(劇評)「魔法の壁の前で」大場さやか | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

この文章は、2016年2月27日(土)19:00開演のLab.『No Reason Plus』についての劇評です。

背景の壁は白い。舞台中央には四角い机が一つに、背もたれのある椅子が二つ。白い壁に、映像が映し出される。映像の中では、いくつかの手が動き、家具を配置して背景を作る。できあがったのは、恋人たちの住む部屋だ。映しだされた部屋の中、ユウスケはユメの帰りを待っている。帰ってきたものの、不機嫌なユメ。しかしユウスケは、彼女が本当は優しい人である事を知っていて、苛立つユメにも態度を硬化させない。
背景は変わる。手たちが配置したのはオフィス器具。そこはユメの職場である、雑誌編集部。ここでは二人の出会いが描かれる。ライターと編集者という仕事の繋がりを越えて、二人は惹かれ合っていった。編集部から飲食店へ、夜の公園へと、二人の背景は変化する。
映像ならば、大道具を用意することなく、簡単に場所を設定することができる。何もない壁はどんな背景にも変われる、魔法の壁になった。その壁をうまく巻き込んで、恋人たちは動くのかと期待した。しかし、背景は背景としての仕事を全うするだけのようである。
強気なユメと、優柔不断なユウスケ、二人の恋愛物語が展開していくのだと思った。だが二人の物語は途絶えてしまう。ユウスケが病気により、突然亡くなってしまうのだ。
ユメはユウスケを思い出す。背景が変われば思い出の地にもすぐいける。ただその思い出は、あくまでも背景でしかなく、今のユメと混ざりあいはしない。舞台上で喋る思い出のユウスケがいても、彼らは触れ合わない。これは、彼らが、思い出の中であってさえ、決して触れ合えない事の表現だろうか。いや、ユメが喪失から立ち直るためには、思い出との直面は避けられないのではないか。
役者たちは話しあっているが、彼らがそれぞれの本心を捉えているようには、伝わらない。言葉が滑るように遠くへ行ってしまう。この舞台上では、あるシチュエーションに対する正しい回答を求めた時に、多くの人々から得られるであろう、最大公約数の回答が選ばれているように思えた。彼ら登場人物の個性というものは、本当にその、最大公約数の言葉で語られるものなのか。
彼らは綺麗な魔法を見せてくれようとしたのかもしれない。そこに、時には醜さをも含む美しさを望むのは、わがままかもしれない。しかし彼らに魔法が使えるのなら、どこかで見たことのあるような綺麗さの再現と、多くの人が曖昧にうなずくような肯定だけでは、もったいないと思うのだ。