(劇評・11/14更新)「親殺しは幸せになる方法」中村ゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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この文章は、2020年10月31日(土)19:00開演のProject=A Night of Parricides『親殺したちの夜』についての劇評です。



 この作品はキューバの脚本家ホセ・トリアーナの作品を本庄亮の演出によって上演されものだ。五角形の壁を梱包用ビニールで巻いてあるテントのようなセットが兄妹たちの住まいだ。長男・ラロ(田中祐吉)、長女・クカ(下條世津子)、次女・ベバ(古林絵美)のメイクは白塗りでピエロのように模様が描かれている。部屋の中央にある低いテーブルの上には小さな椅子がいくつか乗っている。クカがその椅子を床に置くと、ラロはこの家では椅子はテーブルの上に置くのだと言って元の位置に強引に戻す。ベバは2人のやり取りを面白がって、真ん中に立つ柱にいろんなものを掛けていく。一見遊んでいるかのようなやり取りの中で、ラロは両親を殺したと妹たちに伝える。
 彼は両親を殺すに至った自分の境遇を物語の中で明らかにしていく。彼の年齢は30歳。ナイフで40回刺して両親を殺した。親には何かというと怒られ殴られた。やっていないことでムチを打たれたこともあった。仕事も学校も行かない放蕩息子だと罵られた。両親にいつも付きまとわれ追い詰められていた。私は「そっとしてくれる時間がなかった」というセリフにこれは典型的な虐待だと感じた。こういう親にはどんなに気に入られようと努力しても無駄に終わる。ラロが彼らを「やっちまうしかない」と思ったのは当然だろう。
 殺された両親はどんな人だったのか。クカが母になり代わって夫アルベルトへの不満をぶちまける。結婚式には彼の親戚は誰も来なかった。彼の母親はずるがしこい人だった。夫は子どもみたいな人で気持ちを汲んではくれなかった。自分は子どもが欲しくなかったのに、彼は子どもを欲しがった。そのせいでラロという「怪物」を産み落としてしまった。彼女の夫への不満は子どもという弱者に向かう。死んでくれたらいいのにという言葉を発している。
 クカとバベはラロの妹だ。クカについては他の二人に比べて目立った行動もなく情報が少ない。年齢も明らかにされない。ベバは20歳。子どもの頃からいわゆる問題行動が多い。自分に下半身を見せるラロの真似をして街なかでゴロツキたちに下着を見せたり、お漏らしをしたり、トイレの場所を勝手に決めたり、親としては手を焼く行動だ。だが母親はバベのことをラロのように激しく咎めている様子はなかった。
 親殺しの罪でラロは裁判にかけられる。家の回りを囲っていたビニールが順番に断ち切られ、外と内との境目がなくなる。ラロはバベが演じる裁判官に責められ同じくバベが演じる傍聴人たちにも責められる。両親の過干渉による虐待によって内にこもっていたラロが、突然外に放り出され他人からの圧力にさらされる。おそらく、ラロにとって初めての経験だ。ラロは下手の奥の薄暗い場所にあるベンチに座り、両親に対して愛していると叫ぶ。愛していると伝えるのは、相手から愛されていることを知りたいときだ。パパとママを殺したけど愛している。僕に殺されたけど彼らは僕を愛している。両親の暴力を受け続けたラロは、両親に愛されていると思いたかったのではないだろうか。
 家であり裁判所であったテントのようなものは、最後に支柱と屋根が残った。それらをまとめてバベが倒していく。そしてクカに向かって大人びた口調で「どう?気分は」と問いかける。彼女からそれまであった子どもっぽさは消えていた。問われたクカは「スッキリした」と答える。公演のチラシによると、三人の兄妹は「ゲーム」を演じていた。クカに対する描写が極端に少なかったのは、彼女が作・演出をした家族の再現だったからだ。
 クカは兄を救いたかったのかもしれない。自分と両親の距離に比べてラロと両親の距離が近いことに気づいていただろう。近いからこそ暴力が介在しやすく、親に支配されやすい。外の世界を知らないラロはそこから逃げたり離れたりする発想は考えもしないだろう。そこでラロに「親殺し」を演じさせるのだ。「親を殺す」とは親離れして大人になることだ。大人になるために実際に親を殺す人は少ない。クカはラロに大人になる道筋を作った。彼女にとってこれはラロを幸せにする物語だったのかもしれない。


(以下は更新前の文章です)



 四方の壁を梱包用ビニールで巻いてあるテントのようなセットが兄妹たちの住まいだ。長男・ラロ(田中祐吉)、長女・クカ(下條世津子)、次女・ベバ(古林絵美)のメイクは白塗りでピエロのように模様が描かれている。部屋の中央にある低いテーブルの上には小さな椅子がいくつか乗っている。クカがその椅子を床に置くと、ラロはこの家では椅子はテーブルの上に置くのだと言って元の位置に強引に戻す。ベバは2人のやり取りを面白がって、真ん中に立つ柱にいろんなものを掛けていく。一見遊んでいるかのようなやり取りの中で、ラロは両親を殺したと妹たちに伝える。
 彼は両親を殺すに至った自分の境遇を物語の中で明らかにしていく。彼の年齢は30歳。ナイフで40回刺して両親を殺した。親には何かというと怒られ殴られた。やっていないことでムチを打たれたこともあった。仕事も学校も行かない放蕩息子だと罵られた。両親にいつも付きまとわれ追い詰められていた。そっとしてくれる時間がなかった。ラロは彼らを「やっちまうしかない」と思った。彼はただ普通に生きるために両親を殺したと言った。
 殺された両親はどんな人だったのか。クカが母になり代わって夫アルベルトへの不満をぶちまける。結婚式には彼の親戚は誰も来なかった。彼の母親はずるがしこい人だった。夫は子どもみたいな人で気持ちを汲んではくれなかった。自分は子どもが欲しくなかったのに、彼は子どもを欲しがった。そのせいでラロという「怪物」を産み落としてしまった。彼女の夫への不満は子どもという弱者に向かう。死んでくれたらいいのにという言葉を発している。
 クカとバベはラロの妹だ。クカについては目立った行動もなく情報が少ない。年齢も明らかにされない。ベバは20歳。自分に下半身を見せるラロの真似をして街なかでゴロツキたちに下着を見せたり、お漏らしをしたり、トイレの場所を勝手に決めたり、このエピソードがすべて20歳時点での行動かどうか分からないが、親としては手を焼く行動だ。母親はバベの行動に困っているようだったが、ラロのように激しく咎められている様子はなかった。
 親殺しの罪でラロは裁判にかけられる。ラロたちが住んでいた家は手前のビニールがベバによって裁ち切られて、その場所は裁判所に早変わりした。ラロはバベが演じる裁判官に責められ同じくバベが演じる傍聴人たちにも責められる。裁判が進むにつれて残りの三方のビニールも順番に切り裂かれて外との境界がなくなっていった。ラロは下手の奥の薄暗い場所にあるベンチに座り、両親に対して愛していると叫ぶ。愛していると伝えるのは、相手から愛されていることを知りたいときだ。パパとママを殺したけど愛している。僕に殺されたけど彼らは僕を愛している。両親の暴力を受け続けたラロは、両親に愛されていると思いたかったのではないだろうか。
 家であり裁判所であったテントのようなものは、最後に支柱と屋根が残った。それらをまとめてバベが倒していく。そしてクカに向かって大人びた口調で「どう?気分は」と問いかける。彼女からそれまであった子どもっぽさは消えていた。問われたクカは「スッキリした」と答える。公演のチラシによると、三人の兄妹は「ゲーム」を演じていた。クカに対する描写が極端に少なかったのは、彼女が見た家族の再現だったからだ。クカは兄を救いたかったのかもしれない。自分と両親の距離に比べてラロと両親の距離が近いことに気づいていただろう。近いからこそ暴力が介在しやすい。そこでラロに「親殺し」を演じさせるのだ。クカにとってこれはハッピーエンドの物語だったのかもしれない。