わたしは今の上司が大嫌い。
だいたい人って、誰かの事を嫌いになる時は
相手が自分の思い通りにならないから。
わたしの気に入らない態度をとったり、
わたしの気に入らない言動をとったり、
わたしを無下に扱ったり。
「引き寄せの法則」に惑わされてはならない。
なぜなら、
「良いことを思考しなさい」
「気分良くいなさい」
「自分の機嫌をとりなさい」
「素晴らしいことを想像して幸せに周波数を合わせなさい」
そうすると、良いことが引き寄せられる。な~んて事を言う。
だから、そうしてみる。
一応、感謝してみる。
「そうはいっても上司だから」
「そうはいっても過去に頑張ったから出世したんだろうし」
感謝しなきゃ…
いや、感謝だな。そうだ感謝だ。感謝しよう。
っと、だんだんとそんな気がしてくる。
そして「ありがとうございます。感謝します!」
わたしは、上司に感謝した。
しかし、何日か経って、
感謝したなら何故まだ嫌いなのか?
感謝したなら何故まだ顔も見たくないのか?
感謝したなら何故まだ見下しているのか?
心の底にある怒りを隠して「感謝出来る''良い人’’」をやっている…
・・・から…。
まだ怒ってるんだよ。まだ恨んでるんだよ。まだ軽蔑して、見下してるんだよ。
まだ、「許したくない」んだよ。
だから許さなくていい。軽蔑してもいい。怒ってもいい。
感謝しなくていい。
それが、「自分を認める」と言う事。
それを隠して大丈夫なふりをすると、
また、頭の中に怒りの思考が溜まる
また、見下しの思考が溜まる
また、恨みの思考が溜まる
思考の学校では、良いことも、悪いことも、潜在意識に溜まって
溢れたものが現実になると考える。
だから、
軽蔑の言葉を何百回と紙に書いて、書いて、書いて、書き殴る。
そのうち、同じ言葉しか出てこなくなる。
それでも、同じ言葉を書いて書いて書きまくる。
その言葉が出て来ると言う事は、"常にその感情を思考している”と言う事だから。
恨み、つらみを紙に書いて言葉にすると、紙の上で現実化したことになる。
書き続けると、ふっと、気持ちが収まって心が軽くなる。
心が軽くなってくると、気分も明るくなる。
気分が明るくなってくると、上司はただ、自分の潜在意識が
「ここに、怒りのポイントがあるよ!」と教えてくれていただけで、
上司が悪い訳じゃない、ただ、自分の思考が現実化して見せただけ。
そうか、わたしの左脳が怒りや憎しみの対象物として
嫌な上司を作り出しただけだったんだ…と
納得し、自分が被害者でなくなると、そっか~、
わたしの潜在意識さん「見せてくれてありがとう」
上司にも「教えてくださってありがとうございます」となる。
ここまで来てやっと、本当の感謝になる。
そこには、恨みも、見下しも無い。純粋な感謝。
人は、怒りながら感謝なんて出来ない。
本当は恨んでいるのに、良い気分になれるはずはない。
良い人のふりをする必要もない。
わたしの頭の中にこんな怒りが、まだ有ったんだね。
と、ただ見るだけでいい。
心の中のモヤモヤや不安は、
無意識に怒っていること、恨んでいること、軽蔑していること、
攻撃している事を現実化する前に教えてくれている「予感」みたいな感じ。
嫌な事が現実になると、
「何か、ざわざわ胸騒ぎがしていた」とか、
「嫌~な予感が当たった」と以前のわたしは言っていた。
でも今は段々とネガティブな思考の扱い方が分かってきた気がする。
相手が自分の思い通りにならないから怒る=これ、赤ちゃんや幼児と一緒。
わたしの気に入らない態度をとった=「いない、いないバー」して笑わせろ!
わたしの気に入らない言動をとった=もっと機嫌取ってあやせ!
わたしを無下に扱った=もっと、大切に扱え!おむつが濡れて気持ち悪いぞ!
こうやって、自分を大切にするのが当たり前。機嫌取るのが当たり前。
察するのが当たり前って赤ちゃんは泣いて暴れる。
母が、わたしが赤ちゃんだったころ、「異常に泣いて、
何で泣いているのか理由も分からないし、どうしたって言うの?って聞いても
泣きわめくだけだし、
初めての子供でどう扱って良いか分からないから、本当に困った」
っと言っていた。
わたしは、赤ちゃんのころから、おこりん坊で、威張りん坊で傲慢だったらしい。
と言うか、わたしは今でも赤ちゃんのままだったんだ…と気付く。
わたしは思考の旅の中でやっと、引いては打ち寄せる激しい波の
乗り方のコツが分かったような気がした。