思考の学校では、心の中にある不安は、「攻撃思考」があると考える。
怒りや、モヤモヤを放置して、心の中や実際に気付かず誰かを
攻撃し続けていると「いつか、自分も攻撃される」と、無意識に考えてしまう。
だから、心の中の攻撃を止める為に
紙に書いて、書いて、書きまくる。
そして、過去に攻撃してきた人たちに謝る
それを繰り返し、繰り返しする。
わたしは気付いた。
嫌な事がある度に、
気付いて、紙に書いて、謝る。
を、もう、何カ月もしているのに
まだ、ふっと不安がよぎる。
わたしは自分に
「不安なんだよね?」
「何に不安なのかな?」
「何が不安なのかな?」と聞いてみる。
返事がない。言いたくないらしい。
「大丈夫だよ、教えて!
わたしは、わたしの人生を安心、安全、楽しく豊にしたいの!
だから、何が不安なのか教えて?」
とお願いしてみる。
そうすると、
「だって、こんなにひどい事いっぱいして、
色々な人を見下して、色々な人に嫌な思いさせて、
みんなに嫌われて、酷い現実作ったんだから、
あやまっても、みんな許してくれないよ!」
と自分を責めている事、
みんなが許してくれないと言う恐怖があると気づいた。
思考の学校では、自分攻めは傲慢と考える。
なぜなら、自分を責めていれば誰もこれ以上攻めてこない。
自分が悪者になれば、あなたは悪くないよと言ってもらえる。
わたしは、許されないと思うことで、
わたしを許さない酷い人たちを作っていた。
たとえ、心の中でも思考が溜まれば全て現実となる。
わたしの中の得体のしれない不安の正体は、
「みんな、わたしを許してくれないだろう」と言う
酷い人達を作っているわたしの傲慢な思考だった。
わたしは、わたしに、
「みんなやさしいよ。みんな許してくれているよ」
「わたしだって、誰かが謝ってくれたら、
一生許さない!って言わないよね?」
「もういいから、次、気を付けてとか言うよね?」
「わたしを絶対に許さない、悪い人達を作るのやめようよ」
と自分で自分を諭す。
思考の旅の中で罪悪感という仮面をかぶった、
もう一人の傲慢なわたしに出会った。