それは今から40年ほど前の昔々のお話。(※年齢バレるなw。)
相当に田舎住まいの私のエリアの小学校は休校で、
市の教育委員会から補助金もらって徒歩では通えない小学校に通っていた。
地元の小学校は休校だけど、公民館として利用されていた。
今から思えばいわゆるアマクダリで、
教育委員会の”元偉い人”が「公民館長」という肩書で着任されていた。
私が小学生だった頃に「公民館長」としてお見えになったのは。
それはそれはやる気ある感じのおじさん。どっかで校長先生もされたらしい。
この過疎ってる地域に「子供会」を作ると…。
村内に子供は数人しかいませんけど………?
※小学校が休校になるくらいだし…
…と思ったら、田舎暮らしを知らない市街地の子供たちを呼び寄せて、
「田舎の子供たち」と「ちょっと市街地の子供たち」の交流を図り、自然と触れ合う会にする!
とのこと。。。
ここまで聞くと、ちょっと素敵な会に思えるでしょ…???
今から40年ほど前と言えば、
任天堂のファミリーコンピューターやディスクシステムが飛ぶように売れた時代。
子供たちの遊びが、外で元気に遊ぶ → 屋内でテレビゲームをする に移行し始めた時代で、
新しいものが大好きな子ほどハマったし、自分が持っていなくても、持ってる子の家にカセット持って集合してピコピコ遊ぶのが楽しかった時代だ。
親たちは「子供が家でゴロゴロ テレビゲームばっかりする…!」と、
自身の子供時代と違うスタイルに飽きれたり心配したりして
「日の光を浴びないモヤシのよう」「これでは運動能力が発達しない」「目が悪くなる」etc
「もっと外で遊んで欲しい!」とテレビから引きはがそうとするも、、
親に命令されればされるほど、子供たちというの反抗するもので
…まぁ逆効果、、という時代。
そんな時代だからこそ「公民館長」発案の子供会は
市街地の親御さんたちの受けが良かったらしく、応募が殺到し抽選制になったらしい。
………一方で、数の少ない田舎の子供たちは、まぁ強制参加。
かくして本当は家でのんびりファミコンで遊んでいたいのに、
親の命によりかき集められた子供たちが、超ド田舎の公民館に大集合した。
さて、この状況下、、何かとストレートな子供たちの不満はどういう形で出るでしょう??
市街地の子供たちは、下水道すら整備されていない田舎とそこに暮らす人々を、まぁ馬鹿にする。
田舎の子供たちは、無礼な見知らぬガキどもにひたすらバカにされながら、別に珍しくもなんともない近所の散策に付き合わされて、面白いわけがない。
…無知なくせに知ったかぶりで土足で踏み荒らす感じ、ってあるでしょう…??
本人たちに悪意はないのか知らないけれど、知らないガキどもに横柄な態度でつっかかられて、とにかく嫌な感じ。。
私自身はちょいと事情があって、イヤイヤこの会に参加していたわけだが…、
2年目に突入してその事情が消滅したことにより、行く必要がなくなった。
すると、近所の酒屋の3兄弟も「こざるちゃんも来てないし」で行かなくなった。
すると、近所の兄妹も「酒屋さんとこも来てないし」で行かなくなった。
他は田舎から引っ越したり、中学に進学したから卒業したり…。
………残ったのは公民館のすぐ近くに住まう3姉妹のみという状態になった。
※3姉妹の長女曰く「お祖母ちゃんが行けというから…」とのことでイヤイヤ参加してたポイ。
…私から見ると、他の子たちが行かなくなった理由なんて知ったこっちゃないし、
正直、、、たぶんみんなイヤイヤだったもの…。。。当然の流れでしょ…。。。
というところなんだけど、公民館長は「こざるが来なくなったから全員こなくなった!!」と言っていたらしい。。。(※3姉妹の長女情報)
「ふざけんな。来てほしかったら、行きたくなるような面白い会にしやがれ」
とバッサリ斬り捨てた小生意気なクソガキが当時小学5年生だか6年生だかの私である。
という昔話を通して、私が何を言いたいかというと、、、
私、1年は我慢して通いましたよ。。。
この1年のうちに、近所のおじさんが公民館長所業についてクレーム入れたのも知ってますよ?
だが、公民館長は改める気配がなかった、最初に「素敵だ」と称賛されたその理想を具現化した会を、実際に走り始めて見えたはずの諸問題をなんら修正することなく推し進めた結果であるにもかかわらず、その失敗は自身のせいではなく「ある日突然来なくなった、小学生の小娘のせい」なわけです。。
私は今でも自分が間違っていたとは思っていない。
※いやいやながらも1年も参加し続けたなんて、充分協力したよ???とすら思ってる。
館長もおそらく自分が悪いとは思いいたることはなかったでしょう。。
ただただ生意気だった小娘は…
その後、結婚も出産も経験することなくダラダラ生きて、
周囲ははやい子には孫もいるであろう年齢になって、
ついでに家業を継いで、自分で色々決断してすすめて行かなきゃイケナイ身分になって、
当時を振り返る……。
自分の理想だけで邁進するのは良くないなと。
元偉い人ほど自分を過信する、いわゆる『老害』になりがちだ。。
私はド底辺で生き続けているけれども、、、
人間年を重ねるほど頑固になるし『老害』と言われる人物にならないとは言い切れないなと。。
数年前からバイト先の社長が、当時の公民館長と同じ理想をかかげて、
うちの地元で事業を起こそうとしている的な噂をどこかから聞いたのね。。
………過去、ちょっと都会民のその高邁な理想により、イヤな思いをした現地の子供目線で
「おすすめはしませんよ」と言ったのだけれど。。。
……今と当時は事情が違うな。。。
当時の親たちは、子供にはテレビゲームはほどほどにして外遊びをしてほしい世代。
今の親たちは、子供がテレビゲームをすることに当時の親ほど抵抗がない世代。
→→→子供たちの外遊びに対する向き合い方が違う
というのを、上司の子供たちを見ていて感じるのだ。
自分の成し遂げたいことを成し遂げるために巻き込んだいろんな人。
なにをしても不平不満ばっかりで、まともな改善案を出してこない人もいたりして、
むかつくことも多々あるけれども、、、それでもよりよくする努力は常に必要で、
お互いに謙虚な気持ちで話し合うことによって、うまい落としどころを作って、
お互いに納得し合うて作業は必要だよねと。。。
自分の価値観・目の前の誰かの価値観。利害は一致しない方が多い。
状況を見極めて柔軟に判断して歩み寄ったり譲ったりをできていないと、
本当に譲れないものを守ることもできなくなる。
常に自分を顧みて、気をつけないとなぁと思う今日この頃。。。
……私は柔軟な大人になれているのかなぁ。。。