JR九州の宮崎地区は、上の画像の南宮崎駅に電車・気動車の車庫を置いておりまして、そのうちの気動車につきましては、「宮崎車両センター」と呼ばれます区所が存在しておりますので、それら所属の気動車によりまして運行されております。
宮崎車両センターは、平成23年の改正に伴いまして、これまでの鹿児島総合車両所(現・鹿児島車両センター)の「日南運用」から独立した形で発足しておりまして、日豊線宮崎地区や日南線などを管轄する宮崎総合鉄道事業部の車両管理部門として現在に至っておりました。
しかし、令和4年に宮崎総合鉄道事業部が廃止、新たに宮崎支社が設けられておりまして、現在は宮崎支社の車両部門として宮崎車両センターが存在するに至っております。ただ、表記は画像2のようにこれまで通り「鹿ミサ」となっておりまして、鹿児島総合車両所(日南運用)時代の「鹿カコ」から電報略号が変更されておりましたが、宮崎支社となりましても引き続き「鹿」は残しております。
この宮崎車両センター所属車は20両、運行区間は、日南線(南宮崎~志布志間)の他に、日豊線の宮崎地区(佐土原~都城)、および吉都線(都城~吉松間)・肥薩線(吉松~隼人間)を担当しておりまして、連日運用に就いております。車両も、いずれもキハ40系気動車となっておりまして、10両がキハ40形気動車、8両がキハ47・147形気動車、そして2両がキハ125形400番台気動車の陣容であります。
(キハ40形気動車(「日南塗装」))
(キハ47形気動車)~先頭はキハ47 9083
尚、南宮崎駅に常駐します画像の713系電車に関しましては、引き続き鹿児島車両センターに所属しておりまして、こちらは鹿児島所属ながら宮崎県内で見る機会が多いのが特徴でもありまして、鹿児島へ下る時は検査時や臨時列車の運行時にとどまっております。
さて、今回ご紹介しますのは、タイトルが「平均車齢が高かった」となっておりますが、その通り宮崎地区の気動車は平成18年までは平均車齢は低かったのですが、その後平成21年のキハ125形400番台気動車の導入までは平均車齢は高くなっておりました。今回は過去に収めておりました姿とともに、その理由を皆様にご紹介してまいります。
それは、平成18年までは昭和62年・63年各年製のキハ31形気動車4両が当時の鹿児島総合車両所日南運用に所属しておりましたが、この年にキハ31形気動車と入れ替えに昭和55年製のキハ40系(キハ40形)気動車が転属してきましてからは平均車齢が上がっていたためでもありました。
鹿児島総合車両所日南運用に所属しておりましたこのキハ31形気動車は、2タイプが存在しておりました。それが3列シートのタイプあれば、1列部分をロングシート化されたタイプの2タイプがありまして、後者に関しましてはキハ31 22におきまして大分運輸センター(当時)に所属しておりました際に改造されましてから鹿児島総合車両所日南運用に転属しておりました。
(3列シートタイプ)
(キハ31 22で存在、1列部分ロングシート改造タイプ)
これらキハ31形気動車は、その後直方車両センターに転属しまして、筑豊線・後藤寺線で使用される事になります。一方、宮崎に移ってきましたキハ40形気動車は、以前は3両が唐津運輸センター(当時)に所属しておりまして、唐津線・筑肥線を運行しておりましたし、1両が鹿児島総合車両所の本区から日南運用に移ってきておりました。
(元唐津、キハ40 8054)
尚、現在キハ40系列は、機関改造が施工されておりまして、今までの車号+6000~8000番の数字が+されております。例えば、上の画像のキハ40 8054は、以前は2054だった事から+6000、他にも、上の画像6のキハ47 9083はトイレなしであった事から1083でありましたが、同じく+8000を追加しまして、9083となったものであります。
その後、平成21年に上の画像にありますキハ125形400番台気動車「海幸山幸」が鹿児島総合車両所日南運用に所属するようになった事から、平均車齢も再び下がりまして現在に至っております。また、かつて所属しておりましたキハ31形気動車は現在は全廃となっておりまして、見る事ができなくなっております。
(キハ31 22)~平成29年「若松線」運行時撮影
今回は平均車齢が高い時がありました、宮崎地区の気動車に関しましてご紹介しましたが、宮崎車両センターことかつての鹿児島総合車両所日南運用も、かつてはそういった気動車が存在していた事がお分かりいただけるのではないかと思いますが、やはり国鉄末期~JR化後に製造されておりましたキハ31形気動車が存在していたのは、かつてからしますと新しい気動車がいたんだなという所を実感できていたのではないかと思います。しかし、そのキハ31形気動車に関しましてが先にJR九州から既に姿を消している訳ですので、今となれば平均車齢が若かった頃が逆に懐かしい所でもありましたでしょうか。