NO.2915 試験運行を行っていた大分県内高速バスの姿(前編、亀の井バス運行・湯布院〜日田線) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 平成30年の12月から令和元年の9月末にかけまして、上の画像1の湯布院駅前バスセンター発着、そして大分(画像2は要町(大分駅高速バス乗場))発着で県内高速路線バスの試験運行が行われておりまして、ご覧の皆様の中でも利用された方もいらっしゃるのではないかと思います。

 

 この県内高速路線バスは、大分バス・亀の井バス・日田バスが運行を担当していたものでありまして、運行区間の中には一度廃止となっていた路線もありまして、実質復活した姿も見られていたほどでもありました。

 

 この県内高速路線バスが以下の通りであります。中でも大分バスに関しましては東九州自動車道・大分自動車道と経由していた路線でもありまして、運用は1運用で賄う事もできておりました。

 

 大分~佐伯線 平成31年4月~9月運行 大分バス運行

 大分~湯布院線 平成31年4月~9月運行 大分バス運行

 湯布院~日田線 平成30年12月~令和元年9月運行 亀の井バス・日田バス運行

 

 これらは、大分~佐伯線に関しましては通勤目的として、大分~湯布院線、湯布院~日田線は観光目的で運行されていたほどでありまして、特にインバウンド利用者に狙いを定めまして運行されていたものでありました。

 

 しかし、ふたを開けてみますと湯布院~日田線は1便当たりの平均が約3名ほど、それ以外の便もさほど多くなかったそうでありまして、後述のように湯布院~日田線はてこ入れ策も行ったそうでしたが、それでも利用者はそんなに伸びず、3路線とも令和元年9月末で運行を終了するに至っておりました。

 

 

 さて、今回と次回2回にわたりましてご紹介しますのは、令和元年に湯布院~日田線・大分~湯布院線に乗車する事ができておりました。今回は湯布院~日田線、次回では大分~湯布院線の乗車の模様を皆様にご紹介してまいります。

 

 (令和元年撮影当時画像)

 

 

 この湯布院~日田線は、いずれも日田・湯布院(由布院)が観光地でもある事もありまして、その観光地間を結ぶ高速路線バスとして運行されておりまして、日田バス・亀の井バスの2社によりまして、日田発3本、湯布院発2本で運行されていたものでありまして、日田バスが日田発1本のみ、亀の井バスが残り2往復を担当しておりました。

 

 

 そんなこの路線は、平成27年に一度日田発の1本で運行されておりまして、日田バスの単独で運行されておりました。これは、福岡~湯布院線「ゆふいん号」の送り込みのために運行されていたものでありまして、「ゆふいん号」の系統として存在しておりましたが、利用者が皆無の時もありまして、結局は運行を終了していた経緯があったほどでありました。

 

 (日田バス421号(先代)・日野KL-RU4FSEA)

 

 

 そして、約3年の時を経まして、この路線は試験運行と言う形で運行を開始(再開)しておりまして、上の画像にもあります日田バスセンター(当時、現・日田バスターミナル)・湯布院駅前バスセンター間をノンストップと言う形で運行されておりました。尚、当初は予約制でもありましたが、令和元年4月より非予約制でありました。また、1本のみ運行されておりました日田バス担当便に関しましては「ゆふいん号」の送り込みの形で運行されておりました。

 

 (日田バス421号(現在)・日野QRG-RU1ASCA)

 

 

 ここからは、令和元年6月に湯布院~日田線の亀の井バス便に乗車しました際の模様をご紹介してまいりますが、画像は、日田バスの本社・日田営業所であります。日田バスも、この当時平成19年式のほとんどを所有していました西日本車体(西工)E-III架装車の日産ディーゼルスペースアロー(PKG-RA274RBN)、貸切車では西鉄観光バスで採用されている塗装を日田バスでも採用されております「青鳥色」のいすゞガーラの姿が多く見られていた事がわかります。ちなみに、令和元年の頭までは西工S型架装車も所有しておりました日田バスでもありましたが、残念ながらこの時には全廃となっております。

 

 (西工E-III架装車アップ)~

 

 一方、この営業所の反対側には湯布院からやってまいりました、今回利用します亀の井バス便の姿がありまして、休憩を行うために日田営業所へとやってまいりまして、折り返し便の発車前まで休憩を行っておりました。それにしても、車庫内は西鉄バス・日田バスの姿の中に亀の井バスの姿もある訳ですので、この路線を運行していた証でもありましたでしょうか。

 

 (アップ)

 

 

 そんなこの車(大分22か20-46、日野KC-RU3FSCB)は平成8年式とこの時23年を経過しておりましたが、この頃も貸切車として活躍する他、今回のように高速路線バスの続行便としても活躍する姿も見せておりまして、画像のように「ゆふいん号」の続行の姿も見られておりました。それほどこの当時は亀の井バス自体も貸切車を高速路線バスとして使用する機会が多かった事も伺わせていたのではないでしょうか。

 

 

 この他には、従来の高速車両もこの路線に使用する事もありますが、この中にはこの年西鉄バスから移籍しました西工S型架装車もこの路線に使用する事があります。画像の車がその車でありまして、西鉄時代は4016(三菱KL-MS86MP)を名乗っておりましたが、亀の井バス移籍後には大分200か・929に再登録されまして、西鉄の「VI」ロゴを消しまして、「火の鳥塗装」に「KAMENOI BUS」と記しておりました。さらに、この車はLED行先に改造されていた事もありまして、「火の鳥塗装」での西工S型架装車ではこの車が初のLED行先改造と言う事にもなっておりました。

 

 (西鉄時代)

 

 (亀の井バス移籍後)~行先はLED行先です

 

 

 さて、私は日田バスセンターよりこの車に乗車しました。乗客は、何と私1人といわゆる貸切状態ではありましたが、車内は後部座席が高い位置となっているC-II架装車でありまして、後部座席部分はサロンと言う形でもありますので、天井部分の灯りもそれに近い形となっている事もわかります。ちなみに、貸切車と言う事もありまして、高速車両には設けられておりますコンセント・Wi-Fiは設けられておりませんでした。

 

 また、後部の座席は回転式のシートとなっております。そう言った所もサロンバスとしての印象さえも感じさせられますが、窓自体も広い訳でしょうから、後述の姿からも眺望もいいのではないかとも思う所でもあります。尚、この場合は固定されておりまして、貸切として使用される場合に回す事ができるようになっているようでした。

 

 

 車は、日田バスセンターを発ちまして、「ひた号」とは別のコースで日田インターへと向かいます。「ひた号」の場合は日田バスセンターを発ちますとすぐに左折しまして、陸橋を経まして豆田町方面へと進んでおりますが、この便の場合では日田バスセンターを発ちますと南下して行っておりました。

 

 

 南下して行きますと、県道9号線の画像の三隈川に架かります「三隈大橋」を渡ります。この橋は、画像からもわかりますようにトラス橋となっているのが特徴でもありますが、その「三隈大橋」を渡りますと、進路を南から西へと変えまして進んでまいります。

 

 

 鏡坂交差点で車は右折しまして、国道212号線を「台夢大橋」を渡りまして日田インターへと北へ進路を変えて行きます。渡りますとすぐに左側には「日田天領水」の工場や、この当時見られておりましたED76形電気機関車14系客車も保存されておりました「元気の駅」も存在しておりまして(現在は撤去されております)、この日も多くの車の姿が「元気の駅」で見られておりました。

 

 (元気の駅)

 

 

 さらに北上しますと、国道386号線とも交わります玉川交差点にやってまいります。、この道路は、日田駅の南側の元町交差点へとつながりますので、正直日田バスセンターを発ちまして元町交差点を右折しましてこの交差点へやってきた方が距離的にも早い訳ではありますが、その前に三隈川を2回も渡らないといけない訳でもありますので、正直遠回りではないか?と思う所でした。

 

 

 車は、JR久大線の陸橋を渡りまして、日田インター方面へと進んで行きます。この橋の下を行きますJR久大線は、これまでもご紹介しておりましたように、平成29年の「九州北部豪雨」の災害によりまして寸断されておりました光岡~日田間にあたりますが、この時には復旧していた事もありまして、線路のきれいな姿からも復旧している事を表しておりました。

 

 

 そして、日田インターに入りまして、大分自動車道を湯布院インターへと進んで行きます。この間が約10分ほどでありましたが、国道386号線を通りますとさらに短くなるのでは?と思う所でもありますので、正直その分所要時間がかかっていた事が伺えたのではないでしょうか。ちなみに、福岡~黒川線もこの今回ご紹介しました区間を通っておりまして、やはり所要時間短縮につながるのでは?とも思う所ではあります・・・。

 

 

 こうして、日田バスセンターから発ちまして、約1時間で車は湯布院駅前バスセンターへとやってまいりました。その時には、日田では降っていなかった雨が激しく降っておりまして、天気予報では雨とは表示されてもいなかっただけに、まさに予想外の天気でもありました。

 

 

 尚、この湯布院~日田線は、その後令和元年6月22日にダイヤ改正を行っておりまして、亀の井バス便に限りまして、日田側の始発・終着地に以下画像のサッポロビール工場としまして、日田バスセンター~城内豆田入口を経由する形で運行されておりました(但しサッポロビール工場~日田バスセンター間は水曜日運休、また日田バス便はこれまで通りの運行でした)。これは、いわゆるテコ入れでありまして、1日の平均利用者が約14.4人との事でありまして、5本存在していた事から平均利用者が約3人と非常に少なかった事からのこの経路変更でもありました。

 

 (2月訪問時撮影)

 

 

 けれども、このような策も実らず、結局冒頭ご紹介しました他の2路線とともに令和元年9月末で運行終了になりました。それでも少なからず利用者を取り込もうとする懸命さはわからなくはなかったかと思っております。

 

 

 今回は利用しておりました湯布院~日田線の利用時の模様をご紹介しましたが、乗車しての印象が、「正直この路線大丈夫か?」と言うのが一番の印象であった事を覚えております。何と言いましても、この路線自体は元々が一度廃止されていた経緯もあっただけに、それを再び運行開始(復活)へと至った事は良かった所ではありましたが、それでも利用者自体がどうか・・・と言う所ではあっただけにそれが現実となってしまった事が残念であったでしょうか。次回は、この湯布院駅前バスセンター発着で運行されておりました大分バス運行の大分~湯布院線に関しましてご紹介しますので、次回もご覧いただきたいと思います。