NO.2861 筑豊地区の廃止路線の一つ、上山田線廃線跡探訪(後編、旧熊ヶ畑駅~豊前川崎駅間編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 前編のNO.2859 から、上山田線の廃線跡探訪の話題をご紹介しておりますが、中編のNO.2860 では旧臼井駅から旧熊ヶ畑駅までの廃線跡探訪に関しましてご紹介しておりました。

 

 上山田線は、飯塚駅から上山田駅、そして日田彦山線豊前川崎駅間を結ぶ路線として、当初は明治34年に筑豊炭田から産出される石炭の輸送のために飯塚~上山田間が、後に工事自体が凍結されました「油須原線」の構想のために戦後から工事が行われました上山田~豊前川崎間が昭和41年に漆生線の漆生~嘉穂信号場間とともに開業しておりまして、結果上山田線・漆生線は全線開通へと至っておりました。

 

 しかし、周辺炭鉱の相次ぐ閉山などもありまして利用者もそう多くなかった事もありまして、昭和61年に漆生線が廃止された後にJR化後の昭和63年に上山田線も廃止となっております。

 

 前回ご紹介しました廃線跡区間では、旧上山田駅付近まで道路化されておりますが、それより先の以下画像の旧熊ヶ畑駅付近までは線路や路盤も残されておりまして、旧熊ヶ畑駅周辺ではトロッコ列車も年数日運行されております。それでも、上の画像の旧大隈駅の跡のように公園となった所あれば、旧上山田駅のように公共施設化された所もありまして、廃止から既に30年以上経過している事もありまして、変化が見られている所もあるのが現状でもあります。

 

 そして、画像は嘉穂信号場があった所ですが、現在は道路化、漆生線跡の部分は自然に帰るなどして変化も見られておりますが、ここも先述のように漆生線・上山田線の上山田~豊前川崎間があったこその信号場でしたので、そうした面影も見られなくなっているのは、時を経つ事を思えば致し方ない所ではなかったかと思ってならない所ではあります。

 

 

 ここまで前回に関しましてご紹介しましたが、今回最終回は、日田彦山線との接続駅でもあります、豊前川崎駅までの現状に関しまして、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 旧熊ヶ畑駅から約600メートル、県道67号線と交わる踏切跡へとやってまいりました。画像は右側が旧熊ヶ畑駅、左側が熊ヶ畑トンネルへと進んでまいります。

 

 踏切跡の部分も道路化されておりますので、線路があったとされる所に線を入れておりますが、線路は画像のようになっていたと思われまして、そこから熊ヶ畑トンネル・旧熊ヶ畑駅へとそれぞれ列車が行き来しておりました。残念ながら、線路自体は撤去されてはおりますが、よく見ますと踏切を照らしていたと思われます電灯跡が残されていた事がお分かりいただけます。

 

 上の画像左側の奥にありますのが、旧熊ヶ畑トンネルであります。よく見ますと線路もこの部分はトンネル手前まで残されておりまして、かつての証が現在も見られている事もお分かりいただけます。

 

 (奥にトンネルがあります)

 

 ちなみに、この付近はイノシシ対策で柵が設けられておりまして、このトンネルも柵越しで収めております。そんな柵(踏切跡)の所には、現在も直方電気支区(現・JR九州電気システム直方工事所)の注意看板が置かれておりまして、かつてここに線路・踏切があった証を残しております。

 

 

 このあと、県道67号線を引き続き進みまして、峠を越えて行きます。この途中にはJR九州バスの廃車体も見られておりまして、筑豊地区で活躍していた車が筑豊地区で全うしている姿を見る事ができておりました。

 

 

 峠を越えまして、熊ヶ畑トンネルの川崎側にやってまいりました。嘉麻側は先述のようにイノシシ対策もありまして、立ち入りができにくかったですが、川崎側は後述の姿もありまして近くまで来る事ができておりまして、奥にはトンネルの嘉麻側の明かりも見られておりまして、トンネル内のまっすぐしている事もわかるのではないかと思います。

 

 その反対側が、画像のようになっておりまして、自転車や歩行者専用のサイクリングロードとなっております。このような例は、佐賀線の一部や世知原線・柚木線などの廃線跡を活用している姿が見られておりますが、上山田線の川崎市側でもこのように見る事ができております。

 

 (豊前川崎方)

 

 (奥に熊ヶ畑トンネルになります)

 

 (歩行者・自転車専用道路を表す看板)

 

 

 そんなこの歩行者・自転車専用道路は、「雪舟ロード」と呼ばれておりまして、熊ヶ畑トンネルから旧真崎駅付近までの約2キロとなっております。ちなみに、「雪舟ロード」の名は熊ヶ畑トンネル近くに雪舟ゆかりの「魚楽園」と呼ばれる庭園がある事からとも言われておりまして、庭園自体は国指定名勝となっているそうであります。この他にも、この通りには名所があるそうでもありまして、サイクリングをしながら楽しんでいただきたいと言う印象さえも感じさせられます。

 

 

 その「雪舟ロード」沿いを通って行きます。現在は画像にもありますように自転車・歩行者専用道路としての姿が見られておりますが、昭和63年までは列車が走っていた訳ですので、この姿からも様変わりしている事も伺わせているようにも思います。それにしても、もしもまだ列車が走っていたならば、以下画像の所は撮影ポイントでもあったかな?とも思う所でしょうか。

 

 「雪舟ロード」と一般道が交わる地点で収めたものです。ここは以前踏切であった所にもなりますが、幅からも単線の線路自体が存在していた事がわかるのではないでしょうか。

 

 (飯塚方)

 

 (豊前川崎方)

 

 

 「雪舟ロード」の末端部になります旧真崎駅にやってまいりました。駅自体はかつて駅舎も存在しまして、1面1線のホーム配置でもあった所でしたが、駅舎があったとされる所には、現在は倉庫とテーブル・ベンチが見られておりまして、駅としての名残は見られなくなりましたが、建物の広さからも駅舎があった印象にもなるでしょうか。 

 

 (倉庫を表す看板)

 

 ホーム跡とされる部分には、画像のように駅跡を表しますモニュメントも見られております。それにしても、このように「真崎駅」と書かれておりますと、より駅があった事がわかる姿でもありましょうか。

 

 駅舎・ホーム跡より飯塚方を望みます。ご紹介しておりますようにここから「雪舟ロード」は続いている訳ですので、廃線跡がうまく活用されている事もわかるのではないでしょうか。

 

 この旧真崎駅の豊前川崎方には、農産物直売所「De・愛」と呼ばれる施設となっております。この時も車の出入りが頻繁にあっておりまして、食材を購入しに来られている事が伺わせておりました。それほど地元の方々にはなくてはならないものの施設に変わっている事も伺わせておりました。

 

 

 その「De・愛」を過ぎまして、さらに進んでまいります。その先にはきれいな橋であります真崎2号橋がありますが、さらにその先にも「De・愛広場」も設けられておりまして、地元の方々向けの施設が見られております。

 

 

 そんな旧真崎駅を過ぎまして、さらに北方向へ進んでまいります。ここから豊前川崎駅の付近までは再び道路化された所を通って行く事にもなります。

 

 

 実はこの途中には、旧東川崎駅と呼ばれる駅も存在しておりまして、以下画像手前側に存在していたそうでした。しかし、現在は記念碑がポツンとあるのみで面影も見られなくなっておりまして、そう言った事から収める事に至る事ができませんでした・・・。ちなみに、存在していた駅自体もホームがあるのみであったそうでもありまして、小ぶりの駅であった事も伺わせておりました。

 

 

 それから豊前川崎駅が近くなりますと、大きなカーブが見られてまいります。上山田線は、豊前川崎駅の北側から西・南側へ続くカーブが見られておりまして、それから旧真崎駅・熊ヶ畑トンネル方向へ南下する形となっておりました。本来ならば南へ回ってもいいのでは?とも思う所ですが、やはりそうした理由も、油須原線の存在がありまして、スイッチバックしないためでしたら大回りでもいいのでは?と言う考えでもあったのでしょうか?

 

 (川崎変電所付近)

 

 (川崎町役場付近)

 

 

 こうして、奥に豊前川崎駅となる場所へとやってまいりまして、上山田線の豊前川崎側の末端部へと差し掛かる事にもなります。旧線路は、画像奥の施設へと続いておりました。

 

 

 現在は日田彦山線の駅として存在します、豊前川崎駅です。この駅は業務委託駅として存在しておりまして、地元川崎町によりまして駅の運営が行われております。

 

 (切符売場)

 

 また、現在は地元によって運営されている事もありまして、野菜や果物など町の特産品が駅内の両側で販売されております。このような姿もJRの直営であるならば見る事ができない姿でもないかとも思います。

 

 

 そんな豊前川崎駅は、現在は駅舎とホームしかない、行き違い未対応の1面1線のホーム配置となっておりますが、かつては上山田線の存在もありまして2面3線のホーム配置となっておりました。そんなこのホームも以前は3番ホームであったそうでありまして、現駅舎が建てられた事に伴いまして旧1・2番ホームは姿を消すにも至っております。

 

 かつての豊前川崎駅の2面3線であった証が、以下画像で見られておりました。よく見ますと添田方はホーム手前がカーブになっているのがわかりますし、線の部分からもわかりますように、旧1・2番ホームであった名残も見られているのがわかります。ちなみに、油須原線の線路は豊前川崎駅から始まっていたようでありまして、先の分岐点まで路盤も残されております。

 

 こちらは、小倉方であります。こちらでも先の方からカーブになっておりまして、ポイントがあった所のようでもあります。尚、上山田線へのポイントは1・2番ホームがあった事からその先にポイントが存在していたようであります。

 

 そして、現在駐車場となっている場所がかつての側線跡の部分でありまして、かつては複数の側線が見られていたようであります。そうした事からも、豊前川崎駅自体が広かった事もお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

 

 今回まで3回に分けまして、上山田線廃線跡探訪の話題をご紹介しましたが、私自身もこの廃線跡探訪はいつかは行ってみたいと思っておりましたので、訪問する事ができまして良かったとは思っております。ただ、旧嘉穂信号場のように自然に帰っている所が見られていたと言うのは、10数年前までは詳しく見られていたとなりますと遅かったかなとも思う所ではなかったでしょうか。それでも、現在も線路が見られている所・活用されている所も多くは見られているのが現状でもありますので、残されている所はかつて鉄道が存在していた事がわかる部分ですので、これからも引き続き残してしていただきたいものであります。