫好-Romance-の『なにもん芝居』(脚本・演出:高田滉己)は、3作の短編からなる芝居だった。「一体、何者(なにもん)?」と思わせる、人ではない者が出てくることが3作の共通項である。当日パンフレットでの演出家の挨拶によると、それぞれ独立した話で、ストーリー同士に関連性はない。まず、スクリーンにはオープニング映像が流れる。派手な色彩にポップな効果を使って賑やかに、キャストやスタッフを紹介していく。

芝居の上演の最初は『人生保険』。上手から男性(平田涉一郎)が登場するや否や衝撃音がして、どうやら彼は事故に遭って死んでしまったようである。そのことを即座に理解した彼は、そこにいる白い服装に羽根が生えた2人組(岡島大輝、志田絢音)も天使であるとすぐに理解する。天使達は保険の外交員で、次の人生に向けて保険を掛けておくように男性に勧める。交通事故に遭わない、お金に困らない、モテる、なんでも大丈夫だ。ただしその対価として本人の来世の寿命が必要となる。それなら保険はいらないと言う男性を、今度は別の天使達(室木翔斗、柳原成寿)が現れて引き止める。天使は、人が契約した対価の寿命で生きているため、契約させようと必死なのだ。やがて彼ら4人は男性そっちのけで「もしもあなたが勇者だったら」の世界を演じ始める。

天使達のドタバタ劇の最中、男性は、平凡な人生でいい、保険なんかいらないと嘆いた。この人生観のようなものをもっと話の中に取り入れてほしいと感じた。ドタバタコメディであるからこそ、現実味のある設定が垣間見えることで、より話を受け取りやすくなるのではないか。

2作目は『化かし化かされ』。占い館を営むのは狐(山根宝華)。心が見える木の葉の術を使って人を騙し、金を得ている。占いにやってきた一人の女性(山崎真優)。彼女は何かおかしいと、狐は勘づく。実は彼女も狐、しかも稲荷神社の使いの狐だったのだ。

2人の狐はそれぞれ、人間世界に憧れ、その中に飛び込んではみたものの、人間に裏切られている。そんな2人が復讐のために手を取り助け合う話、ではなかった。2人はタイトル通り、化かし合いを展開する。同じように人間に傷付けられた同士でも、それぞれに思うところがあり、簡単に連帯には至らないという結末が少々寂しくもあった。だが、それが彼女達のたくましさなのかもしれない。

最後は『泣く子はいねぇか』である。赤(小石川武仁)と青(岡島大輝)のなまはげが、子どもを泣かそうと、ある家にやってくる。ところが、その家では、夫(室木翔斗)と妻(横川正枝)が離婚を巡って争っていた。夫婦に邪険に扱われるなまはげ2人。それでも彼らから集金をせねばと再挑戦すると、その物音に気が付いたのか、部屋に子ども(山根宝華)が現れる。奮闘するも彼らは、子どもに笑われてしまう。だが、喧嘩してばかりで気に留めていなかった、子どもの笑顔こそが、家庭にとって大事なものであると、夫婦は気付かされる。両親が喧嘩ばかりしていて笑うことができない子どもの、心の動きが見えたなら、この展開とラストはより納得できるものとなっただろう。

3作を観て思うのは、何か全体を通す大きなテーマがあったらよかったということだ。1作目は「人生」、2作目は「復讐」、3作目は「愛情」とするならば、これらをひとまとめにするような何か、例えば「愛憎」であるとかに関連付けることもできたのではないか。また、3作を通して登場する、案内人のようなキャラクターがいてもいいのかもしれないし、アイテムがあってもいいのかもしれない。いろいろな物語を観られるのは楽しいのだが、浪漫好が作る長い1作を観てみたくなったのだ。そう思えたのは、随所に、笑わせるだけではない要素を感じたからである。1作目では人生について考えさせてくれるような雰囲気があった。2、3作目もそれぞれ、考えさせる要素がある。これらに肉付けをしてやれば、厚みのある物語になっていくのではないか。

そして芝居の表現方法であるが、より二次元的にポップな方向にいくか、よりドラマ的に深みのある方向にいくか、大きく二つの方向性が考えられると感じた。オープニング映像に観られるような派手さ、わかりやすさを本編にもっと取り入れることもできるだろう。この方向で進めば、1作目のように、イメージが先行して膨らんでいくマンガのような世界観を、さらに展開することができる。本編中に映像を使うことで、もっと盛り上げることができるかもしれない。

3作目で観られた人間ドラマ的な心の動きについて、脚本への書き込みを増やし、演じていくこともできるだろう。そうするとコント的要素は減ってしまうかもしれないが、笑わせつつ泣かせることも芝居にはできる。

この両方をやるという手も、難易度は高いだろうと思うが、ある。いずれにせよ、浪漫好にはまだまだ成長できる可能性が感じられる。


(以下は更新前の文章です)


演劇ユニット浪漫好 -Romance-の『なにもん芝居』(脚本・演出:高田滉己)は、3作の短編からなる芝居だった。「一体、何者(なにもん)?」と思わせる、人ではない者が出てくることが3作の共通項である。当日パンフレットでの演出家の挨拶によると、それぞれ独立した話で、関連性はない。

まず、スクリーンにはオープニングムービーが映し出される。派手な色彩にポップな効果を使ったにぎやかな映像で、キャストやスタッフをテンポ良く紹介していく。

芝居の上演の最初は『人生保険』。上手から男性(平田涉一郎)が登場するや否や衝撃音がして、どうやら彼は事故に遭って死んでしまったようである。そのことを即座に理解した彼は、そこにいる白い服装に羽根が生えた二人組(岡島大輝、志田絢音)も天使であるとすぐに理解する。天使達は保険の外交員で、次の人生に向けて保険を掛けておくように男性に勧める。交通事項に遭わない、お金に困らない、モテる、なんでも大丈夫だ。ただしその対価として本人の寿命が必要となる。それなら保険はいらないと言う男性を、今度は別の天使達(室木翔斗、柳原成寿)が現れて引き止める。天使は、人が契約した対価の寿命で生きているため、契約させようと必死なのだ。やがて彼ら4人は男性そっちのけで「もしもあなたが勇者だったら」の世界を演じ始める。

天使達のドタバタ劇の最中、男性は、平凡な人生でいい、保険なんかいらないと嘆いた。この人生観のようなものをもっと話の中に取り入れてほしいと感じた。ドタバタコメディであるからこそ、現実観のある設定が垣間見えることで、より話を受け取りやすくなるのではないか。

2作目は『化かし化かされ』。占い館を営むのは狐(山根宝華)。心が見える木の葉の術を使って人を騙し、金を得ている。占いにやってきた一人の女性(山崎真優)。彼女は何かおかしいと、狐は勘づく。実は彼女も狐、しかも稲荷神社の使いの狐だったのだ。

2人の狐はそれぞれ、人間世界に憧れ、その中に飛び込んではみたものの、人間に裏切られている。そんな2人が復讐のために手を取り助け合う話、ではなかった。2人はタイトル通り、化かし合いを展開する。同じように人間に傷付けられた同士でも、それぞれに思うところがあり、簡単に連帯には至らないという結末が少々寂しくもあった。だが、それが狐のたくましさなのかもしれない。

最後は『泣く子はいねぇか』である。赤(小石川武仁)と青(岡島大輝)のなまはげが、子どもを泣かそうと、ある家にやってくる。ところが、その家では、夫(室木翔斗)と妻(横川正枝)が離婚を巡って争っていた。夫婦に邪険に扱われるなまはげ2人。それでも彼らから集金をせねばと再挑戦すると、なんとこの家には子ども(山根宝華)がいるではないか。奮闘するも彼らは、子どもに笑われてしまう。だが、子どもの笑顔こそが、家庭にとって大事なものであると、夫婦は気付かされる。

最後の作品は人間ドラマの趣が強く感じられた。展開とラストは予想ができるものだったが、ここでのどんでん返しはあまり望まれないだろう。幸せなエンドを迎えることができて、ほっとした。

3作を観て思うのは、何か全体を通す大きなテーマがあったらよかったということだ。1作目は「人生」、2作目は「復讐」、3作目は「愛情」とするならば、これらをひとまとめにするような何か、例えば「愛憎」であるとかに関連付けることもできたのではないか。また、3作を通して登場する、案内人のようなキャラクターがいてもいいのかもしれないし、アイテムがあってもいいのかもしれない。いろいろな物語を観られるのは楽しいのだが、浪漫好が作る長い1作を観てみたくなったのだ。そう思えたのは、随所に、笑わせるだけではない要素を感じたからである。1作目では人生について考えさせてくれるような雰囲気があった。2、3作目もそれぞれ、考えさせる要素がある。これらに肉付けをしてやれば、厚みのある物語になっていくのではないか。

そして芝居の表現方法であるが、より二次元的にポップな方向にいくか、よりドラマ的に深みのある方向にいくか、大きく二つの方向性が考えられると感じた。オープニング映像に観られるような派手さ、わかりやすさを本編にもっと取り入れることもできるだろう。この方向で進めば、1作目のように、イメージが先行して膨らんでいくマンガのような世界観を、さらに展開することができる。本編中に映像を使うことで、もっと盛り上げることができるかもしれない。

3作目で観られた人間ドラマ的な心の動きについて、脚本への書き込みを増やし、演じていくこともできるだろう。そうするとコント的要素は減ってしまうかもしれないが、笑わせつつ泣かせることも芝居にはできる。

この両方をやるという手も、難易度は高いだろうと思うが、ある。いずれにせよ、浪漫好にはまだまだ成長できる可能性が感じられる。