(劇評・12/9更新)「その醜さは自分の中にも」大場さやか | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
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この文章は、2020年11月28日(土)19:00開演のチロルマーケット『8人の女』についての劇評です。

 隠し事のない人間なんかいない。後ろ暗いことの一つや二つ、誰もが抱えて生きている。しかし、その事情に囚われすぎた者の取る行動は、誠実さからかけ離れ、醜さを増していく。チロルマーケットの『八人の女』(原作:ロベール・トマ、翻訳:和田誠一、構成:勢登香理)は、それぞれに事情を持った8人の女達による、己を守るための争いを表現したドラマだった。

 舞台には、様々な椅子が半円状に5脚並べられている。舞台奥には高台があり、3段ほどの階段が左右に2カ所設置されている。台の上には2脚の椅子が置かれている。上演形式はリーディングである。まず、下手からピエレット(吉村圭子)が登場し、舞台となる館の状況について説明する。彼女が去ると照明が消え、再び明るくなった舞台上には6人の女性が横に並ぶ。彼女らの後ろには車椅子に座ったマミー(新宅安紀子)がいる。ここはマルセルの館。館の中には7人の女性がいる。マルセルの妻であるギャビー(東千絵)、ギャビーの母マミー、ギャビーの妹オーギュスティーヌ(斉藤清美)。そして屋敷に長く奉公する女中のシャネル(山本久美子)と新入り女中のルイズ(勢登香理)。今、館に、ギャビーの長女であるシュゾン(金山古都美)が帰ってきた。次女のキャトリーヌ(宗村春菜)も起き出してくる。イギリスの大学から帰郷したシュゾンを迎える家の者達。彼女達はそれぞれ、他者に思うところがあるようで、小さな嫌味を交えながら会話をしている。6人は仲良くほのぼのと暮らしているわけではなさそうだ。シュゾンの父、マルセルをルイズが呼びに行く。しかしルイズが見たのは、背中をナイフで刺され、血まみれになったマルセルの姿だった。警察を呼ぼうにも、なぜか電話がつながらない。しばらくしてピエレットも姿を見せ、雪のため孤立した館の中で、犯人捜しが始まる。

 8人がやりとりする中で少しずつ、彼女達がそれぞれ抱えている秘密が明らかになっていく。マミーは株券を隠し持っている。ギャビーは、マルセルのビジネスパートナーであるジャックと浮気をしている。ピエレットは金銭トラブルを抱えている。オーギュスティーヌは密かにマルセルに思いを寄せている。シュゾンは妊娠している。ルイズはマルセルと不倫関係にある。シャネルはピエレットと賭け事を楽しんでいる。さて、キャトリーヌにだけ、ここに挙げられるような隠し事がない。しかし彼女はその無邪気さゆえに、大きな罪を犯してしまうことになる。

 リーディング公演ではあるが、役者達は座ったままではなく、立って動きもするし、二段に分かれた舞台上で移動することもある。ただじっと座った役者達から語りを聴かせられるよりも、動きを伴っているほうが台詞を発している人物へ注目しやすく、飽きない。畳みかけるように、矢継ぎ早に発せられる彼女達の台詞の応酬には迫力があった。しかし、謎を解きたいと思う気持ちで追っていくには、全体的にテンポが速いように思えた。誰が何をしていて、その結果どうなったのか。全て理解する必要はないものの、情報を追いきれなかった残念さはある。

 この戯曲は1961年にパリで初演された。時代を感じる設定や台詞である上に、翻訳の文体でもあるため、今では聞かれないような言葉使いがあり、受けとりにくい感覚もあった。なぜ、今、この戯曲が選ばれたのだろうか。理由の一つとしては、演者達が全員女性であることだろう。タイプの違う女性を演じることで、演者それぞれの個性が引き立つ。そして、この戯曲で描かれている女達の持つ問題が、普遍的であることだ。恋愛、不倫、妊娠、金銭、それら揉め事の種は、今だって多くの女達が持っている。そして何より、初演時から現在まで変わることのない重大な問題、それは女に限らず、人の醜さである。自分を守るため、嘘をつき、他者を非難する。自分の都合の良いように事態を展開させようとする。他者の気持ちや事情など、かけらも考えやしない。殺人事件の起きた密室という極限状態で、その醜さと、自分を取り繕う行動の愚かさが強調される。

 物語は最悪の結末を迎える。8人とマルセル、誰も救われることはない。醜い行動への報いとしては当然のことだろう。ほんの少し、誰かが誰かのことを気に掛けていれば、他者への思いやりという心があれば、と思う。しかし、他人事のように考えていてもいいものだろうか。私にも後ろ暗いところはある。ここには決して書けないような問題がある。そこを誰かに見つかりでもしたらと想像すると、恐ろしくて仕方がない。秘密を守り通すために、たやすく保身に走るだろう。私は悪くない。こうなったのは私のせいではない。8人の女達がまくしたてたような台詞を、口にしてしまうだろう。そう思うと、女達に親近感すら覚えてくる。醜さは私の中にも確実に存在している。


(以下は更新前の文章です)


 隠し事のない人間なんかいない。後ろ暗いことの一つや二つ、誰もが抱えて生きている。しかし、その事情に囚われすぎた者の取る行動は、誠実さからかけ離れ、醜さを増していく。チロルマーケットの『八人の女』(原作:ロベール・トマ、翻訳:和田誠一、構成:勢登香理)は、それぞれに事情を持った8人の女達による、己を守るための争いを表現したドラマだった。

 舞台には、様々な椅子が半円状に5脚並べられている。舞台奥には高台があり、3段ほどの階段が左右に2カ所設置されている。台の上には2脚の椅子が置かれている。上演形式はリーディングである。まず、下手からピエレット(吉村圭子)が登場し、舞台となる館の状況について説明する。彼女が去ると照明が消え、再び明るくなった舞台上には6人の女性が横に並ぶ。彼女らの後ろには車椅子に座ったマミー(新宅安紀子)がいる。ここはマルセルの館。館の中には7人の女性がいる。マルセルの妻であるギャビー(東千絵)、ギャビーの母マミー、ギャビーの妹オーギュスティーヌ(斉藤清美)。そして屋敷に長く奉公する女中のシャネル(山本久美子)と新入り女中のルイズ(勢登香理)。今、館に、ギャビーの長女であるシュゾン(金山古都美)が帰ってきた。次女のキャトリーヌ(宗村春菜)も起き出してくる。イギリスの大学から帰郷したシュゾンを迎える家の者達。彼女達はそれぞれ、他者に思うところがあるようで、小さな嫌味を交えながら会話をしている。6人は仲良くほのぼのと暮らしているわけではなさそうだ。シュゾンの父、マルセルをルイズが呼びに行く。しかしルイズが見たのは、背中をナイフで刺され、血まみれになったマルセルの姿だった。警察を呼ぼうにも、なぜか電話がつながらない。しばらくしてピエレットも姿を見せ、雪のため孤立した館の中で、犯人捜しが始まる。

 8人がやりとりする中で少しずつ、彼女達がそれぞれ抱えている秘密が明らかになっていく。マミーは株券を隠し持っている。ギャビーは、マルセルのビジネスパートナーであるジャックと浮気をしている。ピエレットは金銭トラブルを抱えている。オーギュスティーヌは密かにマルセルに思いを寄せている。シュゾンは妊娠している。ルイズはマルセルと不倫関係にある。シャネルはピエレットと賭け事を楽しんでいる。さて、キャトリーヌにだけ、ここに挙げられるような隠し事がない。しかし彼女はその無邪気さゆえに、大きな罪を犯してしまうことになる。

 リーディング公演ではあるが、役者達は座ったままではなく、立って動きもするし、二段に分かれた舞台上で移動することもある。ただじっと座った役者達から語りを聴かせられるよりも、動きを伴っているほうが台詞を発している人物へ注目しやすく、飽きない。畳みかけるように、矢継ぎ早に発せられる彼女達の台詞の応酬には迫力があった。しかし、謎を解きたいと思う気持ちで追っていくには、全体的にテンポが速いように思えた。誰が何をしていて、その結果どうなったのか。全て理解する必要はないものの、情報を追いきれなかった残念さはある。

 この戯曲は1961年にパリで初演された。時代を感じる設定や台詞である上に、翻訳の文体でもあるため、今では聞かれないような言葉使いがあり、受けとりにくい感覚もあった。なぜ、今、この戯曲が選ばれたのだろうか。理由の一つとしては、演者達が全員女性であることだろう。タイプの違う女性を演じることで、演者それぞれの個性が引き立つ。そして、この戯曲で描かれている女達の持つ問題が、普遍的であることだ。恋愛、不倫、妊娠、金銭、それら揉め事の種は、今だって多くの女達が持っている。そして何より、初演時から現在まで変わることのない重大な問題、それは女に限らず、人の醜さである。自分を守るため、嘘をつき、他者を非難する。自分の都合の良いように事態を展開させようとする。他者の気持ちや事情など、かけらも考えやしない。殺人事件の起きた密室という極限状態で、その醜さと、自分を取り繕う行動の愚かさが強調される。

 物語は最悪の結末を迎える。8人とマルセル、誰も救われることはない。醜い行動への報いとしては当然のことだろう。ほんの少し、誰かが誰かのことを気に掛けていれば、他者への思いやりという心があれば、と思う。しかし、他人事のように考えていてもいいものだろうか。私にも後ろ暗いところはある。そこを誰かに突かれでもしたら、どうなってしまうだろう。たやすく保身に走るのではないだろうか。私は悪くない。こうなったのは私のせいではない。8人の女達がまくしたてたような台詞を、口にしてしまうだろう。醜さは私の中にも潜んでいる。