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幸運の宝箱

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その人は我が住宅に住んでいた、年齢的には私よりも20歳ぐらい年上で最近亡くなった。それまで私はその人は新聞社かどこかに勤務していたと思っていたが、その人が読んでいたという本が資源ごみとしてだされた時、警察勤務でないと手に入らないような本がでてきたのでその娘さんに確認したら警察勤務であったという。そのごみとした出された本の中に珍しい本があった、杉本健吉作「新平家画帖」下巻であった。何でも朝日新聞に連載された時の挿絵を画集にしたものであるらしい。私は今でもこの種の本には全く興味がないのであるが、たまたま吉川英治の「新平家物語」に詳しい人がいて、その画集が珍しい本であることがわかった。

その人は私に似て結構歴史関係の本を多く読んでいたようである、しかし私はその人の過去は全く知らなかった。ところが最近この住宅に航空自衛隊を定年退職した人が引っ越してきて基地は境港であったという話から始まって境港なら海上自衛隊ではないのかということになり、今でも私が乗船したいと思っているのはイージス艦であるということで最強の戦闘戦艦の話になった。

そこで父親が警察勤務であったという娘さんが、私の父は戦艦大和に乗船していたという話が飛び出してきた。何でもあの最後の出撃の一週間前に下船命令がでて大和から退艦したという。そしてそのときその人の父親もあの映画「男たちの大和」と同じように婚約者がいてあのまま出撃していたら私はこの世には生まれてはいなかったという。なぜ下船命令がでたのか定かではないが、その人は大和では艦載機に乗って巨砲砲弾の着弾ポイントを確認する任務をしていたという。さすれば最後の出撃はできるだけ戦闘員を乗せるために非戦闘員であったその娘さんの父親は下船させられたのであろう。そしてその人は生涯呉港に足を向けることはなかったという、多くの戦友を弔う気持ちよりも失ったことが瞬時に蘇るのであろうか、私にはその気持ちは判るような気がする。多くの戦友を全く価値のない出撃のために犠牲にした無謀な作戦に対する憤りは生涯離れることもなかったのかどうかも今はわかる術はない。敗戦間際になっても高所大所からの戦略計画がなされず、ただそこには総国民玉砕戦法しかなかったとは・・・・

時代は巨艦時代ではなく航空機時代に移っていたのに、巨艦主義に拘りを持ち過ぎて無謀な出撃をしたことに対してどのような気持ちでいたのか、その人が元気でいた時にその感想を聞いてみることができたかもしれないが、多分聞いても話さなかったのではなかろうか。今でも遺品の中には予科練の時の多くの写真は残ってはいるという話を聞くとその頃の想い出が一番印象に残っているのか、人生で一番輝いていた時であったのであろう。それにしても残念である、直接大和の話を聞いてみたかった。
現在太子が書いたという書物「勝鬘経義疏」をぱらぱらと捲って眺めているのであるが、当時この書籍を理解できた人が何人いたのかと思うほど理路整然としているのに驚いている。最も易しいところを以下抜き出してみた。

経の部分は省略して解釈を記す、解釈1:凡そ人情からいって、目上の人に対しては自分もそのような者になりたいと思い慢りの心を起こしてしまう。また目下の人に対しては自分は彼より優れている思って見下し怒りの心を起こしてしまう。この二つは何れも道に外れた態度である。だから目上の尊い人に対しては慢心を抱くことを制止し、目下の卑しい人に対して怒りの心を持つことを禁ずる。

解釈2:目上の人に対しては怒りを生じやすいが慢心は生ずることは少ない。目上の人は高貴な身分を頼んで目下の人を侮る、それ故目下の人は多く怒りの心を生ずるからである。また目下の人に対しては慢心が多く起こり、怒りの心を生ずることは少ない。目上の人は目下の人が自分より下にあるとするからである。これは目上の人に対して慢心を起こすことを制止するのであるから、目下の人に対して慢心を起こすことがあろうか。また目下の人に対して怒りの心を禁じているので、目上の人に対して怒りの心が起こすことがあろうか。これは悪心の軽い事例を挙げて重い事例をも戒めている。

解釈3:目上の人を敬うべき対象である。慢心は敬う心を反する故目上の人に対して慢心を抱かぬよう戒めるのである。また目下の人は慈しむをかける対象である。怒りの心は慈しむ心に反する故目下の人に対して怒りの心を抱かぬよう戒めるのである。

この論理一見どうなっているのかと煙に巻かれたようになるが、目上の人に対して通常怒りを覚えるが、目下の人には怒ることは少ないのにその怒りを戒めるのであるから、最早怒りの心は消滅するという発想は今でも実に斬新な発想である。これは数学に長けていたインド哲学の影響ではなかろうか、1が0に収斂するのであれば、全ての数は0に収斂するということを連想させる。このことを太子が理解していたとするとその論理的明晰さに感嘆する。

即ち1/0=∞とは僅かな悪心でも皆無にしてしまえばその心は無限の良心のとなる。
私が住んでいる一番近い所には「龍の湯」がある、しかしここは今温泉掘削中なので次に近い太山寺温泉に天気が良かったので出向いた。この地帯から淡路島にかけて出てくるのはラジウム温泉である、特段特徴があるわけではないが近くに地下鉄駅があり、そこと無料送迎バスが運行されており交通の便がいいのか何時も混んでいる。利用者で一番多いのが高齢の女性である、午前中に家事を済ませ、一日中家でごろごろしているぐうたら亭主の食事を作り温泉に出掛けるのか日課のようである。途中の交通費はほとんどいらないし半日は息抜きができるのである。

以前何時ものように行って驚いたことがある、湯船でのんびりしていたら隣に在職中から顔見知りの同期仲間がいたのである。彼は全く気付いていないようであったのでしばらく様子をみていたのであるがこのまま帰るのもどうかとおもい声を掛けた。彼は今でも現役で働いている、職場で身に着けた特殊技能を生かして地域の会社等の技術指導をしているのである、何時まで続けるのかしらないがよく頑張っていると感心している。今の時代はパソコンを使用しないと仕事にならないとおもっていたらそれなりに使ってはいるらしい。ただ奥さんのPCを使用しているようで、私が彼宛に送ったEメールに対して何の反応もなかったことがあった。そこで一度電話がかかってきた時に確認したら私の名前が英字になっていたために迷惑メールということで奥さんが開封せずに捨てていたという。それ以来メールをするのを止めた。

さて風呂からでて休憩室で横になってテレビを観ていたら、女房が出てきてマッサージ器を一度使ってみたいというので、引き続きテレビを観ることになった。どれぐらい時間が経ったかマッサージ器の中で女房が手足をばたつかせているのを発見した。昔田舎でよく見たひっくり返った亀そっくりなのである。大層苦労してやっと出てきて開口一番背中が痛いという、体はまるまるとしているのであるが背筋が付いていないために背骨と皮膚のマッサージをしたことになったらしい。おまけに本来はふくろはぎのマッサージになる所にちょうど足首が入りいまいちであったようだ。
「白虎隊」を観た、しかし以前から新撰組や白虎隊を題材としたドラマ・映画に興味を持つことはなかった。それは明かに時代が変わろうとしている時に自分達の生き方を変えずに滅んでいった意図が理解できなかったのである。そして今も理解できないのであるが、しかし何かがあるのではないかと想い最近「葉隠」を身近において拾い読みをしている。以下の逸話は葉隠から引用した。

大阪冬の陣の和睦が成立して城の外堀を埋めるという約束で家康は駿府に帰った。その後外堀を総堀にすりかえて全部の堀を埋めてしまった。秀頼の家臣大野道賢はこのありさまを見て「家康には全く和睦の気持ちはない。来年は和睦を破って、大阪城を攻める支度と見えた。味方の者その心を悟らず折角の要害を失ってしまったことはまこと残念である。家康は堺の町に伏兵を置こうとするに違いない、先手を打って堺を焼いてしまおう」と考え風向きを見て放火した。道賢の放火は自然と世上の噂となり家康の耳にも達し、道賢が家康の心底を察してやったと考え深く道賢を憎んだ。夏の陣のときこの度の合戦一番の戦功は道賢を生け捕りした者であるといった。このため皆が道賢一人をめがけて取り巻いたが道賢は比類ない働きをしたがついに生け捕れた。このことを知った家康は「白州に引き出せ」と命じ自ら大声で「お前は天下に名を知られた勇士というが、いまは縄目の身で諸大名の前に恥をさらす。面目はなくは思わぬか」言った。道賢はそれまで首をうなだれていたが、この言葉を聞くや背筋を伸ばし「その方をこのようにしたいと思ったが武運尽きた上は力及ばぬ。生け捕りとなることは古今の勇士にも例のあること恥と思おうか。そのような浅はかな心底では天下をとることは心もとない。大たわけめが」と大口をたたいたので、家康も愛想が付き言葉もでなかった。

その時堺の町人どもが「この者の放火で私どもはこの上ない迷惑を被りました。焼跡で火あぶりにしたいと思いますので私どもにお下げ渡しくださいますよう」と願い出た。そこで家康はその願いを聞き届けうんと憂き目を見せてやれと言って下げ渡した。そして道賢は火あぶりになったが余程無念であったのであろう。既に焼草が燃え上がって全身が焦げ繋がれていた柱も焼けてしまったので見物の者達が「ああ無惨だ、もう息が絶えたことであろう」言い合っているとき、いきなり柱に繋いだ鎖を引きちぎって正面に飛び出し、見物をしていた男の脇差を引き抜きその男の腹を突き刺しそのまま倒れて死んだ。人々が集まって調べてみると全身はまるで炭のようで指も半分以上焼け落ちていた。それでいてこの働き大勇猛心に燃えた者が一念をこめるという真に不思議なできごとであった。

どこまでが真実なのか定かではないが当時の武士の一念を思い起こさせるできごとではある。このような鬼神にも迫る執念はどこから生まれるのであろうか今の私には想像も付かない。精神をここまで一点に集中させてしまうと最早周りのことは見えなくなり、その一点に向かって突き進むことに命を懸けたことになる。ここには人間としての真っ直ぐな純真さは光輝くことになるが、人間のもつ多様性を雑念として否定する欠点も合わせ持っていることになろう。目標もなくただ漂流するのも問題であるが、ただ一点に執着するのも大いに問題である。
昨日ふと思ったこと。

「こんなことをしたら、バチがあたる」っていいますが、バチって何だろう。なんかしらのしっぺ返しにあう、悪いことがおこるって思ってました。今もそれは思いますが、一番のバチって自分自身の罪を心に持ったまま生きていかなければならないってことなのではないのかなあと。

きっとバチを誰かが下さなくても、悪いことをした人に対して、目を真っ直ぐに見れないだろうし、最終的にはまた逃げる。そして、自分の中の罪と罰が増幅していく。そのスパイラルから脱出するのは、ほんとに悪いことをした人に心底から謝り、自己を悔い改めるしかないんでしょうね。早く気づいてほしいなあ。