NO.2909 開業日に撮影!日田彦山線「BRTひこぼしライン」(その3、大行司駅構内(後編)) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 NO.2907よりご紹介しております、日田彦山線「BRTひこぼしライン」の運行初日であります8月28日に撮影していた話題をご紹介しておりますが、前回NO.2908では専用道路区間であります彦山駅から大行司駅までの移動の話題をご紹介しておりました。

 

 「BRTひこぼしライン」は、これまでもご紹介しておりますように、平成29年の「九州北部豪雨」で大きな被害を受けました日田彦山線を「BRT(バス高速輸送システム)」化したものでありまして、日田彦山線としての鉄道復旧は断念したものの、日田彦山線の名称は残ります「BRT」化へと至っております。

 

 今回は、上の画像にありますBYD製電気バス(130-22007)で彦山→大行司間を移動しておりましたが、この「BRTひこぼしライン」での特徴としまして、鉄道時代は一般道側に踏切が設けられていたものが、逆に専用道路側にゲートが設けられている場所がありまして、その分確実に一旦停止が必要になっているのが特徴であります。やはり、そういった所も鉄道時代とは大きな違いでもあります。

 

 こちらが全長4378メートルもあります釈迦岳トンネルであります。このトンネル内には、その下の画像にありますように明かりも見られておりますが、かつてこのトンネルも九州の在来線では最も長い鉄道トンネルであった事を伺わせるようにトンネルに入りまして出るまでが約6分もかかります。その間にはもやがかかっている所もありまして、それだけトンネル内の温度が低い所もある事が伺わせております。

 

 こちらが、大行司駅のホームであります。この後もご紹介しますが、旧ホームも添田寄りに残されておりますが、新たな「BRT」ホームも日田寄りの所に設けられております。ちなみにこの待合用のベンチは、令和3年に開催されました「東京オリンピック」で使用されました東峰村産の杉を再利用しております。

 

 (日田方面)

 

 (「東京オリンピック」で使用された事を表す刻印)

 

 そして、現在のホームと平成30年撮影の同部分であります。実際に画像の比較からもわかりますように、ちょうどポイント手前の部分にホームを設けられておりまして、この姿からもここまで変化が見られている事がお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

 (平成30年撮影、同部分)

 

 

 ここまで、前回の内容をご紹介しましたが、今回その3では大行司駅の後編を皆様にご紹介してまいります。尚、今回は筑前岩屋駅に関しましてもご紹介する予定でしたが、掲載画像が多かった事から筑前岩屋駅は次回ご紹介させていただきます。

 

 

 この大行司駅と言いますと、高い所に駅が設けられておりまして、東峰村大行司地区の眺めもいい所にホームが設けられております。画像中央はかつての学校跡に設けられましたスポーツセンターでありますが、平成30年訪問時は仮設住宅も設けられていた所でもありますが、その面影も見られなくなっております。

 

 (平成30年撮影)~中央に仮設住宅が見えます

 

 

 長い階段を降りまして、駅舎へと向かいます。私自身、6月にひざの手術をやっておりましたので、そういう事からまともに階段を降りる事ができません(のぼりはできるようになりました)ので、1段ずつ階段を降りておりました。やはり、利用者自体も多くはない駅でもありますので、エレベーターと言ったものがないのは致し方ない所ではあります・・・。

 

 この大行司駅ホームへは、画像のように作業用通路も存在しまして、保線の作業車などの出入りもできておりましたし、今回の「BRT」化に際しましても作業車の出入りもあっていたようであります。正直、この道を広くしまして下にあります駅舎へバスを乗り付けるといった手段が、バリアフリー的にはよかったように思いますが、そのようにいかなかった事がこの駅での残念な点であると言ってもいいでしょうか。

 

 

 その階段下にあります駅舎であります。旧駅舎は「九州北部豪雨」で被災しておりましたが、日田彦山線復旧を願って令和元年には画像の駅舎が建てられておりました。残念ながら、鉄道としての復旧は実現できませんでしたが、それでも「BRT」化で駅舎が復活できた事も正直よかったと言ってもいいでしょうか。

 

 これまで入る事ができませんでした駅舎内に入る事ができました。ここには様々なポスターやお知らせの掲示が見られておりましたが、中でもこの駅の看板を書かれました41代式守伊之助さんが書かれたと思われます書が目立っているようにも思ったほどでした。

 

 (上部、41代式守伊之助さんが書かれたと思われます書)

 

 

 さて、この後は添田行きの「BRT」に乗車するために、足が痛い中また長い階段をのぼります。本当に、当ブログでも述べておりましたが8月27日まで運行されておりました代行バスが運行されておりました小石原方面へは、並行して西鉄バス久留米の路線バスが運行されておりますが、現在の私のように階段が苦手な方、高齢者の方でしたら隣駅の宝珠山駅の方が乗り換えにふさわしいかもしれません・・・。

 

 

 再びホームがある所に戻ってまいりましたが、時間がありましたので旧ホームを収めておりました。そんな大行司駅旧ホームには、「九州北部豪雨」の際には日田駅に向かう途中でしたキハ40系気動車(キハ147 1033+キハ147 107)が約3ヶ月にわたりましてホーム上に閉じ込められておりましたが、ホームはありましても線路がなくなり舗装された今はそういった面影は見られなくなっておりました。

 

 (画像右側が、上の画像の駅舎へつながる作業用通路になります)

 

 それにしても、ホームも撤去されずにこうした姿が見られるのもまさに現状な部分ではないかと思います。実際以下画像のように作業用の車両が入るために崩した跡が見られますが、そのような姿もこのまま残してある事には驚かされます。さすがに子供さんがここまで来て遊ばれる事はあまりないとは思われますが、それでも画像の角に当たりましてけがもしかねないだけに、きれいに直してもらいたかったなと思う所ではあります。

 

 

 所で、先述で留置されていた車両に関しまして紹介しましたが、現在これら車はキハ147 1033は日田彦山線内で活躍の姿が見られておりますが、キハ147 108に関しましては昨年9月で運用を離脱しておりまして、現在は直方車両センターに留置されております。これらも「九州北部豪雨」で取り残しを経験していた車両ではありますが、そうした経験をした車もここにきて明暗が分かれている事は正直残念でもありましょうか。

 

 

 そして、添田行きの「BRT」がやってまいりました。この便では黄色の「ゆずカラー」でありますBYD製の電気バス(130-22008)に乗車しまして、隣の駅であります筑前岩屋駅へと向かいます。

 

 (車窓)

 

 

 約4分で筑前岩屋駅へやってまいりました。筑前岩屋駅に関しましては次回ご紹介しますが、前回もご紹介しました3つのコンクリート橋梁(第二大行司・宝珠山・栗木野各橋梁)もあっという間に通過しておりまして、かつては列車で行く事ができていた所もバスで通るようになった事が伺わせておりました。

 

 

 今回は、大行司駅の後編としてご紹介しましたが、本文でもありましたように引き続きホームが高い所に設けられた事は正直残念かなと思います。やはり普段が高齢者の利用も見られる路線でもありますので、せっかく「BRT」用のバスがノンステップバスとして導入されている訳ですので、バリアフリー面に特化した形にするために作業用通路を活用してくれてもよかったかなとも思う所です。それにしても、旧ホームも残されている所にも驚きですが、そのままな姿が見られている所も驚きではなかったでしょうか。次回は特に被害が見られました筑前岩屋駅をご紹介しますので、次回もご覧になっていただきたいと思います。