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[医療ルネサンス]群大手術死 10年の歩み<2>母に手術説得 今も後悔
読売新聞 2024年9月10日 (火)


 問題を風化させないようにと群馬大病院が設置した「誓いの碑」。2020年6月に碑の除幕式が開かれ、この医療事故で母親を亡くした女性(59)も参列した。
 母は、問題の執刀医が、腹腔鏡による肝切除を手がけ始めて間もない頃に手術を受けた。母が手術する時、既に別の患者1人が術後に死亡していた。
 本人も家族にも手術前に、もちろんこうしたことは知らされていなかった。それどころか、「腹腔鏡手術」を受けるという認識もなかった。執刀医からの説明で記憶に残っているのは、「そんなに難しくない手術」という言葉だった。
 同居していた母は、家族思いの優しい人だった。女性が仕事に追われていると、「ちゃんとごはん食べているの」と気にかけてくれた。孫である女性の子どもたちに食事を用意するなど身の回りの世話をこなし、家族全員から慕われていた。
 同病院を受診したのは、肝臓の炎症が疑われたからだった。手術に向かう日も、自分で歩いて出かけた元気な姿が今もはっきりと目に浮かぶ。「きっと良くなる」。そう期待して送り出したはずだった。しかし、手術後は予想だにしない経過をたどった。
 術後1週間を過ぎたあたりから、体調が急激に悪化した。高熱が表れ、息苦しさを訴えた。緑色の液体を吐き出したこともある。胆汁が漏れ、呼吸不全が起きていたのだった。
 執刀医はいつも忙しく、深夜に回診に来ることもあった。苦しそうな母を前に、「(回復は)五分五分」と病状に期待を持たせる言葉もかけられたという。
 人工心肺装置を着けて眠ったままの状態が続き、最終的に多臓器不全で死亡した。母の遺体は、葬儀業者が驚くほど出血していた。
 実は、母は手術を嫌がっていた。医師に言われるがまま、手術するしかないと信じ、母を説得した。「お母さんの言うことを聞いてあげていれば、もっと長く一緒にいられたんだよね」。女性は今も、後悔と自責の念にさいなまれている。
 「私たちは専門的なことは分からないけど、最善を尽くしてくれたと思っていた。医療事故と知った時は、頭が真っ白になった」と振り返る。
 病院が改革を進めていることは、良いことだと思っている。それでも「私が病気になっても、ここにはかかれないな」という忌避感はぬぐえない。
 形だけの改革にならないよう、実態が伴い、地域住民が「本当に良い病院」と感じる病院になることを願う。亡くなった命は取り戻せない。「この先、私たちのような悲しい思いをする人が出ないようにしてもらいたい。この経験を忘れずにいてほしい」

 

 

【独自】群大手術死「ずさん診療ではない」、病院長の寄稿に遺族反発
読売新聞2020年3月2日 (月)

 

 患者の手術死が相次いだ医療事故を教訓に、遺族も協力して改革に取り組む群馬大学病院の田村遵一病院長が、医学部の同窓会誌に寄稿した一連の事故の報告が2月28日、遺族の反発から削除されたことがわかった。遺族会は「反省が感じられず、協調関係が崩れる不安を感じた」とし、真意を問う文書を送付した。
 田村病院長は2019年12月、同窓生向けの「刀城クラブ会報」に寄稿。会報は同窓生に配布され、同窓会のサイトで公開された。
 その冒頭、14年に医療事故が発覚した後、取り消されていた特定機能病院の承認が19年、認められたことに触れ、「この5年間これだけを目標に努力した」とあいさつ。執刀医と診療科の責任者だった元教授については「ずさんな診療をしていたのではなく、手術を希望して受診した進行がんの方のご希望に応えるべく努力し、また病院の経営に寄与するつもりであった」と説明した。
 遺族からは「改革の中心人物の意識が変わっていないようで悲しい」「改革は特定機能病院に再承認されるためのパフォーマンスだったのではと疑いを持った」といった声が上がった。
 同病院は2月28日、同窓会のサイトから寄稿文を削除し、病院長名で「不快な思いを抱かせて申し訳ない」とのおわびを掲載した。

 

[群大手術死]25歳で逝った妹・美早へ 「遺志継ぎ、患者参加の医療を」…遺族会代表・小野里和孝さん実名で誓い
読売新聞 2018年6月7日 (木)

 

 群馬大学病院で2014年に発覚した手術死の続発。不十分な体制で無理な手術が繰り返された問題を教訓に病院改革を進める群馬大学病院は、患者と医療者が協力して医療の安全などに取り組む「患者参加型推進委員会」を新たに設け、遺族会代表の2人を委員に迎える。18年6月22日に初会合が開かれる予定だ。それを前に、これまで匿名で活動していた代表の一人、妹を亡くした小野里和孝さん(38)が読売新聞のインタビューに応じ、初めて実名を明かして、今後の抱負や妹・美早さん(享年25歳)への思いを語った。
高梨ゆき子 医療部
生き残った僕が、家族の思いを…
――今回、実名を公表することにしたのは、どのようなお考えからですか。
 患者参加型推進委員になり、前向きに取り組むためにも実名で活動したいと思ったのです。妹は08年、自分が看護師として勤めていた群大病院で膵臓の手術を受け、亡くなりました。後に行われた調査では、無理な手術だったことがわかりました。当時からおかしいと思っていましたが、病院から十分な説明はなく、僕たち家族は事実を知りませんでした。妹が亡くなってから5年の間に、両親も相次いでがんになり、亡くなりました。家族の中で生き残ったのは僕だけです。だから、家族みんなの思いを背負って、美早の遺志を引き継ぐという気持ちで活動するつもりです。
――妹さんは生前、医療や看護への思いを語っておられましたか。
 「あたたかい看護がしたい」ということは話していましたね。特に、病気になって入院してから、その思いが強くなったようです。患者の気持ちとか、患者の痛みとか、自分が経験したからこそわかったことが多いようで、入院中につけていた日記にも、そういうことが何度も書かれていました。
――闘病中の日記は私も読ませていただきました。「元気になったら、今のこの経験を生かして、もっと患者さんの気持ちに寄り添って関わろう」とか、「ここを乗り越えたらきっと、患者さんの気持ちに寄り添える看護師になれる」といった記述がとても印象に残っています。
 美早は日頃から、自分より周りの人を一番に考える性格でした。自分が患者になることによって、一層そういう部分が強くなった気がします。もともと正義感の強い子で、中学生の頃には、いじめられていた友達を助けたこともあったそうです。四十九日に中学時代の友達が訪ねてきて、話してくれました。その友達自身がいじめのターゲットになっていたとき、美早が1人でかばい、それをきっかけにいじめの矛先が美早に移って、その子はいじめられなくなったというのです。なかなかできないことですよね。そんなことがあったとは、家族も知りませんでした。その友達は「あのままいじめられ続けていたら、学校に行けなくなっていました」と感謝してくれました。
病院改革に協力 「群大は変わった」と思われるように
――患者参加型推進委員になられるに当たり、抱負をお聞かせください。
 大きな問題があったけれども、「群大は変わった。いい病院になった」と思ってもらえるようにすることが一番大事だと思うので、そのために遺族としてお役に立てることがあるなら、微力ながら頑張りたいです。僕のような外部の人間だからこそ見えること、言えることもあるのではないでしょうか。まだ具体的にどのようなことをする委員会なのかわからないし、すべてがこれからですが、できる限りのことはしていくつもりです。患者参加型の医療というのは、どんどん積極的に進めていくべきだと思うんですよ。日本の病院で初めての取り組みを、群大でできればいいですね。そうなれば、多くの人に「群大は変わった」と実感してもらえるのではないかと思います。
――亡くなったご両親は、今回のことをどう思われるでしょうね。
 父が生きていたら、ほめてくれただろうと思います。母は不器用だから言葉に出さないけど、喜んでくれるでしょう。両親が自分たちの闘病中、口癖のように言っていたことがあります。「同じがんでも美早に比べればマシだ」という言葉です。妹は術後の重い合併症に苦しみ抜いたので、「あんなにつらい思いをして亡くなった美早は本当にかわいそうだ」と、2人とも常々言っていました。病院の看護師さんにも話していたようです。自分がつらいときに、「うちの娘はもっとつらい思いをしたんですよ」と。そのことを思うとますます、生きている僕が遺志を引き継がないと、という気持ちが強くなります。その思いが、僕を動かしているんだと思います。
【群馬大学病院手術死問題とは】
 群馬大学病院で肝臓の腹腔鏡手術を受けた患者の死亡続発が2014年に発覚し、その後、肝臓や膵臓の開腹手術でも死亡が相次いでいたことがわかった。第三者による調査委員会が発足し、病院の体制や患者への対応、診療上の問題などについて指摘した調査報告書が16年7月に公表された。一部の遺族が結成した遺族会は、小野里さんと木村豊さん(49)が代表を務め、再発防止などを求めている。群大病院は6月22日、患者参加型推進委員会の初会合のほか、職員向けに両代表の講演会も開く予定。
高梨 ゆき子(たかなし・ゆきこ)
読売新聞医療部記者。
社会部で遊軍・調査報道班などを経て厚生労働省キャップを務めた後、医療部に移り、医療政策や医療安全、医薬品、がん治療、臓器移植などの取材を続ける。群馬大病院の腹腔鏡手術をめぐる一連のスクープにより、2015年度新聞協会賞を受賞。著書に「大学病院の奈落」(講談社)がある。

 

 

群大手術死 再教育なく医療継続 このままでよいのか?
読売新聞 2018年1月31日 (水)

 

高梨ゆき子 医療部
 群馬大学病院で、患者の死亡が相次いでも手術を続けた執刀医と、それを容認した上司の元教授は、大学病院を去ってからも医療に携わっていると聞いています。手術はしていない、ということですが、このままでよいのでしょうか。厚生労働省は、彼らに対する医師としての行政処分について、「検討中」としています。
「職業倫理の欠如」「知識や技術が不十分」なら再教育は当然
 医師免許を交付する厚生労働大臣は、問題のある医師を処分する権限を持っています。最も重い医師免許取り消しのほか、業務停止や戒告の処分があります。ただ単に「処分しっぱなし」というわけではありません。処分後も医師を続ける人たちには、再教育のため、処分の内容により決められた研修を受けることが義務づけられています。
 かつては、行政処分を受けて医業停止になったとしても、処分期間中、特に何かをする必要はありませんでした。それでは十分な反省もせず、また元通りになってしまうのではないか、という指摘があり、行政処分と再教育がセットになるよう、2006年に医師法が改正されました(施行は07年)。そもそも処分を受けるのは、医師としての職業倫理が欠けていたり、診療の知識や技術が不十分だったりした人たちです。しかるべき再教育があって当然でしょう。
 群馬大で問題になった執刀医は、保険適用外の 腹腔鏡下肝切除を、必要な倫理審査も通さず、保険診療として行っていました。患者や家族にきちんと説明していなかったということも、多くの遺族が語っているところです。患者の死亡が相次いでいるのに、十分な振り返りをしないまま手術を継続したり、新しい技術に挑戦したりしていたことも、問題視されました。
 元教授はそれを知っていながら、この医師に手術を続けさせていました。別の医師が「危険だから 止 めさせたほうがいい」と進言したこともあったというのに、それを聞き入れなかったそうです。責任者の教授がしっかり管理していれば、このようなことは起こりませんでした。問題発覚後、病院のガバナンス(組織をまとめ管理すること)にどんな問題があったかを検証するため、群馬大が設置した有識者による改革委員会からは、教授として「指導力不足」と厳しく批判されています。

落ち度はないかのような話しぶり
 この2人が、遺族会から「反省の色がない」と指摘されたことも、重く受け止めざるを得ません。遺族会によると、昨年7~8月、問題が発覚してから初めて遺族と対面した執刀医と元教授は、第三者の調査委員会から指摘された数々の診療上の問題のうち、カルテの記載が不十分だったことしか非を認めず、患者へのインフォームド・コンセント(説明と同意)や術後の管理などについて、落ち度はないかのような話しぶりだったそうです。当時としては「精いっぱいやった」というのです。
 このほか、遺族の方々や弁護団が、印象に残った話として語ったことがあります。それは、執刀医の技術に対して、元教授が「レベルが高い」と認識していたことです。弁護団が手術の録画映像を協力医に見てもらった結果や、日本外科学会による検証からは、執刀医の技量にはかなり問題が指摘されていただけに、この認識の隔たりに遺族らは驚いたのでしょう。
厚労省は遺族の要望を受け止めて
 遺族会は「再発防止の観点から、行政処分を受けて再教育する必要がある」という判断をせざるを得なくなり、昨年9月、厚労省に彼らの行政処分を求める要望書を提出したのです。厚労省には、遺族のやむにやまれぬ決断を 真摯しんし に受け止め、しかるべき対応をしてほしいものです。病院の組織や体制の問題が大きかったことも事実ですが、では個人には全く問題なかったのかというと、そうではないでしょう。例年、年度末の3月には新たな行政処分の発表があります。その行方を注視しています。

【群馬大学病院の手術死問題】
 群馬大学病院第二外科で、同じ医師が執刀した肝臓の腹腔鏡ふくくうきょう手術を受けた患者8人の死亡が2014年11月に発覚した。いずれも保険適用外の高難度手術で、必要な倫理審査も通していなかった。その後、開腹手術の患者にも死亡が続発していたことが判明。このことは社会的に大きな問題となり、第三者からなる調査委員会が発足して調査が行われた結果、診療に数々の問題があったことを示す報告書が16年7月に発表された。大学側は問題を認めて謝罪し、病院改革に取り組むとともに、遺族への説明や補償を進めてきた。執刀医と元教授は大学から解雇(執刀医=懲戒解雇相当、元教授=諭旨解雇)されて1年後の17年7~8月、問題が発覚してから初めて遺族と面談した。
高梨 ゆき子(たかなし・ゆきこ)
読売新聞医療部記者。
社会部で遊軍・調査報道班などを経て厚生労働省キャップを務めた後、医療部に移り、医療政策や医療安全、医薬品、がん治療、臓器移植などの取材を続ける。群馬大病院の腹腔鏡手術をめぐる一連のスクープにより、2015年度新聞協会賞を受賞。著書に「大学病院の奈落」(講談社)がある。

 

 

 

 

 

「奈落の底に幾度、落とされたら…」群大病院手術死、家族慟哭の手記
読売新聞 2017年11月1日 (水)

 

 

 

 

 

 

 

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殺している事に変わりは無いムキームキームキー

 

その「反省の色ないムキームキームキー

 

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医聖ヒポクラテス

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