(劇評)「ゆるさをもっと生かせたら」中村ゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
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この文章は、2020年12月5日(土)よりオンライン公開の劇団情熱劇場『親殺しのパラドックス』についての劇評です。


 今回の「げきみる」で2本目のオンライン配信のみの作品だ。劇団情熱劇場『親殺しのパラドックス』(脚本・演出/内尾涼介)はSF研究会の狭い部室で話が進んでいく。部員は坂本(内尾涼介)、小野(山岸光)の2名だ。2020年11月21日、小野はタイムマシンを完成させたと言って部室にやってきた。スマホ大の電卓のようなものに、それより一回り大きいボックス形のものがくっついている。電卓で日付と行きたい時間を入力後、走って勢いをつけると目的の時間軸にタイムトラベルできる。この狭い部屋では走るには不向きでタイムトラベルして戻ってきたときに壁にぶつかっていた。実際に小野がこの部屋でタイムトラベルしたのは一往復のみで、あとはドアの外に出て走っていた。ずっと外でバタバタ走っている音がしたのはタイムトラベルのためだったと後でわかる。
 この部室には気になるものがいくつかある。まず、テーブルの上に乱雑に置かれた紙類の中にある「鯖SABA」と書かれたA4の紙だ。坂本が手に取ることによってクローズアップされた。後で小野がタイムトラベルした証拠として残したものだとわかる。そして日付が書かれたホワイトボード。入室してきた坂本がその日の日付に書き直していた。毎日書き直されているようだ。タイムトラベルしたときにどこに飛んだかわかりやすい。もう一つ、めったに部活に来ない小野の名前をつけた白いプラスチック製の頭部。これは30年前の伝説にとって重要な小道具だ。これらは明らかすぎる伏線で確実に回収された。変に凝らずに思い切りよく扱っていたのがよかった。ただ、頭部に関してはかなり無理をしてつじつまを合わせようとした感がある。目撃者が近視だったという設定だが30年後も伝説として残るほどはっきりした勘違いをしなければならない。坂本の持ち物である頭部はそもそも人間の色をしていない。真っ白だ。近視の目撃者が頭部だと認識できるのか疑問だ。タイムマシンのチープさは、意外とこういうマシンもあるかもしれないと思えるが、あの頭はもう少し努力が欲しかった。
 タイトル通り、タイムマシンを作ったからには「親殺しのパラドックス」を証明したくなる。親を殺すために過去に飛んだ小野と入れ替わりで息子・純一(新田龍一)が現れた。彼もまた親殺しのパラドックスを証明するためやってきたのだ。ここからがクライマックスだ。用意した伏線も余すことなく回収する。テンポのよい音楽が流れ、画面では親と子の生きるか死ぬかの追いかけっこが続く。そしてラストまで人の生き死にについて描き続けるのだ。だが緊迫感が伝わってこない。部室内で小野を追い詰めた純一はカッターナイフを振り回して小野に襲いかかる。結果的に小野を刺しても小野は死なないし純一も消えない。凶器が人を殺す道具として説得力がなかったことと、刺された小野は血すらながれず刺されたこと自体がなかったことになるので、人の生き死にが掛かっている場面として現実味がない。パラドックスとして際立たせるために血を流して刺された事実くらいはあってもよかったのではないかとも思う。この作品では伏線は必ず回収する。血を流してしまったら純一に「父のお腹には傷があった」と証言してもらおう。ちょっと生々しさを足したほうがアクセントになったのではないか。
 ずっとゆるい雰囲気だった。普通の学生の普段の会話を目指したのだろうか。セリフが基本的にローテンションだし、言葉のチョイスもゆるい。セリフは脚本通りだったのだろうか。だとしたらもっと芝居を意識したセリフで、芝居によって自然な会話を作ることはできなかったのだろうか。その方がゆるいながらも整ったものにはできるのではないかと思う。編集もゆるい。カットが変わってもう一度同じセリフがあったのはわざとだろうか。それとも入ってしまったのだろうか。いろんなことが雑なのか狙いなのか分からなくなっている。狙いだとしたらきちんと伝わっていないのでもったいない。