番外 平成18年から約3年ほど存在していた、昭和バスのピンクの「貸切塗装」富士重工HD-I架装車 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 昭和自動車(昭和バス)には、かつては高速・特急専用車で富士重工HD-I架装の車両が存在しておりまして、現在運行されております西九州自動車道路線の福岡~唐津・伊万里線「からつ号」・「いまり号」などをはじめ、廃止となりました「からつ号」の前身の「マリンライナー」や、(呼子・)唐津~長崎線「レインボー壱岐号」、唐津・佐賀~熊本線「おおあそ号」や、唐津~佐賀線「バルンライナー」、唐津~嬉野線「うれしのライナー」と言った高速バスにおきましてこの姿が見られておりました。
 
 メーカーは、三菱ふそう・日産ディーゼル・日野自動車・いすゞ自動車4メーカーで存在しておりまして、貸切車両もこのタイプは4メーカー存在しておりましたので、貸切車両とともに高速車両もそれだけのメーカーで存在してもいたのが特徴でもありました。
 
 ただ、塗装は上の画像の車(画像1、佐賀22き・・98、三菱P-MS725S 画像2、佐賀22き・132、いすゞP-LV719R)にありますように現在各車で見られております緑高速塗装ではなく、当初は赤地の塗装であったのが特徴でありまして、この塗装時代には全ての車にはトイレが付いておりましたし、ほとんどの車には3列シート・自動販売機・給湯器・電話付きであったのが特徴でありまして、近距離路線でもそう言ったサービスが見られていたのも特徴でもありまして、まさにバブル期に導入された車ならではな姿が見られておりました。
 
 しかし、これら車もほとんどがその後「緑高速塗装」・4列シート化されまして西九州自動車道路線に転用された車もありましたが、最終的には全廃となっておりまして、現在は姿を見る事ができません。
 
 
 また、富士重工HD-I架装車では、イースタン観光から移籍導入されていまして、貸切車として使用されていた車が新生「からつ号」運行に際しまして転用された日野セレガシャーシ(U-RU2FTBB)の車も存在しておりまして、画像のように西九州自動車道路線で運行される姿も見られておりました。しかし、これら車も既に全廃となっておりまして、姿は見られなくなっております。
 
 (福岡200か10-72)
 
 (福岡200か10-73)
 

 さて、今回ご紹介しますのは、昭和バスに所有しておりました、ご紹介しました富士重工HD-I架装の高速バス用として導入していた車とは別に、貸切改造であるとともに塗装もピンクの貸切塗装のままで運行されておりました三菱エアロバス(福岡200か13-84、P-MS725S)を皆様にご紹介してまいります。
 

 昭和バスには、冒頭述べましたようにかつては高速・特急専用車で富士重工HD-I架装の車両が存在しておりましたが、今回ご紹介します車の場合は貸切塗装のままで路線改造を施していたのが特徴でありまして、平成18年頃から廃車となります平成21年まで存在しておりました。
 
 また、同様の改造車としまして日野ブルーリボン(福岡200か13-09、P-RU638BB)も存在しておりまして、この2台がピンクの貸切塗装のままで運行されておりました。尚、この車も平成21年に廃車となっております。
 

 さて、この福岡200か13-84は、平成2年に福岡営業所にて新製配置(車番不明)、以来貸切車として九州・本州各地へと運行されておりました。その後、平成12年に佐賀営業所に転属(佐賀200か・・83)、そして唐津営業所にも転属しまして、引き続き貸切車として使用されておりました。
 
 
 その後、西九州自動車道(福岡前原道路)経由の高速バスであります「からつ号」・「いと・しま号」増発に伴いまして、先述のように平成18年に路線化改造されまして、所属先も旧前原営業所に転属となりました。しかし、前原所属の高速車となりましても塗装はそのままでもありまして、かつ行先はサボ式となっていたなど変わった所が見られていたのが特徴でありました。
 

 しかし、平成21年に新たな車(日産ディーゼルスペースランナー)が導入された事からそれに伴いまして廃車となりまして、約3年間で変わった形の高速車両は姿を消したのでありました。
 
 (運用離脱直後)
 
 (廃車後、他の路線・貸切車とも)~右側に福岡200か13-09の廃車もあります

 この車は、私自身もかつて乗車した事がありましたが、やはり貸切車からの改造であった事もありまして、座席もフカフカであった事も覚えております。けれども、このような形でも廃車となると言う事は経年には勝てなかった訳ですので仕方がない所でもありましょうか。
 

 今回はピンクの「貸切塗装」によります昭和バスのHD-I架装の高速車に関しましてご紹介しましたが、これらも、平成初頭には冒頭でご紹介しました高速車あれば貸切車も存在していたなど、いわゆる主力車両でもありました。しかも、4メーカーが高速・貸切車両ともに存在していた訳でもありましたので、よりこの存在は大きかったのではないでしょうか。そんな中でのこの貸切からの改造車では、最小限での改造からもまさに廃車が近い車両であった事にも伺えていたのではないかとは思いますが、それでも約3年間は活躍した訳でしたので、この存在は大きかったのではと思ってならない所ではあります。