思考の学校では今ある現実の問題から、

過去のどんな思考が(どんな感情が)その問題を作ったか観ていく。

わたしはずっと、視力が良かった。

今も視力は良い。

しかし、1~2年前から時々眼がかすむ…

思考を学ぶまでは、年齢のせいにしていた。

段々そうなるのは普通だと思っていた。

時々視界が、何となく白っぽい感じ。

これが、眼のかすみっていうやつかな?・・・と

 

わたしの朝の至福の時間はお気に入りの

引き立てコーヒーで作る、

イタリアンローストのカフェラテ。

でも、ある日牛乳は体に良くない。

牛乳を飲み続けると白内障になると聞いて

大好きなカフェラテを飲むのを止めた。

牛乳のせいで眼がかすむようになったのかな?と思って。

でも、牛乳は健康に良いと言う人も居る。

 

思考の学校では、見る物、聞く事、景色、情報、

身の回りにある物質すべて、お気に入りのアクセサリーや、

ゴミ箱の生ゴミも、

天候、ニュース、占い、周りの人のいつもの機嫌や

一見自分とは関係ない自分以外の人の病気、

そして自分の体調、状態、病気等々…

100%例外なく、

全て自分の思考が作っているとみる。

だから、わたしの眼のかすみは牛乳のせいではない事になる。

以前、母の肝臓の病気も、母の蕁麻疹や、湿疹も、

わたしの怒りの思考、イラつき、攻撃の思考が作った現実だったんだ…

と気付き、認めた途端母は、皮膚の痒みを訴えなくなった。

これが、「思考を変えれば現実が変わる」と言う事実。

だから、わたしは考えた。

眼のかすみは年齢や牛乳のせいでは無く、

思考が原因だとすると?

視界がクリアでない…

と言う事は、思考的に観ると

「見たくないことがあるから、見えにくい」と考える。

 

わたしは被害者意識が強くて、もっとわたしを大切に扱え!と、

相手がわたしを大切に扱ていないと感じる事、全てに怒っていた。

現実を相手任せにしている事になるから、相手の機嫌や言動も

嫌な事は相手が悪い 自分が作った現実では無いと思っていた。

だから、あいつが変わらないとわたしの現実は不幸なまま・・・

そして、

人としてわたしには勿論、どんな人に対しても親切にし、

相手を尊重するべきだよね!と、「べき」と言う

ジャッジも加わり、相手が悪いと心の中で攻撃する。

この思考で、相手にわたしを大切に扱う事を求めても、

思考が100%現実を作っている訳だから、

ただ、大切にされない現実を繰り返す。

これは、

「自分で、自分を大切にする」

「他人や全ての物を大切にする」

をしていないから、

「大切にされない」という現実が現れると思考の学校では考えている。

でも、

わたしは、自分の事が嫌いだから自分を大切にするがわからない。

自分が食べたい物を選ぶとか、

(安い方を選んで、こっちで我慢しようと考える)

自分が行きたいところに行くとか、

(依存心が強いから誰かが誘ってくれないと

行きたいと思った場所も一人では行かない…行きたいけど我慢)

今、テレビを観たいと思ったら、我慢せずに観るとか、

そういう事が、「自分を大切にすると言う事?」

で良いみたいだが、

いまいち、自分を甘やかしているようにしか感じられなかった。

長女のわたしは「甘えてはいけない、頼ってはいけない」

「我慢しなさい」と言われて生きてきたから。

だから、どうも自分を褒めたりする事に違和感を感じるし、

自分を大切にするの感覚が鈍い。

なので、自分じゃなくて自分の周りにある物たち

を大切にすることから始めた。

「大切にする」と言う思考が溜まれば

「大切にされる」現実が現れるらしいから。

わたしの目に映る物すべてが自分の思考が作った現実なのだから、

枕を整える時、「大切にする」と意識し、つぶやく。

シーツを整える時、「大切にする」と意識しつぶやく。

ドアを閉めえる時、そ~っと、閉めて「大切にする」と意識してつぶやく。

棚の扉を静かに閉める時「大切にする」と意識してつぶやく。

これらの行動を、「大切にする」と意識することで、

いかに自分が今の今まで、雑に物を扱ってきたかに気付く。

もちろん、気を使わない家族にも雑な言い方、扱い方をしていた。

潜在意識には、主語が無いのが特徴。

だから、人も、物も、自分もわからない。

「これだけ無意識に雑に扱って来たんだから、雑に扱われてもしかたがないなぁ…」

だから、うかっりバーン!とした時は「あー、ごめんごめん」

と、それを撫ぜて謝る。

何かを大切にするのも、誰かを大切に扱うのも

自分を大切にしたと潜在意識は認識する。

そんな事を続けていると、

まわりの人達がわたしを大切に扱ってくれている

事に気付き始める。

そして、自分も人に親切な言葉を使える様に

なったり、家族に優しい穏やかな口調で話せる

ようになっているわたしに気付く。

多分前から、わたしは沢山大切にされていたのだろう。

なぜなら、人は意識した物しか見る事が出来ないから、

大切にするを意識すると、

大切にされている事に気付けるように(見えるように)なる

 

ある朝、何となく視界が白くモヤっとしているなぁ

と思いながら、ある事を思考していた。

わたしの職場の事務所は、非常に薄暗い。

だから、わたしは怒っていた。

なんなの!?この会社!

事務員さんは、事務所でしか、仕事しないのに、

こんなに薄暗い事務所で仕事させて!

営業の人は、外に出るから良いけど一日中こんな

薄暗い事務所で、パソコン入力、

小さい文字の請求書確認やってられない‼️

こんな扱いしてるから、前の事務員さんも

2年で退職して他の企業に移ったんだな!

「大切にする」を意識する前、

わたしは怒りながら、こんな環境で仕事なんか出来ない!

って言うか、したくない!と思った。

だから仕方なく、自分の家から電気スタンドを持って来て

環境を整えた。

そして、わたしは

「もっと、従業員を大切にしろ!!」

「お前らが気を使わないから、

こっちがわざわざ仕事しやすいようにしなきゃならないんだ!!」

という怒りの思考で怒っていた事、

威張っていた事、を思い出していた。

どんだけ、わたしは傲慢なんだ…

わたしと同じ条件でも、きっとある人は機嫌よく、

「事務所に電気ないんだね~。家からもってこよ~♪」

と怒りなんて全く感じずにただ、自分で自分の機嫌を取る事が

出来るんだよね… こう言う事が自分を大切にしている人

なんだよね…と思った=気付いた。

こう思う事=気付く事が、大切。

なぜなら、自分の思考に無い事は、思えないし気付けないから。

これが、自分のまわりの物たちを大切に扱い

「大切にする」の思考が溜まった現実。

わたしが、見たくなかった事、認めたくなかった事、

それは、我慢しているわたし。

好きな方を選ばない=自分の本当の気持ちを優先しない

わたしは、親に「我慢させられた」と思っていた。

だから、好きな方を選べないのは親のせいだと怒っていた。

でも、ただ、自分の気持ちを優先する勇気が無いから、

我慢する現実を自分で好んで作っていただけ。

自分を大切にしないから大切にされないだけ。

人のせいにして、悪態ついて、ジャッジする

傲慢なわたしを見て見ない振りして、認めたくなかっただけ。

とただ思っただけで、

わたしの視界は嘘のようにクリアになった。

 

さわやかな、風が入る窓辺のレースカーテンを開けると

そこには人々の優しい笑顔が輝いていた。