(劇評)「すくえない柄杓はなにをすくったか」 なかむらゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
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この文章は、2017年12月3日(日)13:00開演の劇団ドリームチョップ『底のない柄杓』についての劇評です。







 久しぶりの友人とお茶をした。彼女とは何年も前にインターネット上で舞台チケットを譲渡した時からの付き合いで、会うといつも5~6時間はしゃべり倒す。その日は舞台の開演時刻に間に合わせるため2時間しか時間が取れなかった。物足りなかったのでそのまま劇場に連れて行って一緒に観劇をすることになった。人生ただでさえいろいろあって大変なのだから舞台くらいは明るくて楽しいものを見たいと常々言っている彼女と一緒に、ゴーリキ『どん底』を下敷きにした劇団ドリームチョップ『底のない柄杓』を共に観る事になった私は、内心どきどきしながら開演を待った。見終わったあと「結構面白かったですよ。」と彼女の感想はちょっと上からだったが、その後のバックステージツアーも含めてとても楽しんだようだった。

「身寄りのない人、お金がない人、困っている人、そんな女性のための施設」。所長(長山裕紀)が高らかに宣言する場所は、IDを持っている者で、かつ施設指定の業者で働くか生活保護を受けていなくては入所できないという条件付きの施設だった。部屋の真ん中には4人がけのダイニングテーブルがあり、部屋の両サイドには一人がやっと横になれるだけのスペースが3つずつ、膝より少し高い位置で区切られている。そこが彼女たちの住む大部屋だった。ある日IDを持たないおばあさん(厚沢トモ子)が所長の娘に連れられてやってくる。彼女は底のない柄杓を首から提げていた。

 女性のためのこの施設には、派手で羽振りのいい女性・裕美(新宅安紀子)、神の存在を信じる老婆・奥平(奥正子)、将来のために勉強をがんばってきたのに結局この施設に入ることになった女性・新垣(邑本なおみ)、病がちの女の子・結愛(古林珠実)、自称元女優・野間口都(横川正枝)、そしてIDを持たない少女・ゴン子(中山杏香)、見た目も経歴も年齢もさまざまな女性たちが住んでいた。
 住人の中で特に強く印象に残っているのは裕美だった。夜の仕事をしているらしい彼女は所長の愛人の座につき、多くの特権を持っていた。個室で生活をし、夜の仕事と所長からの薬を住人に横流しすることで収入を得、入居者たちを監視した。その見事な君臨振りには拍手を送りたい。生きる力の強い女性だと思った。彼女は所長の裏の顔をすべて承知していたつもりだった。承知した上で施設内での自分の地位を守っていたのだと思う。しかし、まだ少女と言っていい結愛が死んで彼女が妊娠していたことを知った時、妊娠をさせたその男に怒りをぶつけた。だが、男に居場所を提供する代わりに裕美を殺すよう指示されていたIDのない少女ゴン子に、刺されて息絶えるのだった。そのどさくさに、柄杓を首から提げたおばあさんが姿を消した。大部屋のダイニングテーブルで所長と新垣、そして奥平があのおばあさんの話は嘘ばっかりで振り回されたと話をしていた。それを聞いた自称元女優の都がショックを受けておばあさんが残していった柄杓でのどを突いて息絶えた。
 都はおばあさんの影響を受けていた。おばあさんのおかげで、女優時代の忘れていたセリフを思い出して、それが自信となった。図書館で朗読をし、僅かでも収入を得ることでさらに自信を付けていた。だから、おばあさんは嘘つきだという所長たちの話にショックを受けたのは納得できる。「おばあさんに振り回された」というのはおばあさんがいなくなってから長々と語られていたが、実際に振り回されていた住人が都のほかにいただろうか。私が見落としたのだろうか。嘘の話として底のない柄杓の話があったのだが、おばあさん自身が語る場面はなかった。底のない柄杓はタイトルであり、チラシに大きく写真が載り、おばあさんが登場時から首に提げていた。最後には都の自殺の道具となった。その柄杓にまつわるエピソードが、おばあさんがいなくなってから別の人物たちによって伝えられたことにがっかりした。

 おばあさんの登場に私は期待をしたのだ。おばあさんのちょっと浮世離れした風貌や裕美とは違った貫禄が、きっとこの物語を大きく動かすと。施設の中には弱い人がさらに弱い人を傷つける構造が出来上がっていた。おばあさんの存在は、そのバランスを崩すきっかけにはなったのだろうか。おばあさんが来なくても、遅かれ早かれこの施設はバランスを崩していったのではないだろうか。