#劇評2021
この文章は、2021年12月11日(土)19:00開演の演劇ムーヴメントえみてん『異邦人の庭』についての劇評です。
2021年12月、僕たちは街中にアクリル板が溢れ、映画やドラマの中の刑務所の面会室でしかイメージできなかった光景がどこにでもある日常を生きている。パンデミックの混乱の中で人と人との接触が妨げられることに知らず知らずのうちに慣らされてしまっている漠然とした怖さがある。世界の権力者が国境で建設を進めている巨大な壁や有刺鉄線の映像は、この日常の景色とどこかで繋がっているようにかつてなく感じている。
舞台であらためてアクリル板を見るとその白っぽい冷たい輝きにドキッとする。アクリル板を挟んで向かい合う一対の机と椅子。舞台照明で区切られた光の道がアクリル板を貫いて金沢市民芸術村ドラマ工房の外にまでずっと続いて行くように伸びている。
このシンプルな舞台装置で起こる、拘置所の面会室での静かな会話劇。演劇ムーブメント「えみてん」(富山県出身の俳優天神祐耶とのとえみの2人の演劇ユニット)による金沢初公演『異邦人の庭』(作:刈馬カオス)は、空間の余白と対話の中の「間」にこそ深くて多様な意味が生まれ得るという演劇の価値を再認識する舞台となった。
一(にのまえ/天神祐耶)は舞台作品の創作のために死刑囚の火口(ひぐち/のとえみ)に取材を申し出る。火口は、自殺願望のある7人を自宅のロフトで首を吊らせて殺害した自殺幇助の容疑で死刑が確定している。ただし本人は犯行時の記憶がないと主張。一は、記憶がないにも関わらず死刑を受け入れた理由を知りたいと思っている。
火口が取材を受け入れる条件は一との結婚だった。近未来の日本の死刑囚は、人道上の配慮から親や配偶者などの家族の同意があれば、刑の執行日を自ら決めることができる。火口は一に同意書に署名してもらって自ら選んで死ぬ権利を行使したいと希う。別々の利害と思惑で結婚した2人は、死刑制度や自死する権利などについて時に激しくぶつかりながらも対話を重ねていく。そして、相手への理解が深まることで自らの考えも揺れ動いていく……。
天神は演出に際して、呼吸と間をとても大事にしていると書いている。今作でもとても印象的な「間」があった。火口の求めに応じて、一がある書類を持ってきたと言うシーン。火口は絶句し「そう」と言う。最終的な決定が永久に引き伸ばされことを無意識に望んでいた、生きることを欲している人間の「間」だと僕には聞こえた。その瞬間、平静を保つことで自らの心を閉ざしていた火口の緊張は緩み、溢れ出した生のエネルギーの浸透圧がアクリルの境界面を突破して空間全体に満ちた。
エンターテインメントとして良質な男女の恋愛ドラマであると同時に、死刑制度についてあらためて考えさせる種々の材料を提供してくれる舞台でもあった。一や火口のように、人は他者と関わることで変わりうる。それは国家や法制度も同じではないだろうか。国や法制度が誤りを犯すことは歴史が証明している。将来に誤りを認め変更し得る可能性のある国や正義の基準がその時点で暴力的に生と死の間に境界を引いてしまうことの是非について、観劇後からずっと自分なりに考え続けている。
小峯太郎(劇評講座受講生)