産廃反対運動が始まって14年が過ぎようとしている。私の壮年時代は産廃で終わりました。産廃が中ったら、私の人生ももっと違った色合いを持ったものになったのではないかと思います。一番違った色合いは、階層の違った人達とつき合うことができたたと言うことです。階層が違うと、生活も、言葉も、感情も違ってきました。それを一つの流れにまとめるのはむずかしいことでした。私がそれをしたというのではなく、それぞれが、、歩調を合わせていって一つの流れを作ることができることを学びました。そして、高齢者がその調整をしてくれました。そのうち何人もの人が亡くなっていきました。その人を偲びつつ、二人の人の弔辞を紹介してみます。

弔辞

中野角雄さんあなたがこんなに急に逝ってしまわれるとは、私たちは、驚きと悲しさを隠すことができません。

亡くなる前日まで、東川崎の旅行に同伴され、体の不調を訴えられていたと聞きましたが、まさかそんなに急にという思いで一杯です。

 

中野角雄さんは、この10年大ヶ原の産業廃棄物処分場建設反対運動に体を張って、心血を注いでこられました。大ヶ原住民の迷惑施設建設反対、大ヶ原の自然と水を守れと言うことを、東川崎区民の願いとして受けとめ、反対運動の中心として活躍されてきました。

 

そして、中野角雄さんは、反対運動が重要な局面に遭遇したとき、揺るがずに運動を支えてきた、たぐい稀な住民運動のリーダーでした。

 例えば産業廃棄物処分場工事が始まったとき、大ヶ原団結小屋が建設され座り込みがおこなわれたとき、あるいは土地の問題、県交渉などにおいて的確な行動と発言で、運動をリードされてきました。中野さんの存在そのものが、私たちをどれほど励ましてくれるものだったかを改めて思い出しています。

 

 大ヶ原産業廃棄物処分場反対運動が始まって10年。今運動は、大きな節目を迎えようとしています。4度目となる大ヶ原産業廃棄物処分場工事建設差し止めの裁判も、福岡高等裁判所での審理は、複雑な局面を迎えています。

この様な時に、中野さんがなくなると言うことは、反対運動に大きな穴がぽっかりとあいたような思いです。しかし、10年間大ヶ原産業廃棄物処分場反対という目標のために運動を継続しなければなりません。

私たちは、産業廃棄物処分場反対の旗を掲げ、団結し、中野さんの遺志を受け継ぎ、処分場の撤去のための運動を続けていくことを、御霊前にお誓いし、弔辞といたします

中野角雄さん、安らかにお眠り下さい。

 

平成18年3月1日

川崎町大ヶ原産業廃棄物処分場反対住民会議

              




故江藤巌さんへの弔辞

自然の不意うちによって、あっという間に黄泉の世界に旅立たれた江藤巌さん。川崎町大ヶ原産業廃棄物処分場反対住民会議は、あなたの突然の御逝去にあたり、心から哀悼の意を表すものです。
 常に反対運動の先頭に立っておられた江藤さんの霊前に、住民会議より感謝の気持ちをこめて心よりの弔辞をおくります。
 六年前、江藤巌さんは、大ヶ原産廃処分場建設に反対し、その自然を守る熱き思いで、上真崎区民を代表され、大ヶ原産廃反対住民会議の結成の先頭にたって奮闘されました。平成九年八月二十八日に結成された川崎町大ヶ原産業廃棄物処分場反対住民会議の代表委員として、その重責を十全にまっとうされました。とりわけ、平成九年九月に福岡産業開発㈱が強行した産廃処分場工事に対して、粘り強く説得されていた姿が鮮やかに思い出されます。
平成十年七月三十日に江藤さんは、裁判に先立って行われた福岡地裁田川支部前での住民決起集会で大ヶ原と産廃処分場計画について次のような真摯な訴えと決意は私たちの心をうちました。
「大ヶ原はわれわれの郷土、安住の地、いや裏庭です。静かでのどかな美しい自然の大ヶ原に都会のゴミ、産業廃棄物を持ち込もうとする企業。住民の声を聞こうとしない県行政。このことを絶対に許すことができません。
 私たちが子どものころ泳いだ野路ヶ池、親父たちが野菜をかついで通ったあの道。ゴメンナリといっていました。本当にいい所でした。時代が変わっても自然を変えてはなりません。祖先から受けついで、これを子どもたちに残すことが、我々の義務であり、責任ではないでしょうか。どうかみなさん、大ヶ原に産廃処分場設置に絶対反対しましょう。」
 このような、江藤さんの「産廃処分場反対」という思いは、福岡県の処分場・環境問題にも広がりました。そして、平成十一年十二月十日に川崎町青少年ホームで開催された「福岡県処分場・環境問題連絡協議会」結成総会の成功のためににも御尽力されました。そして、結成後福岡県処分場・環境問題連絡協議会の幹事としてその発展にも力を発揮されました。
 また、大ヶ原に自然公園(仮称)を建設するための競売物件の購入にあたって江藤さんも代表員の一人として奮闘されました。その打ち合わせの折り江藤さんが愛され、誇りにされていたこの自宅の庭を紹介をしてくれて下さったことも忘れられないことです。
江藤さんが気がかりにされていた大ヶ原産廃処分場の問題の行方はまだ分かりません。しかし、その解決が最終段階にある中で逝かれたことは、かえすがえすも残念でなりません。私たち残されたものは、産廃処分場の完全撤去という目標を達成するために最善の努力はらうことを御誓いたします。
 自然を愛しそれを守る心と正義を貫く勇気を持って果敢に立ち向かう精神力。そして産廃処分場反対という目的のためにはどのような努力も厭わない姿を、身をもって私たちに教えてくださった江藤さん。
 江藤巌さん、本当にありがとうございました。そしてお疲れさまでした。どうか安らかにお休み下さい。
 
  平成十四年六月二十日  


川崎町大ヶ原産業廃棄物処分場反対住民会議

 二人ともかけがえのない住民運動のリーダーでしたが、志し半ばで逝かれました。私達は二人に学びながら、初心に返るという作業を繰り返さねばならないと思っています。
 
       
  

裁判所が現地調査をする時期を見計らって、私は、住民運動で惨敗を解決する為のロードマップを作成したことがあった。それは次のような内容のものであった。

『大ヶ原産廃処分場問題解決のためのロードマップ』

8月29日、三者協議の意義と課題

☆その意義

2000年8月、川崎町が地番安真木4301-1の土地を購入したことで、福岡産業開発㈱は産廃処分場の締め切り堰堤の位置を変更せざるを得なくなっている。締め切り堰堤は、紛争予防条例の第 17条の「主な構造物の変更」にあたるために、福岡産業開発㈱は計画変更の申請をしなければならない。計画の変更は同条例6条から16条の課題を履行しなければならないことになる。

川崎町の土地の所有権がある以上、裁判の結果がどうなっても、福岡産業開発㈱は町の土地を不法に使用できない。

県廃棄物対策課は、福岡産業開発㈱が従来の計画で産廃施設を建設しても、「使用前審査」をとおさないと言っているので、たとえ建設しても使うことが出来ない。(このことがわかっているので、業者は、建設工はしないとのことであった。)

☆その課題

紛争予防条例では産廃処分場計画の変更は、福岡産業開発㈱が行う申請行為であり、県廃棄物対策課にその指導は出来ない。

つまり、福岡産業開発㈱という猫に計画変更という鈴を誰がつけるか、という問題に逢着している。

裁判の行方

ボーリング調査の結果は、3本では何もわからないと言っていた、住民の訴えが、事実になったという位置づけをする。

弁護団は、これ以上は証人尋問などの証拠調べは行わず、産廃処分場の差し止めにおいて、3度目の勝訴判決をとっていく。

裁判の日程としては、年内結審、年度内判決になるであろう。

産廃処分場の最終解決のために必須条件

本裁判で年度内(来年3月まで)に勝訴判決を勝ち取る。

福岡産業開発㈱に産廃処分場建設断念を法的(裁判)にも現実的(県廃棄物対策課の対応)にも認めさせる。

産廃処分場予定地を川崎町などが購入を決意する。

購入についての予算を川崎町議会が同意する。

川崎町産廃棄反対住民会議のかかえる住民運動の課題

川崎町大ヶ原産業廃棄物処分場反対住民会議は、産廃処分場計画の変更は、条例手続きをやり直すことになることを福岡産業開発㈱に文書で通告する。(10月の終わり)

川崎町長に、土地の不使用を福岡産業開発㈱に連絡してもらう。

(11月)

そのために、大ヶ原通信の全戸配布(2回)全町に街頭宣伝車をまわす。署名活動目標12000筆以上、小学生以上は誰でも署名は可能。(自然公園建設 仮称)、マスコミ対策(筑豊支局の記者に産廃処分場反対運動の経過のレクチャー)を行う。

産廃処分場問題解決のために川崎町長、県議などと懇談し、この「ロードマップ」を説明しておく。

署名活動(10月から取り組み自然公園建設12月議会に提出)のために、町長、教育長とPTAの会長と相談する。

PTA会長には、1会員5名の署名をとってもらえるようにお願いする。

行政区長にもお願いし、出来るだけ署名をとる。

 各種団体にもお願いする。

年度内の勝訴判決を勝ち取ったあと、予定地の購入のために、議会請願を行い、購入に必要な予算を議決してもらう。(来年の4月から取り組み、6月議会に請願する)

川崎町民から、大ヶ原の産廃反対と自然環境を守るために、土地の購入において必要な費用支出についての合意をとる。(請願署名などのよって)

裁判で勝訴するために、筑穂町自然環境対策住民会議との共同行動をおこなう。

水と生命を脅かす危険で、違法埋め立てを産廃処分場の埋め立て、建設差し止めという共通の要求で筑穂町自然環境対策住民会議との共同行動を行う。

具体的には12月14日(日)午前10時から、産廃処分場反対で集会を飯塚で開催する。

開催要項は別途企画するが、飯塚市で集会とパレードをおこなう。人数は400人以上。その内訳は筑穂200人、川崎200人、その他20名とする。

大ヶ原産廃処分場反対運動の現状と発展のために

・昨年8月23日の環境問題講演会以降、産廃処分場と環境に係わる運動の提起が激減した。そのことと関わって、町民のなか住民会議の中にも裁判が終わったのではないかという風潮も生まれている。

県廃棄物対策課交渉等も産廃反対住民会議の力を結集して設定することもなくなっている。あまり必要ではなくなっているが。

理事会への参加も20名台で、固定化している。理事の中には、数年間1回も参加できていないかたもおられる。

疾病、高齢と言うことで、参加できない理事が増えた。

いわゆる関係地域での懇談会などを開催し、産廃処分場終結の見通しについての意志確認を行う。

理事会への実質的参加を増やし、40名の参加体制をつくっていく。

欠席理事には、理事会の内容を文書で連絡する。(担当事務局員を決める。)

筑穂町との共同行動を行い、11月30日(日)の決起集会に川崎町から200名の参加をつのる。

しかしこのロードマップは机上のものに終わった。裁判所は現地調査を行い、住民が何人かそれに立ち会うことで、終わり、住民運動で解決の機会と思ったのは、私の独りよがりであることが分かった。住民運動は、、全体の合意をうることなしには実践できないことを思い知らされた出来事であった。

 大ヶ原のの裁判では、建設工事が始まって、それを住民が実力で阻止したうえで仮処分裁判を提訴しました。裁判と住民運動は、運動の車の両輪と言われますが、裁判を始めるとそれに頼る傾向が生まれます。真実を主張すれば裁判官がいい判決を出してくれるのではないかと言う、「幻想」が、住民の中に根強くよくあります。裁判官は、公平で、国民の目線で判断してくれると、考えているのです。裁判官は、最高裁判所に統制され、住民の立場に立った判決は滅多に出さないものです。国民の立場に立った判決を出せば、出世に響くからです。従って、裁判に過度の期待をかけるのは運動としては間違いです。しかし、裁判官も人の子です。住民が産業廃棄物処分場が迷惑施設であることを、科学的事実で証明して、その上、住民の世論を背景にその工事を止めたとき、住民の立場に立った判決を書くのです。住民運動のリーダーは、裁判に過度の期待をかけずに、しかし裁判の為に、専門家の協力を得て迷惑施設である証拠を集める努力を行うことが大切だと思います。この時、裁判と住民運動は、車の両輪の役割を果たすのです。