(劇評)「生きていくために考える」中村ゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2020年11月2日(月)よりオンライン公開の星稜高校演劇部+星の劇団『ゾンビ・ハイスクール・ダイアリーズ』についての劇評です。

コロナ禍の中、生であることが前提であった音楽、演劇、イベントなどの舞台芸術の世界に、もともと利用されていたオンライン配信が急激に様々な形に発展した。今年のかなざわリージョナルシアター「げきみる」にもオンライン配信の演目がある。星稜高校演劇部+星の劇団の作品はその一つだ。
この作品は舞台上での演劇を撮影したものではなく、ドラマと同じような映像作品としての形態を取っている。6話85分の動画作品だ。主役は人間の女子高校生・桐谷ルナ(松本梨留)。ゾンビ化ウイルスの感染が拡大したため、人間、完熟ゾンビ、半生ゾンビが存在する世界だ。ルナは担任(山岸光)に呼び出されて物理講義室にいた。担任は提出物を出すようにと注意するがルナは口答えする。穏やかに優しく話していた担任は急に声を荒げてルナを責め始める。そこでルナは気を失ってしまう。目覚めると彼女はゾンビになっていた。連れて行かれた教室ではゾンビ職業訓練校としてゾンビの教育を行っていた。
ゾンビは感情を持ってはいけない。感情を持っていては生きられない。ここは感情を消す訓練をする場所だ。ルナは校内を案内してくれる優等生(直江美怜)にそう教えられた。案内されたのは運び屋の部屋だ。管理者であるネコ(大石涼々香)が管理する作業場だ。仕事とは何も考えず、疑問を持たず、命令にだけ従うことを意味すると男子生徒は言う。ルナはちょっと工夫した作業を提案するがネコに見つかってしまう。優等生は次の教室への移動中に他の生徒の説明やこの訓練校での居かたなどを教えてくれる。
女王の部屋では、女王(黒瀬香)とメイド(北崎千琴)がモニターの中から実践的な会話術をレクチャーする。この部屋には女子生徒しかいない。彼女たちは彼氏がいることや玉の輿を狙えること、お菓子作りができることなどをステイタスの一つととらえ、相手にマウントを取るための会話を会得しようとする。
案内役の優等生が来る前にピエロが運び屋の部屋に連れていく。そこにはネコに命じられて部屋を片付ける吟遊詩人とギター弾きがいた。彼女たちは作業していた運び屋たちとは違い、気になる箱を開け中にあったもので部屋に飾り付けを施していく。ギター弾きは時折ギターを爪弾き(谷野美怜)、吟遊詩人(中野優羽)とピエロの過去を語る。ルナはピエロの話を悲しいと感じる。ルナはなくしつつあった感情があることを2人から教えられた。
 次に連れて行かれた部屋はルナが人間だった頃好きで見ていたアニメ『ゾンビ・ハイスクール・ダイアリーズ』を制作している場所だった。主役の3人が役作りを話し合っている。女子高生が世間から求められているのは「元気」「かわいい」「バカ」の3つだという結論を出すとアフレコを始めた。その後エンディング曲に合わせてダンスを始めた。その様子を見てルナはゾンビの世界から戻ってきた話をインターネット上で見かけたことを思い出す。上手くメモ用紙を手に入れたルナは、常にヒントを教えてくれた優等生に渡す。二人は無事に人間に戻り、メモを渡した優等生に再会することができる。優等生に渡したメモには訓練校で感情をなくしていなかったピエロや吟遊詩人たちにも教えて欲しいと書いてあった。
ゾンビの世界はどこか見たことがある世界だ。指導者の指示のもと、全員で大きな声を出して同じことを叫ぶこと。管理者の意に反すると頭ごなしに叱られる状況。特定の幸せの形に価値があると考え、それを得ることで自分の評価になると感じる姿。他人をカテゴライズしてその枠にはめようとすること。ゾンビとは作り手である高校生から見た大人の世界のように見える。高校生が訓練をして大人になる準備をする。私自身このまま社会に出ても大人の社会でうまく生きていける気がしなくて、進学を2年制から4年制の学校に変更することで先延ばしにした。準備期間が必要なのはとてもわかる。ただゾンビ職業訓練校が教える生きていくために「考えない」というのは結果的に自分の首を絞めることになるのではないだろうか。。表に出るものだけが感情ではない。夢や希望は生きていくための選択肢を増やす。疑問を持つことは結果的に自分を守る。命令にだけ従わなければいけない場にはいなくてもいい。私はそう思う。