上の画像にあります、西鉄バス・宮崎交通・九州産交バス・JR九州バスが運行します、福岡~宮崎間の高速路線バスの代表格であります「フェニックス号」は、昭和63年の運行開始から今年で36年になりますが、その間には、これまでも様々な事がありましたが、それでも福岡から宮崎への代表格の路線として現在も君臨しておりまして、多客期には続行便まで運行される事さえもあるほどでもあります。
もちろん、「フェニックス号」に関しましてもいつまでもいい状態を保っていた訳ではなく、平成20年代前半には高速ツアーバスが運賃を2000円台から3000円台にまで超格安で運行されていた事から、一時はそちらの方に軍配を与えていた事さえもあったほどでした。
そのため、当時は「フェニックス号」系統でも、以下画像にありますように「学割フェニックス号」・「皆割フェニックス号」と呼ばれます高速バスが存在しておりまして、当時の「フェニックス号」の福岡~宮崎間の運賃は6000円でありましたが、その格安版としまして平成19年に「学割フェニックス号」が誕生しまして、運賃は学生証提示で3000円で利用する事ができておりました。
さらに、翌年の平成20年には、一般の方も利用できるようになりまして、愛称も「皆割フェニックス号」に変更、運賃も一般の方も3300円で利用する事ができておりまして、より高速ツアーバスに対抗する手段が取られておりまして、その結果こちらの方に再び軍配を与えると言った流れさえもあったほどでした。
そして、平成23年なりますと、九州新幹線が博多~鹿児島中央間で全線開通すると言う節目の時を迎えておりましたが、そんな中でジェイアール九州バス(当時の社名)が「フェニックス号」の運行から撤退する事になります。
しかもジェイアール九州バスは自社単独運行で高速バスを走らせると言う大胆な動きさえも起こす事になりますが、今回ここからご紹介しますのは、同年4月から運行されておりました、「たいよう号」と呼ばれる高速バスに関しまして、過去の画像から皆様にご紹介してまいります。
JR九州バスは、現在上の画像にもありますように「フェニックス号」の一運行事業者として存在している訳でありますが、平成23年から翌平成24年までの1年間に関しましては「フェニックス号」としての運行からは外れまして、自社運行の「たいよう号」として福岡~宮崎間を運行しておりました。
この「フェニックス号」からの離脱の背景は、当時のジェイアール九州バスと西鉄などの共同運行事業者とで料金面などで互いの思惑が外れるなどの点がありました。
実際に平成22年当時の「フェニックス号」の時刻を見てみましてもわかりますように、冒頭でもご紹介しておりましたように、当時の運賃は福岡~宮崎間で6000円と現在(最安3500円~最高6000円)よりも最安運賃で2500円も割高でありまして、加えまして人吉インター間で4000円と、こちらも現在(最安2960円~最高5070円)よりも最安運賃で1040円も割高となっておりました(最安運賃はダイナミックプライシング運賃の場合です)。
また、路線図からもわかりますように、福岡地区で博多駅交通センター(現・博多バスターミナル)が始終着地となっておりまして、現在のように西鉄天神高速バスターミナル(←西鉄天神バスセンター)始発ではないのが見ていてわかるのではないかとも思います。しかし、このような運行形態であった事もありまして、天神北ランプへとつながる「渡辺通り」の渋滞もありまして、時々遅延も発生しておりました。
そう言った事もありまして、ジェイアール九州バスでは平成23年4月より新たな高速バス「たいよう号」を自社単独で運行されるようになりまして、その結果、以下のような形の変更が生じられるようになりました。
1・始終着地を博多バスターミナルに変化はないが、天神バスセンター(当時)を通らない事に。
2・運賃を通常運賃福岡~宮崎間4500円に値下げ
3・降車のみで祇園町バス停に停車
と言う形に変わりまして、これまでの運賃が6000円から1500円値下げの4500円で運行されるようになりました。
これは、冒頭にもありましたように当時の高速ツアーバスが「フェニックス号」の半額程度の運賃で運行されておりましたので、それからしますと及ばない価格ではありましたが、同じく当時運行されておりました「皆割フェニックス号」が福岡~宮崎間3300円均一でありましたので、それからしますと中間の金額であった事もわかるのではないかとも思います。
画像は「たいよう号」の時刻表です。運行本数は博多バスターミナル~宮崎駅間で10往復が設定されておりました。停車地も、高速基山・久留米インター・人吉インター・都城北など、「フェニックス号」並みの停車地であった事がわかります。尚、宮交シティに関しましては、現在の場所では乗り降りは行っておらず、道路沿いの1番ホームで乗り降りを行っておりました。理由としましては、後述の「ダブルデッカー」が運行に入っていた事から、高さが関係していたためではないかと思われます。
(参考、宮交シティ「フェニックス号」乗り降り場所)
また、このうちの2往復ではえびのインターにも停車しておりました。これも「フェニックス号」の各停便にあやかっての事ではなかったのではないかと思われますが、ここからでも集客を集めようという事もわからなくはなかったのではないでしょうか。
さて、「たいよう号」の肝心の運賃表であります。よく見ますと、先述のように福岡~宮崎間で4500円と設定されている事がわかります。また、「前売きっぷ」と呼ばれるきっぷも設定されておりまして、4列シート車では福岡~宮崎間で2500円と言う設定でありますが、これは、当時設定されておりました「席割」と同額の運賃でありまして(廃止前運賃は3060円~3560円)、もちろん福岡~宮崎間均一運賃でありました。
このように、ジェイアール九州バスも「たいよう号」の運行開始へ向けた流れが見られておりましたが、「フェニックス号」を運行します西鉄バスなどの運行事業者もこれに対抗するようになりまして、「たいよう号」運行開始前に以下のような形に変更されるようになりまして・・・
1・始発地を博多バスターミナルから天神バスセンター(当時)へ
2・運賃を福岡~宮崎間4500円に値下げ
3・「皆割フェニックス号」を廃止して、通常便に2500円均一運賃である「席割」を設ける
4・「席割」設定により、西鉄グループ・宮崎交通便に後方4列の「セレクトシート」導入
5・天神バスセンター始発地変更により、福岡市内に呉服町にも停車する事に
6・JR九州バス撤退により、西鉄高速バスが新たに運行事業者に加わる
などと言った動きが見られるようになりまして、結局JR九州バスの「たいよう号」とほぼ並行な形で運行される事になりまして、ほぼ現在のような形に変わったのでありました。中でも、西鉄グループ・宮崎交通の「セレクトシート」導入には特に私も驚きであった事を私自身も覚えております。
一方、ジェイアール九州バスの「たいよう号」専用車のラインナップであります。基本は3列シート車と4列シート車でありましたが、3列シート車には導入しました年代等もありまして、上の画像にもありますハイデッカー車あればスーパーハイデッカー車もあった事もわかるのではないでしょうか。
そして、一番の目玉車でありました、「ダブルデッカー」こと独立3列シート車の三菱エアロキング(744-2952・MU612TX)MU612TX)も運行に入っておりました。この三菱エアロキングも、前任の福岡~大阪線を休止に至らせた後でしたので、この車の運行には特に気になっていたものでありました。
また、宮崎駅では「たいよう号」専用の自動券売機も用意されておりました。ちなみに、この横には以前ありました「フェニックス号」などの高速バスの乗車券発売所もありました(現在は宮崎駅前「KITEN」1階に移転)ので、正直複雑な姿であった事を覚えております。
このような形で運行開始へ至っておりました「たいよう号」でありましたが、結局は「フェニックス号」もほぼ同区間で運行されるようになった事や、運賃も同価格まで値下げされた事、さらに知名度などもありまして、利用者は低迷しておりました。時によっては、利用者も1便当たり数名ほどであったなど、「フェニックス号」との違いも見られるようになりました。
それでも、多客期には満席で運行される事もありました。実際に「ダブルデッカー」を利用しました平成24年2月の利用時には画像のように満席で運行されていた姿も見られておりまして、徐々に「たいよう号」の知名度も上がってきていたのではないかとも思ったほどでありました。
もちろん、この「たいよう号」では「SUNQパス(全九州版)」も使用する事が可能でありました。実際に車体にステッカーが貼り付けられていた事がお分かりいただけるのではないかと思います。それにしても、私も「SUNQパス」が使用できていなかったら、この「たいよう号」に乗車する事がなかったかなとも思ったほどでしたので。
しかし、この「たいよう号」ダブルデッカー便は、この乗車から1か月後の平成24年3月に運行を終了、福岡~山口線「福岡山口ライナー」に転用される事になります。しかし、その「福岡山口ライナー」でも利用者が伸びなかった事からその後撤退する事になり、その後平成24年暮れより運行を始めました以下画像の季節運行の鹿児島~広島線「鹿児島ドリーム広島号」に転用されておりましたが、その後売却されまして、JR九州バスからは姿を消しております。
そして、ダブルデッカー撤退から約1か月後の平成24年4月、「たいよう号」は廃止されまして、「フェニックス号」に再び戻る事になります。その結果、JR九州バスの運行本数は4往復が確保されておりまして、「フェニックス号」は28往復で福岡~宮崎間を運行されるに至っておりました。
しかし、現在は「新型コロナウイルス」によります需要減・乗務員不足もありまして、現在は21往復にまで減便となっております。また、JR九州バス便は全便4列シートでの運行に改まっておりまして、それとともに三菱エアロエースが使用車両として運行されるにも至っております。
(644-18562、2TG-MS06GP)
(644-18563、2TG-MS06GP)~最後の画像も
(644-19564、2TG-MS06GP)~画像4も
本当に、今思いますとJR九州バスの行動は何だったのかとさえも思う方もいらっしゃるのではないかと思います。しかし、この行動が結局は現在の「フェニックス号」の礎を作った事には変わりありません。やはり、当時は高速ツアーバスと言う大きなライバルもあっただけに、「不死鳥」に立ち向かったJR九州バスの行動は非常に大きいのではないかと思わざるにはいられません。まさに「勇気ある行動」ではなかったかと言ってもいいのではないかとも思います。
現在は、かつての高速ツアーバスも、「サンマリンライナー(南九州観光バス運行)」や「みとシティライナー(美登観光バス運行)」が新たな高速路線バスとして現在に至っておりますが、かつての勢いは見られなくなっております。その結果、「フェニックス号」も再び利用者は伸びておりましたが、ご紹介しておりますように「新型コロナウイルス」によります需要減の影響は出ている所は正直残念かなと思う所ではありますが、それでも現在の「フェニックス号」を作るきっかけとなりました「たいよう号」の存在も、今は存在しない訳ではありますが、この貢献は絶対に忘れてはいけないのではないかとも思う所であります。
(注)「JR九州バス」は平成24年7月まで「ジェイアール九州バス」と称されておりました。そのため、内容が平成24年7月以前の内容に関しましては「ジェイアール九州バス」、以降は「JR九州バス」としてご紹介しております。