ユパ虹の橋を渡る | 4羽の怪獣コザクラインコ

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コザクラインコの日常と記録

1月21日

ユパが愛するテトのところへ逝きました。


テトがいなくなってからしばらくして具合を悪くして。

去年の10月からずっと闘病生活を頑張っていました。


腸に水がたまり、

43gまで落ちた時には

もう体力もなく検査も出来ず。


入院させて強制給餌する手もあるが、

病院で死ぬだけかもと言われ


おうちで3時間おきにご飯をあげて、

何とか46g迄増えました。



ユパも少し元気になって、

病院でも抵抗する力が増したと。

危篤状態から前向きな話が出来て。



これからも一緒に快方に向けて頑張っていくつもりでしたが、

急に1日で悪化して朝から何も食べれなくなって。

40gまで体重がおちて。


夜遅くなってやっとソバの実を食べれるようになりました。



頑張ってたくさん食べたのに、

それも朝方には全部吐いてしまいました。



もう私にはどうにも出来ないんだと。

もし良くなる方法があるとすれば、

入院しかないんだと、悶々としながらその日に病院へ行きました。






病院で死ぬか、家で死ぬかになるかも。

ということでしたが、

とりあえずは食べれないとどうしようもないので…


病院で死にたい人なんていないし。

色々悩みましたが、


病院で回復することに賭けて。


今日から入院します。というお話を診察室でしていたのです。


病院が大嫌いで、繊細なユパは、

いつも診察室ではキャリーの中で縮こまって

震えて隠れていましたが


そんなユパが、

ガチャガチャとキャリーから出ようと必死に動き回って暴れて

様子がおかしかったので


やっぱり今日だけでも家に連れて帰ります。

と言い、

吐き気止めの注射を打ってもらって、

明日から入院にしてください。


と連れて帰りました。


あんなユパははじめて見ました。



帰りの車では落ち着いていて、

今日はおうちに帰るよ安心してね!と話していたところです。



日差しポカポカで車の中だと暖かいね。






いつもの様に手の中で寝て。


もうすぐ家に着くよって時に

急に様子がおかしくなり

ユパの名前を叫び続けて


家に着いた瞬間に、

息を引き取りました。


入院、させなくて良かった。


最後は一緒にいれて。

最後は家で。


でも私は良くなる事しか考えていなかったのでツラいです。



ユパが一瞬元気になった時、

少し歩き回れるようになって。

でも全然飛んだりは出来ないのに頑張ってなんとかテトのお墓のところへ行こうとしていました。


テトが死んでから、

どこへ行くのも私にべったりで

具体が悪くなってからも

少し食べたら私の手の中でお昼寝して。



2人で支え合ってきたつもりでしたが、

ユパの世界はテトの中にあって。


追いかけるようにいってしまいました。


私にはテトとユパが娘と息子で。

全てのはじまりで。


どうしていっていいのかわからないです。


ユパは小さい頃からワガママもせず、

優等生で優しくて天使のようでした。


私にとっての幸せの青い鳥でした。


テトが死んだ時は、

どうして。

もっと一緒に。

という気持ちがぐるぐるしましたが、


ユパくん、愛する妻のところへ行きたかったのかもしれないと思うと。

よく分からない気持ちになります。


でもやっぱりつらい、さみしい。


これからの闘病生活に向けてネットで買ったものが、

ユパが死んだ次の日に届きました。

これが余計につらくなりました。



病院からもステキなお花が届きました。



ユパくん。

今頃大好きなテトと会えてるかしら。



誰よりも食いしん坊だったから、

闘病中なかなか食べられなくてつらかったね。


たくさん好きな物食べるのよ。


永遠に愛してるよ。

おやすみなさい。


いつかまた会いましょう。