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幸運の宝箱

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これは私も夢中になって読んだことのあるハンティントンの有名な本のタイトルである、これをサイードはばっさりと切り捨てるのである、以下はその引用である。

西洋とイスラムと呼ばれる途方もなく大きな存在が、大胆きわまりない断定で擬人かされている。固有性とか文化といった高度に複雑な問題がまるで漫画の世界に存在するかのように扱われ、容赦なく殴りあいを続けるポパイとブルートのように一方が常に相手側よりも徳が高く常に優位にあるというようなかたちで描かれている。明らかにそれぞれの文明が内部に抱えるダイナミズムや多元性については十分な時間が割いていない。またほとんどの現代文化における論争の中心になっているのは、それぞれの文化についての定義ないし解釈にかかわるものであるという事実、或いはまたある宗教や社会の全体を代弁しようなどというおこがましい行為には、デマゴギーと全くの無知が大きく関わっているのではないかという可能性のついても十分に目を向けているとは思えない。そして西洋の政策立案者の課題は西洋の勢力が着実に拡大し、全ての他の勢力、特にイスラムの攻勢をかわすことのできる手段を講じることであると主張しているという。

実は日本も新政権のもとで教育再生の名のもとに伝統文化を教育にしっかりと取り入れようとしているが、しかし伝統文化は日本だけで生まれたのではなくて国家相互の交流や異種交配や共有の結果でもあることを忘れてはならない。そして日本の歴史も同じことがいえる。日本固有の文化を教育で教えるのであれば、その中に取り込まれている異種混合と豊富な多様性をもしっかり教えなければならない。改正教育基本法は成立した、そして個を重視した教育から公を重視した教育に日本の教育を変えていくという。公の基本教育とは何なのか、それは公の立場にある人は安易に自分の信念を変えるべきではなく、そして自身の信念が時代に合わなくなれば身を引いていくことではないかと思うのである。そして機軸に日本の伝統文化を置くことではない、公の精神も基本は個人の理念の問題であり伝統文化や歴史とは無縁である。

文明の衝突だけでは現在文化の多様性は説明できない、異種交配や共有があったればこそ複雑な構図もできたのである。そして次のように警告している。

絶対論者や狂信的暴君は個人の行動を規制しようと言う考えに強くとりつかれているため、伝統文化からヒューマニズムや美学や知的探求をことごとく取り除こうとするという。本来多様性を内包する伝統文化を矮小化させて教義化された伝統文化に置き換えてしまうことは不寛容や特定集団への憎悪に基づく犯罪やあらゆる不快な集団的熱狂へとつながる偏狭で偏執的な愛国心を生むおそれがあるという。

このあたりの表現はまさに戦前の日本の教育体制にぴったりと一致している、同じ過ちをしないようにしなければならない。日本の多様な伝統文化を単純に国歌や国旗に置換してしまうのは極めて危険なのである。
もうかなり前になるのですが、(半年くらいかなあ?)ある方にスピリチュアルカウンセリングを受けたことがあるんです。前世とかも見てくださるかたなのですが。。。その時言われたことの中で最近、「はは~ん」と思うことがよくあります。後になって気づくとでもいうのでしょうか。

私の人生って今まで波乱万丈を絵に描いたような人生だったでしょ~。すごくビッグウエーブって感じで。普通に生活してたら、そんなこと起こらないよね。って思うこと多発。そして、それを乗り切ったら、ありえないくらいにボーンっていいことやってきたり。って。

ほんとに納得なんですよね、これは。私、自叙伝出したら、面白いと思いますもの。