古希綴り 下書き その36 | 手作り酵素で妻の癌を治す

手作り酵素で妻の癌を治す

     ~酵素のある暮らし~

ゴーグルさん

 

1992年の秋、東京から引っ越しをして、大阪の茨木社宅での生活がスタートします。 

仕事は元のスタートアップですが、春と秋に、1ヶ月の新入社員(23人)のオンジョブトレーニングも担当もすることになります。 また、インド工場からの受け入れ教育(半年間、23人)も34年、担当しました。 

その中の一人、ゴーグルさんを受け入れた時、ホテル暮らしは嫌だから、どこかのアパートに住めないかと相談されます。 

そこで、社宅の私の前の部屋が空いていたので、社内調整をして、住まわせることにしました。 すると今度は、一人でいると寂しいから私の娘に、英会話を教えたいと相談されます。 

娘は小学2年生でしたが、社宅の友達と2人で習わせました。

 

インドなまりの日本語と英語で、いろんなことを教えていたようです。

 

「春愁や インドなまりの 英会話」 季語:春愁

 

春愁(しゅんしゅう:春の華やぎにいて、そこはかとない哀愁を感じること)

 

私も海外ジョブが多く、ゴーグルさんの気持ちはわかりますが、・・・。

 

半年後の秋に、お別れ会を私の部屋で行います。 

ゴーグルさんが持っていた、カレー粉をいただいて、日本のカレー粉をミックスしたカレーを私が作りました。 

すると、とても美味しいと言いながら食べていた顔が、一番の思い出です。

 

「秋思かな インドカレーの 別れ会」 季語:秋思

 

秋思(しゅうし:秋の物思い)

 

娘の友達とお母さんを誘って、7人程度の楽しいパーティでした。 



 

それから5年ほどすると手紙が届き、その中に結婚式の写真が添えてありました。 

それからまた5年ほどすると、今 「本社にいます」 と、社内電話がありましたが、話は娘のことばかりでした。

 

「おはようと 声かけられて グッモーニン インドなまりの 懐かしき人」 

 

おかげで、娘の中・高時代の英語はいつもトップクラスでした。 娘も思い出の人かもしれません。

 

新入社員教育は、10年ほど一緒にジョブ処理をしながら50人ほど教えていきました。 

本社へ行くと、いろんな人が会釈してくれますが、だれだったかな? と名前が浮かばない人も多くいます。  しかし、ゴーグルさんが一番の思い出の人となりました。