NO.2954 昭和バス最後の富士重工架装高速車、7B架装日産ディーゼル車離脱までの記録(前編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 去る12月5日、昭和自動車(昭和バス)に所有しておりました、富士重工7B架装高速車の日産ディーゼルUA(福岡200か29-81、KC-UA521TAN)が最終運行を終えまして、26年に及びました車生に幕を閉じました。
 
 詳しくはこの後ご紹介しますが、この車は平成9年式、昭和バスには平成18年に移籍導入しました車でもありまして、昭和バスでは17年にわたりまして活躍を行ってきた車でもありました。
 
 そんなこの車は、近年まではあまり稼働実績もそう多くはありませんでしたが、当時の従来のUAよりも高出力車でもあった事もありまして高いエンジン音、車内の座席も従来の車よりもふかふかしていると言う特徴ある姿が見られていた事もありまして、末期はマニアにも注目されるほどにもなりました。そう言った事や、この車よりも車齢が若いヒュンダイ(ヒョンデ)ユニバースに故障が多く見られていた事もありまして、予備車としてもスタンバイするに至っておりまして、26年が経過しました今年の時点では最後の富士重工架装の高速車として在籍するにも至っておりました。
 
 けれども、今年新車の導入もありまして、このほど定期運用を離脱、今後は廃車登録へと至る事にもなるようでもありますが、上の画像・以下画像のように去る12月5日にはラストランも行っておりまして、私を含めまして多くのマニアの方も最終日までに乗車・撮影された方もいらっしゃったようでありまして、この車にとりましては有終の美を飾ったと言ってもいいかとも思います。
 
 
 さて、今回と次回の2回にわたりまして、この富士重工7B架装日産ディーゼルUAの離脱までの記録をご紹介しますが、今回の前編では、導入~ラストラン前に収めてきておりましたこの車に関しまして、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 先述のように、この車は平成9年式、富士重工7B型架装の日産ディーゼルUAとして、自家用として千葉県柏市で登録されていた車でありましたが、前所有者が廃車売却した後、昭和バスには平成18年春に導入されまして、唐津営業所に配置されておりました。

 

 当時西九州道路線では、西日本車体(西工)架装の日産ディーゼルUA→スペースランナーRAが毎年にわたり導入されておりましたが、古参車両の置き換えとして並行して移籍車両も導入されておりました。そんなこの車も、唐津営業所導入という事で、佐賀200か・373のナンバーで登録されておりまして、導入後は「からつ号」をメインに、「いまり号」「いと・しま号」でも運行されておりまして、西九州自動車道(福岡前原道路)~福岡都市高速道路の路線で活躍する姿が見られておりました。

 

 

 この車の特徴をご紹介します。窓は見ましてもわかりますようにメトロ窓となっております。また標準床(スタンダードデッカー)のタイプでもありますが、窓からもわかりますように座席の高さが一定しておりまして、こう言う所からも7B架装車からわかりますように観光タイプである事がお分かりいただけるのではないかと思います。やはり、こういう所からも路線バスベースでありました元サンプルカーの7E架装UA(現在廃車)と違う所でもありましょうか。

 

 この7B架装車は7E架装車をベースにした車でもありますので、フロントスタイルは7E架装車と同じスタイルでもあります。ただ、行灯は別の位置に設けられておりまして、このタイプでは一般的な装備でもあります。それに移籍後は行先表示器が設けられておりまして、側面行先としますと横長の形となっております。尚、昭和バスでは一般路線用にも複数台7B架装の移籍車が存在しておりまして、これらも元は移籍車でもありましたが、残念ながら全廃となっております。

 

 

 画像は座席をとらえておりますが、これらは赤地の座席が装備されております。私自身もこれまでも何度かこの車を利用しておりましたが、座席がふかふかしている事もありまして必ず寝てしまうほどでもありまして、何度か降車バス停を寝過ごした事さえもあった事は忘れられません・・・。

 

 

 そして、これまでもご紹介しておりますように、この車は元自家用でもありました。その証が画像にあります車庫証明を表す「保管場所標章」でありまして、これからこの車が千葉県柏市で使用されておりました元自家用車である事がわかります。ちなみに、上2ケタの数字は車庫証明登録が行われました西暦を表している事から、「97」の表示がわかりますが、これからも平成9年にこの車が登録されていた事がお分かりいただけるのではないでしょうか。
イメージ 8

 

 (平成26年撮影)~以降後述の時まで「からつ号」としての姿は収めておりませんでした

 

 

 その後、上の画像のように長らく唐津営業所に所属しておりましたこの車も、平成26年に旧前原営業所、後に福岡営業所に転属しまして、旧前原営業所所属時に登録ナンバーも現ナンバーであります福岡200か29-81に改番されておりました。
イメージ 6イメージ 7

 

 福岡営業所では、当時1運用ありました「からつ号」・「いと・しま号」の運用に入っておりましたが、この車は平成14年式の車の予備車として運行する姿が見られておりました。尚、その後さらに1台が転属した事もありまして、よりこの車庫で休む姿が見られるに至っておりました。

 

 

 そして、この車は旧前原営業所から改称されました旧志摩営業所に戻ってまいりまして、令和元年の廃止まで「いと・しま号」を中心とした路線に入りまして運行されておりましたが、志摩営業所廃止後は以下画像のように伊都営業所に転属、休む機会は多い中でも引き続き「いと・しま号」を中心に運行されておりました。

 

 同年式でもあります、三菱エアロバススタンダードデッカー(福岡200か35-26、KC-MS815N)との並びです。この車に関しましては、移籍導入時は唐津営業所所属で特定貸切として使用されておりましたが(当時佐賀200か・448)、その後路線化改造されておりまして、改造後旧前原営業所に転属、改称された旧志摩営業所廃止に伴いましてこの車も伊都営業所所属車として運行されておりましたが、令和3年、一足先に廃車となっておりまして、この並びも過去の姿となっております・・・。

 

 

 同年式が廃車となりましたこの車でありますが、この車に関しましても何度か廃車の危機があったそうですが、先述のように故障が多いヒュンダイ(ヒョンデ)ユニバースの存在もありまして、現在も伊都営業所所属車として運行される姿が見られておりました。画像は、令和4年5月に運行されました「いまり号」運行時の姿でありますが、この時はSNSで運行情報が上がっておりまして、情報を聞きつけました多くの方々が沿線で撮影されましたり、乗車された方もいらっしゃったそうであります。

 

 私自身も、この時は博多駅近くで会議があっておりましたが、この休憩時にちょうど博多バスターミナルに戻る時間帯であった事から収める事ができておりましたが、この時このように収める事ができた事は本当にラッキーでありましたし、かつ「いまり号」でしたので、天神高速バスターミナルにも久々に乗り入れを果たす事ができていたんだなという事を実感させるほどでもありました。

 

 

 こちらは、昨年新路線として二見ヶ浦方面へ運行されております「ウエストコーストライナー」運行時のものであります。実際に新しい「ウエストコーストライナー」の青地の行先も装備されておりますので、伊都営業所の一員として運行されている事がわかる姿でもあります。

 

 この時は、私自身も約3ヶ月ぶりにこの車のエンジン音を聞いてもいましたが、かつての富士重工5B架装のRAを思い出すいい音ではなかったかとも思っておりますし、車庫内へ走る時の黒煙の姿もそれだけ25年も経過している車である事を伺わせるような姿でもなかったかなとも思ったほどでした。

 

 

 さらに、こちらは今年1月末に撮影しました「からつ号」運行時のものであります。私自身、この車の「からつ号」としての姿は、上の画像の旧車番時代であります約9年ぶりでしたので、情報を聞きつけましてこのように収める事ができまして良かったと思いました。しかも、この時は小雪も降る中でもありましたので、そんな中でも収める事ができていた事は、まだまだ元気である事も実感する部分ではなかったかと思っております。

 

 (フロント行先)

 

 (リア)

 

 

 そして、こちらはこのほど約9年ぶりに乗車を果たした時のもので、しかも「からつ号」時の模様です。現在も度々「いと・しま号」・「ウエストコーストライナー」以外の路線に入る事もあるこの車ではありますが、この時は情報を聞きつけまして、これを逃したらもう乗れなくなるかもという思いも重なりまして、乗車に至る事ができておりました。

 

 車内は、シートモケットも変わらず、赤系の座席が並んでおりましたが、乗車しました座席では細かい痛みも見られておりまして、まさに四半世紀を超えている印象を得ておりました。それにしても、この車のふかふかさに変化はなく、案の定眠ってしまっておりまして、この車独特の高音のエンジンブレーキによって起きました時にはもう天神北ランプに差し掛かっていたほどでありました・・・。

 

 (上下に開いたドリンクホルダー)~それでもドリンクを置くことは可能です

 

 

 こうして、約1時間の乗車を終えましたが、この車に関しましても新車の導入によりましては置き換えの対象になるのは必至な所でもありますし、今回実際に導入情報もSNSで流れていた後でもあっただけに、逃すまい!と思いまして利用しましたこの時の乗車は本当に良かったと思ったほどでした。

 

 

 今回は、このほど運用を離脱しました富士重工7B架装の日産デイーゼルUAに関しまして、これまでの姿をご紹介しましたが、この車の移籍当初から知るものとしましても、よくここまで元気に稼働していたなと思う所ではあります。やはり四半世紀も経過した車でもありますので、本来でしたらもう姿を消す所ではありますが、それでもここまで生き延びていると言うのも、他の所属車の故障が多いなど様々な所があってこそではないでしょうか。次回後編では、以下画像・冒頭の画像でもありますように、私自身ラストランの乗車も果たしておりまして、その模様をご紹介しますので、次回もご覧になっていただきたいと思います。