NO.2806 現在は「2つの駅」も、かつて国鉄・JR時代は直通列車も運行されていた伊万里駅の姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 令和2年3月改正まで、松浦鉄道(MR)にはJRへの直通列車が1往復存在しておりまして、改正前には、往路が佐々発早岐行き、復路が早岐発伊万里行きと言う列車が運行されておりまして、上の画像にもありますようにMRの車両で運行されておりました。
 
 さらには、画像2のスタフにもありますように、佐世保~早岐間でもMRの運転士で通しで運行されていたのも特徴でもありましたし、運賃収受も車内で行われておりまして、乗り入れておりましたJR佐世保線内におきましても変わった姿が見られておりました。
 
 これらJR~MR間の乗り入れができていたのも、以下画像にもあります佐世保駅の2番ホームがJR佐世保線と~MR西九州線と唯一線路がつながっているためでもありまして、乗り入れ列車は必ずその2番ホームを通るようになっていたのがこの駅での特徴でもあります。尚、現在は定期列車の乗り入れはなくなりましたが、「マヤ検」「キヤ検」のいわゆる検測列車では現在も乗り入れている姿をも見る事もできているのも特徴でもあります。
 
 (JR~MRと唯一つながるホーム、2番ホーム)
 (早岐方)
 
 (伊万里方、奥はMRホーム)
 

 一方、現在そのJRとMRと線路ががつながっている駅と言いますと、その佐世保駅以外は以下画像にもありますこちらも佐世保駅と同様MR西九州線の起終点駅であります有田駅があります。
 
 ただ、この有田駅では平成7年に開催されました世界炎正確は「火」は3ついりますの博覧会」時に直通列車が見られておりましたが、現在は「マヤ検」・「キヤ検」の検測列車運行時にのみ使用するだけとなっておりまして、こちらも普段直通列車と言うものは運行されておりません。
 
 (駅舎)
 
 (普段MRの列車が停車する3番ホーム)
 
 尚、番外でもご紹介しましたように、中線は平成30年に撤去されておりまして、その面影は枕木がその名残を残しております。この中線も、元々は貨物列車の発着線でもありましたし、平成26~27年にはななつ星 in 九州の運転停車としても停車、そしてMR線からの「マヤ検」・「キヤ検」もこの中線に停車しまして、それから佐世保線早岐駅へ向けて折り返す姿も見られておりました。
 

 そして、これからご紹介します画像1の行先にもあります佐賀県伊万里市の伊万里駅に関しましては、かつては国鉄・JR筑肥線と共用していた駅舎でありましたが、昭和63年のMR転換後に駅舎も分離されまして、さらにその後つながっていた線路も互いに寸断されております。今回ここからは2つにわかれました伊万里駅の姿を皆様にご紹介してまいります。 
 

 伊万里市の玄関口でもあります伊万里駅は、先述のように現在駅舎が2つ存在しておりまして、JR筑肥線の西側の末端駅でありますJR伊万里駅と、松浦鉄道(MR)西九州線の有田・松浦・佐世保方面のスイッチバック駅でありますMR伊万里駅の2つが存在しておりまして、その駅舎は以下画像にありますJRの駅と・・・

 
 その反対側にありますMRの駅と分かれているのが特徴でありまして、それぞれが経営自体も違っておりますし、道を挟んだ所にそれぞれの駅舎が存在しているのが特徴であります。
 
 そんなかつてこの伊万里駅は、現在の両駅の間にあります後述の画像の現在は道路・連絡橋となっている部分に伊万里駅の旧駅舎が存在しておりまして、そこにはMRの前身であります旧国鉄・JR松浦線とJR筑肥線との共用駅として存在しておりましたが、JR化後翌年の昭和63年に松浦線が廃止、第3セクターの松浦鉄道に転換される事になります。
 
 それ以来、伊万里駅でのJR筑肥線~MRとの直通列車は、団体・臨時・検測列車以外は乗り入れる事もなくなりまして、現在の有田駅みたいな形となっておりましたが、その後伊万里駅周辺の再開発事業によりまして、旧伊万里駅駅舎付近から国道202号線にかけての道路を整備する事になりまして、その結果平成14年にJRとMRとは線路を分離されてしまいまして現在に至っております。
 

 そのつながっていた証は、現在もMR側のホームで明らかにする事ができておりまして、実際に古いホームが寸断されていた事を伺える姿も見られております。実際後述のように、1番ホーム側のつくりの古さがそのかつての姿を物語っている事がお分かりいただけます。
 

 実際に当ブログでおなじみとなっております、昭和60年の筑肥・松浦線時刻表を見てみましても、筑肥線からの直通列車もかつて運行されておりました長崎駅まで運行の急行平戸をはじめ、普通列車も唐津駅から佐世保・松浦・有田方面と直通で運行されていた事から、時刻を見ましてもその直通の姿がわかるのではないかとも思います。
 
 (少々見にくい事はご了承ください)
 
 尚、かつて存在しておりましたMRの第一世代でもありますMR-100形・MR-200形・MR-300形各気動車には、唐 津の行先も入っていた事がありました。それほど筑肥線との直通を見越した所があったのではないかと思われますが、その後車両自体見られなくなってしまったのは残念な所でもありましたでしょうか。
 

 さて、現在の伊万里駅のホームをご紹介してまいりますと、MR側のホームは、画像のように2面3線のホームのつくりとなっております。先述のように、かつては筑肥線からの直通列車も運行されていた事もありまして、元々はホーム自体も長かったのではないかとは思われますし、ホームの古さも伺わせておりますが、現在も画像のように2面3線で松浦・佐世保・有田方面へ運行されております。
 
 (1番ホーム)~松浦・たびら平戸口・佐世保方面
 
 (2番ホーム)~松浦・たびら平戸口・佐世保方面
 
 (3番ホーム)~有田方面
 
 (MR車内にてホーム全体)~左から1~3番ホーム
 

 一方、JR側のホームは画像のように1面1線のみのホームとなっておりますし、線路自体もその下の画像のように行き止まりのホームとなっております。旧松浦線がMR転換後、筑肥線に充てられておりましたのが1番ホームだけでありましたので、考えてみましても見ていて寂しい感が伺えます。やはりこの姿を見ましても、電化されております東線唐津~姪浜間)と比べましても、現在は非電化で8往復しか運行されておらず、加えましてキハ47形気動車あるいはキハ125形気動車によって運行されるに至っておりますので、同じ筑肥線と言う印象は見にくい所ではないでしょうか。
 
 (キハ47形気動車)
 
 (キハ125形気動車)
 
 (この先で線路は寸断)
 

 現在、JRとMRとの乗り換え亘り線は、画像のように歩道橋として存在しております。しかし、乗り換えにわざわざ階段・エレベーターを使用しないといけない事から、あまり使用される方はおらず、ほとんどが近くの横断歩道を横断される方がいらっしゃっているのが現状のようであります。尚、以前は横切られる方もいらっしゃったようですが、現在は柵が設置している事から、安全面は改善されているようです。
 
 ちなみに、かつての駅舎もこの歩道橋がある位置に存在しておりました。しかし、画像からもわかりますように道路が設けられておりますし、線路自体も寸断されておりますのでその面影も全く見られないのも残念な所ではないかとも思う所でもあります。
 
 尚、伊万里駅両側には雑貨店や案内所など様々なテナントがあります。画像の「伊万里百貨店」は、雑貨やカフェも設けられているそうでありまして、伊万里駅JR側にとりましては明るい話題となっております。残念ながら、この時は営業しておりませんでしたが、私自身もいつかは出向いてみようと思いますし、ご覧の皆様も行く機会がある方は行かれてみては?とも思います。
 

 今回は、「2つの駅」となりました伊万里駅に関しましてご紹介しましたが、本当にJRとMRの線路が分離されました姿は、分離される以前を知る者からしても正直残念な話ではありました。しかし、考えてみましても会社も違う事や、MRとJRの直通運転も第3セクター転換後は冒頭でもご紹介しましたように定期列車では見られていたものの後に廃止されましたし、そして伊万里駅周辺の再開発の道路整備を考えてみましてもこの分離と言うのは仕方ない事ではないかとも思う所でもあります。とにかく、上の画像のかつての時刻表が物語っておりますが、かつてそう言った形であった事を存じていただければとは思います。