番外 JR貨物だけではなく、JR九州にも所有していた、EF81形電気機関車(特に411号機)紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 現在、九州で活躍しておりますEF81形電気機関車は、いずれもJR貨物に所有しております電気機関車でありまして、9両が門司機関区に所属しております。
 
 この機関車は、交流区間と直流区間を行き来できる交直流の電気機関車ではありますが、貨物時刻表をお持ちの方ならばご存知のように、運用はいずれも交流区間の九州内にとどまっておりまして、本州へ向かう事は試運転時が主となっております。
 
 したがって、本州へ行く運用は持っておりませんが、それでも所属先の門司機関区の最寄駅でもあります北九州貨物ターミナル駅を中心に、鹿児島・長崎・日豊の各線、第3セクターの肥薩おれんじ鉄道線におきまして活躍を行っております。
 
 所属機関車も、門司機関区最古参にあたります画像1にありますように「銀釜」と言われております303号機をはじめ、近年は富山機関区からの機関車も転属しておりまして、画像2の455号機も平成25年に転属しております(この455号機に関しましては新製配置は門司機関区でした)。
 
 しかし、今年に入りまして、このEF81形、そしてED76形各電気機関車に代わる電気機関車としましてEF510形300番台電気機関車が導入されておりまして、先行導入の以下画像の301号に続きまして、今年に入りまして現時点で9両が導入されておりまして、現在は310号機までの導入が確認されておりまして、今後古参の2形式から置き換えられるようにもなります。それほど世代交代へと至る事にもなりますが、正直40年以上になる事を思いますと致し方ない所かなとも思う所ではあります。
 
 (EF510-301)
 
 (門司機関区にて)~列車車内より撮影
 

 さて、このEF81形電気機関車は他にもJR九州にも6両所有しておりました。このうち1両を特に収めておりましたが、それが今回ご紹介しますEF81 411号機でありますので、この411号機を中心にご紹介してまいります。
 

 このEF81 411号機は、元車番は昭和47年に製造されましたEF81 52号機から分割民営化前の昭和62年に小倉工場(当時)で改造されたものでありまして、改造に伴いまして前所属の田端運転所から大分運転所(当時)に転属したものでありました。
 
 尚、田端運転所の前配置(新製配置)は酒田機関区でありまして、当時関西・関東方面など発の日本海縦貫線経由の旅客・貨物列車及び奥羽線内の旅客列車を運行していた機関車でもありました。
 

 大分運転所(→大分車両センター)転属後はJR九州に承継されまして、以来関門間(門司~下関間)の他、所属上日豊線の旅客列車に活躍しておりまして、最後の画像にもありますように「ブルートレイン」の先頭も務めていた事もありました。
 
 当時は、「さくら」・「はやぶさ」・「富士」・「あかつき」・「みずほ」など、一部の愛称が現在新幹線の愛称になっている列車をも牽引しておりました。しかも、このうちの「さくら」・「はやぶさ」・「みずほ」に関しましては今は新幹線で定着している愛称でもありますが、そう言った列車をも牽引していたのが懐かしい所でもありましょうか。
 

 しかし、その後「ブルートレイン」の相次ぐ廃止に伴いまして運用も大幅に減りまして、加えまして大分車両センターへの送り運用でありました「彗星」が平成17年に廃止になりますと、機関車自体はJR九州大分車両センターに所属しながら、相方の410号機とともにJR貨物門司機関区常備となってしまいました。
 
 
 そして、最後まで残されておりました「富士」・「はやぶさ」が平成21年に廃止されますと、このEF81形の運用も終了しまして、運用離脱後は以下画像にもありますように門司港駅構内におきましてしばらくの間留置されておりましたが、残念ながらその後小倉工場(→小倉総合車両センター)におきまして廃車回送、そして解体されておりまして、JR貨物所有機のように門司機関区構内ではない事も伺わせておりました。
 

 今回は、JR九州にも所有していたEF81形電気機関車に関しましてご紹介しましたが、JR九州の車と言いますとやはり「ブルートレイン」でしょうから、今となりますと非常に懐かしいものでもあります。それにしても、東京・関西方面~下関駅間や門司駅~九州方面の区間ではヘッドマークを掲出しておりましたが、この関門間におきましては末期は掲出しておりませんでした。私としましては掲出していればもっと旅客列車としての姿が伺えても良かった所ですが、わずかな区間しか運行しない事などを思いますと仕方がない所ではなかったでしょうか。現在はもう見られませんが、この存在は覚えていただければと思います。