思考の学校オンラインに入校して8ヵ月が過ぎた。
思考の学校では、今、起こっている現実は100%自分が作っていると見る。
平和な日本に住んでいる事も、
今年、涼しくて、過ごし易い夏を作ったのも全部わたし。
厄介なのは、自分は悪くないと思っている自分と真剣に向き合う事。
わたしの思考はどちらかと言うといつも、
というか、はっきり言って、
不平不満、怒り、被害者意識そして見下しが多い。
そう、自覚しているだけで、こんなに叶えたくない現実の種を
わたしは心の庭に適当に、何の考えもなく、どんな花が咲くか、
どんな実がなるか、どんな雑草かも考えず蒔き続けている。
意識的、無意識的に
1日6万回以上の思考×年齢=一定量溜まった思考が溢れて現実になる
これが、思考の学校の計算式
だから、感情を放置しておくと
同じような現実が時を変え、形を変え、人を変えて出てくる。
思考を見るときは、何で、こうなるの?
まずは疑問から始める。
何で、いつも近所の騒音や、視界に入る不快な物、
朝、爽快に目覚めて窓を開けたら
同じタイミングで、となりのおじさんが
煙草を吸っていて、イヤナ臭いが入ってくるの?
この、「不快」、「ムカつく」が大切なサイン。
今までは、なんでだろう?
なんて考えず、
「嫌!うるさい!ムカつく!」
「嫌!汚い、目障り!」
「嫌、臭い!!外で煙草吸うな!家の換気扇の下で吸え!!!」
と、心の中で毒づく傲慢なわたしのまま、放置。
で、現実は不快なままで変わらない。
なんで?なんでなんだ?
マンションの騒音が耐えられないから、
多少家賃だ高くてもわざわざ一軒家に住んでいるのに、
朝、大声で怒鳴っているおじさんの怒りの声が家の中まで入ってきて目覚める。
朝、気持ちよく窓を開けたら、不快な煙草の煙に悩まされる。
こんなの、一軒家に住む意味無いよね?!
まだまだある、まだ、マンションに住んで居た頃、
朝、毎日、大音量で不快な歌のだれかの目覚ましで、休みの朝、起こされる。
朝、毎日、5時から、脱水機のガタガタと言う不快な音で目覚める。
朝、毎日、小さい子供のバタバタ走り回る、響く足音で目覚める。
これ、全部、場所も、人も、時も違う。
これ、これ、こういう事!
自分の思考が現実を作っているから、気づくまで追いかけて来る同じ問題。
冷静に見ていくと、共通点がある。
朝なんだよね~、
みんな、人に迷惑かけているって、思っていないんだよね~
怒ってるおじさんも、怒ってスッキリするしかない、
怒りをコントロールできないから=本能のまま
煙草のおじさんも、朝、爽快な空気を吸いながら至福の一本を=好きでやってる。
大音量の不快な目覚ましも、
自分の好きなアーティストのハイテンポな曲で
朝、気分よく目覚めてテンション上げたい=好きでやってる。
朝5時の脱水機の音も、朝から洗濯して気分よく出勤したい=好きでやってる。
小さい子は何でも楽しくてたまらないから、
走ることが止まらない=好きでやってる…本能のまま
「みんな、好きでやってるから迷惑かけてるって、思ってないよね~」
「じゃー、わたしが悪いんだー」、「わたしがわがままなんだ…」
「みんな、好きでやっている事に、不満を持っている私が悪い」
「我慢しよう」。これが落とし穴。
なぜなら、原因があるのに、我慢しているから。
ここは、根気よく、
なんだろう?
あの煙草のおじさんだって、わたしが自分の思考に気付けば変わるはず。
わたしが、窓を開けたタイミングにあのおじさんが
タバコを吸っていなければ良いだけなんだよね…
そうしたら、わたしも、おじさんも、清々しい朝を楽しめる。
思考の学校では、最近、思考した事が現実になったとは限らないという。
大抵、子供の頃の出来事が素となっているらしい。
なんだろう???? 自分は楽しくてやっていて、
他人に迷惑をかけたこと…
・・・・・・・
あ~~~~~、やってた、やってた!!
小学校低学年の夏休み!!!
お盆休みに、田舎の山のおじいちゃんの家に親戚皆が泊まって、
年の近い従妹たちと、「明日の朝、早く起きよう!!」って約束し、
早朝、多分5時頃。
やった、やったー!
「ヤッホー!!ヤッホー!!」大声でやまびこ呼んだ!!
で、お母さんが「あなたたち!!、駄目!近所迷惑!
こんな朝早くに、大きな声で騒いだら、みんな起きちゃう!!」と叱られた。
で、次の年か、違う日にまたやって、今度は従妹のおばさんに
「これこれ、ダメ、ダメ」って言われた!
これか~~~…
子どもだったから、ただ楽しくて遊んでいたけれど、
子どもながらに、叱られたんだから、悪い事をしていると理解はしていたはず。
この、ちょっとした、罪悪感が溜まりに、溜まって
こんな、最悪な現実を作っていたんだ!!
田舎の山だから、空気もいいし、静かだし、声は響くし、楽しかった。
でも、ちょっと離れた2件くらいある家の人達には大迷惑だったのかも…
誰に迷惑かけたかも、顔もわからない。人数も分からない。
でも、そこは重要ではない。
子どもだったから、本当は凄く悪い事をしたと感じていたのかも。
子どもは、大人の6倍感受性が強いらしい。
だから、あの時の小さなわたしが、ちゃんと謝りたくて
この現実を作り続けていたのだ。
わたしは、空想の中で「ごめんなさい」と言い、謝罪の象徴と言われる
白いバラを一人一人に手渡した。
以来、怒鳴っている近所のおじさんの姿は消え、
外で喫煙しているおじさんと、わたしが朝、窓を開けるタイミングは
合わなくなった。だから、不快な臭いに悩まされない。
騒音や、キッチンの窓から見える不快な物や、
わたしを悩ます不快な臭いが消えた。
現実に起こっている問題と、過去の思考が一致すると、あっという間に
180度現実がひっくり返る。
思考の旅でわたしが出会ったのは、
本当は悪い事をしていると知りつつ、やめない迷惑な小学生だった。