NO.3059 平成28年10月に正式に廃止となっています、平成25年休止時撮影、旧苅田港線の姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 かつて平成28年まで、福岡県苅田町の日豊線小波瀬西工大前駅から苅田港駅までの4.6キロに及ぶ路線が存在しておりまして、その名を「苅田港線」と呼ばれた路線が存在しておりました。

 

 この「苅田港線」は、実際は日豊線の貨物支線という扱いとなっておりまして、JR貨物の第1種免許区間でもありまして、かつては、石炭やセメントを苅田港から積み出すために運行されていた路線でもありましたが、その後は駅の近くにあります金属工場の完成品や、近くにあります日産自動車九州工場(現・日産自動車九州)で製造されました完成車をそれぞれコンテナに積んだ状態でこの駅から運行されておりまして、自動車に関しましては北陸地域の貨物駅(金沢・新潟)などに運ばれてもいたようであります。

 

 そんなこの「苅田港線」では、画像の車掌車でありましたヨ8000形38000号車掌車を先頭にしましたいわゆる推進運転の列車も運行されておりました(廃車後の平成21年撮影)。これは、小波瀬西工大前駅での機回しができないためでありまして、ブレーキ弁などを設置する改造などを施してあったのが特徴でありました。

 

 しかし、平成17年より貨物列車の運行が休止されておりまして、休止末期は1往復がこの区間におきまして運行されておりましたが、11年間の休止の末、平成28年10月に正式廃止となりましたが、私自身もこれからご紹介します事によりまして廃止が明らかになっておりました。


 それが、画像の「JR貨物時刻表」に書かれております路線図でありまして、以下画像は平成28年の「JR貨物時刻表」でありますが、画像のように「苅田港線」の姿を見る事ができておりました。尚、路線図の右側には、既に貨物輸送が廃止されておりました、厚狭駅から延びておりました美祢線、そして宇部駅から延びておりました宇部線に関しましては路線図からは削除されていた事もお分かりいただけます。

 

 そして、こちらは平成29年改正の「JR貨物時刻表」に書かれておりました路線図でありますが、残念ながら「苅田港線」は削除されておりまして、これでこの路線自体が廃止されてしまった事が伺えておりました。

 

 

 さて、ここからご紹介しますのは、残念ながら廃止されております「苅田港線」の姿を、休止から7年後の平成25年に撮影しておりました画像とともに皆様にご紹介してまいります。

 

 

 この時ののスタートは「苅田港線」の分岐駅でもあります、日豊線の小波瀬西工大前駅であります。この駅は、普段から普通列車が停車する駅でありまして、その下の画像にあります415系電車をはじめ、811・813各系の列車がこの駅に停車しておりましたが、415系電車に関しましては、現在は画像の鋼製車は姿を消しておりまして、あとはステンレスの1500番台が運行されるに至っております。
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 (小波瀬西工大前駅入線、415系電車・鋼製車)~Fo110編成
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 画像は、小波瀬西工大前駅のホームであります。このホームは2面3線のホーム配置でありまして、「苅田港線」の貨物列車はこのうちの画像にあります2番ホームに停車しまして、それから推進運転によりまして苅田港駅へと運行されておりました。
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 ここからは、苅田港へと進んでまいりますが、こちらの画像は、この小波瀬西工大前駅より小倉方の画像であります。線路配置からも2面3線のホーム配置である事がお分かりいただけるのではないかとは思いますが、よく見ますと苅田港線の部分には信号が曲げられておりまして、この姿から長期間運休している事がわかるのではないでしょうか?
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 (信号機)
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 この苅田港線は、中央の線路から上り線を横切りまして「苅田港線」へと入っておりました。画像がその分岐点付近を撮影したものでありましたが、画像の右側から「苅田港線」の線路が続いておりました。尚、この時点では雑草に覆われておりますので少々わかりにくい事はご了承いただければと思います。
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 そこからさらに北上してまいりますが、画像は起点の小波瀬西工大前駅から数百メートル先の地点でありますが、この時も画像のように雑草が生い茂っておりまして、この時も休止から8年経過していた事を伺わせておりました。

 

 

 小波瀬西工大前駅より進んだ所に最初にある踏切でありました、新津東踏切と呼ばれた踏切であります。この撮影時はまだ休止時でありましたので、いずれは復活を期待しているのか、遮断機に関係した物がカバーをかぶせた状態となっておりました。けれども、苅田港方の画像を見てもわかりますように、雑草に覆われておりますので、この姿もやはり8年と言う休止期間を物語っていたようにも思います。

 

 (新津踏切・行橋方)
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 (撮影時残されていた、踏切の機器とカバーをかぶせてある遮断機関係物)
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 (苅田港方)
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 さらに進みますと、信号機が雑草に覆われておりました。その信号機も、この時は消灯しておりまして、こんな覆われた状態になりましても、いずれは復活する事を待っているような印象でした。
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 それでも、踏切において何かあった場合に発光します、「踏切非常警報機(灯)」も備わっておりましたが、こちらはいい状態を保っておりました。
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 そんな警報機があります、国道10号線をクロスする踏切にやってまいりました。この踏切は休止状態でもありましたので、踏切を一旦停車する事もなく車が通過して行っておりました。ここも先述の踏切と同様、機器類にカバーがかかっておりまして、廃止でなく休止である事を伺わせておりました。それでも、踏切内の道路中央部にポールが立てられておりまして、しばらくは列車が走っていない事がわかるような姿でもありました。

 

 (国道10号線沿いの踏切)~踏切内の道路中央部にポールが立てられていました
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 (車両も止まらずに通過します)
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 国道10号線より先の部分の踏切より撮影していたものであります。この撮影時も画像のように雑草に覆われておりましたが、撮影場所の踏切にあたる部分では残念ながら線路が撤去されておりまして、その上に道路が舗装されているなど変化が見られておりまして、後述のようにこの先も踏切である部分を中心に線路が撤去されている所が見られておりました。

 

 (撮影場所の踏切では線路が撤去されておりました)

 


 こちらの画像は、「苅田港線」ではかつて2箇所あったうちの1箇所の橋梁でありまして、この橋梁は「苅田港線」では一番長い橋梁でありました。この奥(画像右側)には、画像のように信号機も見られておりましたが、平成23年頃までは点灯していたそうでありまして、休止となりましてもいつでも来ていいような姿は見られていたようではあったようです。

 


 さらに進みまして、県道25号線と交差する場所にある踏切であります。この撮影時には既に踏切は撤去されておりますし、加えまして線路まで撤去されているなど、この時点でも休止ではなく廃止なのでは?と言う姿が見られておりました。しかし、その後正式廃止となった訳ですので、それを予感させるような姿ではなかったかとさえも改めて思ったほどでもありました。

 

 (苅田港方) 

 


 そして、苅田港駅にやってまいりました。以下画像は駅舎でありましたが、撮影時も運送会社の営業所・倉庫は残されておりましたし、駅としての姿もその下の画像にもあります線路だけがそれを物語っていたのが休止から経過している部分ではなかったかと思っております。

 

 (止められた線路)~右奥が駅舎&運送会社の営業所であった所


 実は、この苅田港駅より先に専用線の線路が存在していた訳ではありましたが、これら専用線へ向かう線路は途中で寸断されておりまして、面影は見られなくなっておりました。実際に、この駅以外にもその先の専用線内にあります工場からの貨物が頼りでもあったようですので、線路が寸断されているとなりますと廃止やむなしなのかなと思ってならない所ではあったようです。

 

 

 そんな旧「苅田港線」の現状は、HPサイトや、以下画像のGoogleのストリートビューによりますと、既に線路や信号関係は撤去されている所も見られておりまして、上の画像の新津東踏切と呼ばれた踏切跡の所も雑草が見られておりますが、踏切があった所には歩道が見られている事がわかります。

 

 

 こちらは、国道10号線と交わる踏切跡の部分でありますが、こちらは現在も線路が残されているそうでありまして、かつての名残を偲ぶ部分は見られているようではあります。やはり、普段から交通量が多い所でもありますので、簡単に撤去までには至っていないようではあるようであります。

 

 

 そして、旧苅田港駅跡でありますが、以前存在しました運送会社の営業所は撤退したようですが、駅舎などは引き続き見られているようではあります。それにしても、ここがかつて貨物駅で会った面影も見られなくなっているのも、まさに時の流れかなとも思う所でもありましょうか。

 


 今回は、現在は廃止されました平成25年撮影時の「苅田港線」の姿をご紹介しましたが、やはり廃止となってしまった事は、末期の需要を思いますとわからなくはなかった訳でもありますので、そう思いますと仕方のない所ではあります。私自身も、各地での廃線跡の模様をこれまでも当ブログにご紹介しておりますが、この撮影画像ももう11年になりますので、現状が気になる所ではありますが、やはり「ストリートビュー」だけではなく、出向いて現状を見てみるのもとは思っておりますので、今後出向く機会がありましたら見てみたいとは思っておりますし、当ブログでもその模様もご紹介したいとも思っております。