(劇評・11/25更新)「非日常下の日常」大場さやか | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2020年11月14日(土)19:00開演の北陸つなげて広げるプロジェクト『マジックマッシュRoom』についての劇評です。

 日常を、非日常が覆いつくしてしまった。当たり前だったことができなくなった。外に出ることも、人に会うことも。自由を制限され、家の中に閉じ込められた時、そこで人はどう動くのか。北陸つなげて広がるプロジェクトによる『マジックマッシュRoom』(振付・演出:宝栄美希)は、コロナ禍において、部屋に篭らざるを得なくなった人々の困惑する心持ちを幻覚として表現した、コンテンポラリーダンス作品だ。

 着ぐるみのようなリラックスウェアを着た女性が、座布団を持って登場する。彼女は上演前の諸注意に合わせて身振りを取る。その後、新しい生活様式における鑑賞についての注意を促す映像が流れる。女性は座布団を床に置き、そこで寝転がる。左右から人々が転がってくる。全員、ゆったりしたリラックスウェアを身に付けて、それぞれクッションやぬいぐるみなどを抱えている。合計8名が寝転がって、体をわずかに揺らしている。話し声が聞こえる。それはどうやらラジオの音声らしい。

 人々は転がって舞台袖にはけていく。その後、舞台に歩み出てくる人物達は、本を手にしている。別の人物が近づいて、本を取り上げる。ブックカバーだけが落とされる。この動作が何組かによって何度も繰り返される。舞台背面のスクリーンには、Facebookの記事が映し出されている。それは「7日間ブックカバーチャレンジ」。読書文化の普及に貢献するため、7日間、ブックカバーだけを投稿する。その際、一人の知人にも同様の投稿をお願いする、という趣旨の投稿が流行した。その後、3人が缶を持って登場。飲む動作をしたり、スマートフォンをいじる動作をしたりする。スクリーンにはLINEの画像。話の内容は、オンライン飲み会をしよう、ということのようだ。FacebookにLINE。こういったSNSがなかったら、外に出られず人に会えない自粛生活は、もっと寂しかったことだろう。テキストデータだけであっても、誰かから返事がある。今まで当たり前だったことが、非常に有り難く感じられたものだ。

 映像にてマジックマッシュルームの説明がなされる。それらは幻覚作用を起こすキノコ類。日本では2002年から使用・所持が禁止されている。舞台上の人々が見ているのは、マジックマッシュルームのルームならぬroom、部屋の中で起きている幻覚だ。ずっと籠もりきりで鬱屈した心が見てしまったものか。舞台にはカラフルな衣装を着た人々が登場する。赤、白、茶、紫、ピンク、青、緑、黒。衣装には丸いモチーフが付いている。皆、両腕を下に伸ばし両手を広げて、かわいらしく動く。その後、シーンはいくつか展開する。折り紙を折る人。折る音をマイクで拾う人。折り紙でできた何かは袖へ消えていく。そして、丸いクッションを持った3人が、クッションの位置を上へ下へと移動させる。その後ろを通る自転車。ここまで、何名かが一緒に踊っていたシーンが続いたが、舞台に黒い衣装の人物が一人になる場面があった。新聞記事、ウイルスの写真や、死亡者数のグラフなど、COVID-19関連の映像をバックに一人で踊る。攻撃をするような積極的な振りは、ウイルスの脅威と戦っているのかようで、しかし何かを避けているような動きもあった。誰もが初めて接する未知の事象に対して、どう行動すればいいのか、正解はわからない。けれどもダンサーは、戸惑いながらも進んでみたり、退いてみたり、自分なりの行動を取ろうとしているように思えた。

 新聞を持って全員が出てくる。新聞を床に置き、ゆっくりとうなだれるように、体を曲げていく。やがて皆、新聞紙の上でうずくまる。人々はまた眠りについたのか。舞台は暗くなり、『マジックマッシュRoom』は終わる。これで終わりなのか、と感じた。たくさんのシーンがあったが、それらに自分なりの解釈をしようとしているうちに、別のシーンに変わってしまう。そんな印象だった。はっきりした映像が多用されていたのは、わかりやすさの点においてはよかったのかもしれない。明らかな筋書きがないことが多いコンテンポラリーダンスを見慣れていない人には、よいガイドになっただろう。しかし筆者としては、もっと想像させてほしかった。何も奇をてらったり技巧に優れていたりする動きを見せろというのではない。その人だからこその動きが、もっとあるような気がしてならなかったのだ。ダンサー達の踊りは、特殊過ぎる状況に困惑している体を表現していたように思う。集まることもできないし、家から出られないから、踊りたいのに踊れない。そういった事情はあっただろう。思うように動けない体の表現を補うように、画像の表現が強くなってしまったところもあるだろう。そういった意味で、『マジックマッシュRoom』は、「今」の現れである。今はただじっと、うずくまって耐える時なのだ。だが、その閉塞感を打ち破ろうとするような、情熱で湧き起こすような、身体の強さがあるはずだ。


(以下は更新前の文章です)


 日常を、非日常が覆いつくしてしまった。当たり前だったことができなくなった。外に出ることも、人に会うことも。自由を制限され、家の中に閉じ込められた時、そこで人はどう動くのか。北陸つなげて広がるプロジェクトによる『マジックマッシュRoom』(振付・演出:宝栄美希)は、コロナ禍において、部屋に篭らざるを得なくなった人々の困惑する心持ちを幻覚として表現した、コンテンポラリーダンス作品だ。

 着ぐるみのようなふわふわしたリラックスウェアを着た女性が、座布団を持って登場する。彼女は上演前の諸注意に合わせて身振りを取る。その後、新しい生活様式における鑑賞についての注意を促す映像が流れる。女性は座布団を床に置き、そこで寝転がる。左右から人々が転がってくる。全員、ゆったりしたリラックスウェアを身に付けて、それぞれクッションやぬいぐるみなどを抱えている。合計8名が寝転がって、体をわずかに揺らしている。話し声が聞こえる。それはどうやらラジオの音声らしい。

 人々は転がって舞台袖にはけていく。その後、舞台に歩み出てくる人物達は、本を手にしている。別の人物が近づいて、本からブックカバーだけを外して落とす。この動作が何組かによって何度も繰り返される。床にブックカバーが散乱する。舞台背面のスクリーンには、Facebookの記事が映し出されている。それは「7日間ブックカバーチャレンジ」。読書文化の普及に貢献するため、7日間、ブックカバーだけを投稿する。その際、一人の知人にも同様の投稿をお願いする、という趣旨の投稿が流行した。筆者にも回ってきたので参加したため、そういえばこんなこともあったなと思えた。大量のブックカバーの画像がネット上を行き交っていた様子が、床に散乱したブックカバーから感じられた。その後、3人が缶を持って登場。飲む動作をしたり、スマートフォンをいじる動作をしたりする。スクリーンにはLINEの画像。話の内容は、オンライン飲み会をしよう、ということのようだ。FacebookにLINE。こういったSNSがなかったら、外に出られず人に会えない自粛生活は、もっと寂しかったことだろう。

 映像にてマジックマッシュルームの説明がなされる。それらは幻覚作用を起こすキノコ類。日本では2002年から使用・所持が禁止されている。舞台上の人々が見ているのは、マジックマッシュルームのルームならぬroom、部屋の中で起きている幻覚だ。ずっと籠もりきりで鬱屈した心が見てしまったものか。舞台にはカラフルな衣装を着た人々が登場する。赤、白、茶、紫、ピンク、青、緑、黒。衣装には丸いモチーフが付いている。皆、両腕を下に伸ばし両手を広げて、かわいらしく動く。その後、シーンはいくつか展開する。折り紙を折る人。折る音をマイクで拾う人。折り紙でできた何かは袖へ消えていく。そして、丸いクッションを持った3人が、クッションの位置を上へ下へと移動させる。その後ろを通る自転車。ここまで、何名かが一緒に踊っていたシーンが続いたが、舞台に黒い衣装の人物一人になる場面があった。新聞記事や、ウイルスの写真や、死亡者数のグラフなど、COVID-19関連の映像をバックに一人踊る。ウイルスの脅威と戦っているのか、避けているのか、未知の事象に対して、戸惑いながらも自分なりの行動を取ろうとしているように思えた。

 新聞を持って全員が出てくる。新聞を床に置き、ゆっくりとうなだれるように、体を曲げていく。やがて皆、新聞紙の上でうずくまる。人々はまた眠りについたのか。舞台は暗くなり、『マジックマッシュRoom』は終わる。これで終わりなのか、と感じた。たくさんのシーンがあったが、その一つ一つに自分なりの解釈をしようとしているうちに、別のシーンに変わってしまう。そんな印象だった。はっきりした映像が多用されていたのは、わかりやすさの点においてはよかったのかもしれない。明らかな筋書きがないことが多いコンテンポラリーダンスを見慣れていない人には、よいガイドになっただろう。しかし筆者としては、もっと想像させてほしかった。何も奇をてらったり技巧に優れていたりする動きを見せろというのではない。その人だからこその動きが、もっとあるような気がしてならなかったのだ。ダンサー達の踊りは、特殊過ぎる状況に困惑している体を表現していたように思う。集まることもできないし、家から出られないから、踊りたいのに踊れない。そういった事情はあっただろう。思うように動けない体の表現を補うように、画像の表現が強くなってしまったところもあるだろう。そういった意味で、『マジックマッシュRoom』は、「今」の現れである。今はただじっと、うずくまって耐える時なのだ。だが、その閉塞感を打ち破ろうとするような、身体の強さを見せて欲しかった気持ちが残る。