番外 一般公開に向けて移設をした姿が見られています、世界遺産「万田坑」に移動した「炭鉱電車」2両 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでは、NO.2804におきまして、令和2年に廃止されました三井化学専用線の中心駅でありました旧宮浦駅の現状に関しましてご紹介しておりました。

 

 三井化学専用線は、福岡県大牟田市に存在していたものでありまして、JRとの授受を行っておりました旧仮屋川操車場から、旧旭町駅を経まして旧宮浦駅までの間約2キロを結んでいた専用線でありまして、元々は三池浜~宮浦~原万田~四ツ山~三池港間を結ぶ三池鉄道の一部でもありました。

 

 この専用線内では、昭和10年代製の18号機・19号機の2両の電気機関車が、旧宮浦駅では、三井化学工場内用に3両の電気機関車が使用されておりまして、駅内入換用ではいずれも大正時代製の車両でもあります、いずれも製造から100年を超えました9号機・11号機・12号機の各電気機関車が非電化の構内に乗り入れる事から、蓄電池の電源車を連結しながら運行されておりました。

 

 そんな構内は、全ての線路は撤去されておりませんが、南北はつながっていないようでもありまして、画像1・2が北側、以下画像は南側になりますが、廃止後も運行されておりました管理運転も終了している事から、今後使用されておりました車両は保存へと至る事にもなります。

 

 その使用されておりました車両も、現在はこれからご紹介しますように、2両がこれからご紹介します場所にこのほど移設されましたが、それ以外の3両は機関庫内に保管されております。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、移動しましたその2両が保存されている所へ行きまして収めておりました。今回は移動しました2両の画像などを皆様にご紹介してまいります。

 

 

 今回2両が移設されましたのは、「三池炭鉱」のうち「万田坑」と呼ばれる場所であります。この「万田坑」は、「三池炭鉱」の中心的存在の場所でありまして、日本最大規模の2つの竪坑を持っておりまして、19世紀の終わりから20世紀初めの間に設けられましたが、昭和26年に採炭が終了、その後も維持してはいたものの、平成9年に「万田坑」は閉山となっております。

 

 閉山後、「万田坑」は、日本の近代化を支えた場所の一つとして国の重要文化財に指定されまして、そう言った事から、「九州・山口の近代化産業遺産群」として、他の地域とともにユネスコ世界遺産暫定リストに登録されまして、平成27年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する資産として世界文化遺産に登録されております。

 

 

 今回訪問しましたのは休館日でありましたので、表側からしか見る事ができませんでしたが、以下画像のように竪坑が見る事ができておりますし、その前には古びたレンガの建物も当時を偲ぶ建物の1つとして伺う事ができております。

 

 

 こちらは、熊本県荒尾市と福岡県大牟田市の県境に設けられておりました桜町トンネルであります。全長は130メートルありますこのトンネルは、現在は安全上通行禁止となっているトンネルでありますが、このトンネルは生活の足として重要なトンネルであったそうでありまして、熊本県側には商店街や売店があったそうですし、福岡県側にも芝居小屋もあったそうですので、それほどこのトンネルが重要なトンネルであった事が伺わせております。

 

 

 また、現在も「万田坑」の上には三池発電所からの送電線が通っております。この送電線の一部は当ブログでもご紹介しましたように旧三池鉄道の上にも通っておりまして、現在も線路跡の上に送電線が通っている姿を見る事ができております。それほど石炭や電気を運ぶ姿が上下見られていた事を伺う事もできる所でもあります。

 

 そんな「万田坑」の上を走る送電線も、1935年(昭和10年)11月に設けられたものでもありまして、今年でもう米寿(88歳)になろうともしております。本当に「三池炭鉱」やその鉄道自体も100年以上の歴史を誇りますが、この送電線も炭鉱最盛期から現在まで見守っている事も伺えるのではないかと思います。

 

 (「1935.11」と記されています)

 

 

 肝心の「炭鉱電車」の姿が見えませんでしたので、ちょうど「万田坑」で作業をされていた方に聞きますと、裏側の方に置かれているという事で回りました。先述のように、「桜町トンネル」があればさっと行く事ができておりますが、ぐるっと回りまして画像の「万田坑」の裏側へとやってまいりました。

 

 

 そして、このほど移設されました18号機電気機関車と12号機電気機関車+電源車の2両であります。この時点では移設して数日しか経っておりませんでしたので画像のような姿が見る事ができておりましたが、長らく見られた場所を離れている姿は見ていて寂しくも感じる所でもありましょうか。

 

 (別の位置)

 

 

 では、今回移設されました2両をご紹介します。まずは18号機電気機関車であります。

 

 この電気機関車は、昭和12年に芝浦製作所(現・東芝)で製造されたものでありまして、相方の19号機電気機関車と同様、45トン級の電気機関車であります。この電気機関車は、動力が吊り掛け式となっていた事もありまして、音も独特の吊り掛け音を発していたものでありました。

 

 この18号機は、令和2年の運行終了時まで稼働しておりまして、画像のように旭町支線ではJR車との並走も見られた事もありました。運行終了後は、同年8月の大雨で水没した事によりまして自走はできなくなってしまいましたが、それでもきれいな姿を見せた状態で万田坑へと移動しております。

 

 

 一方、もう1両が12号機電気機関車であります。この車は106年前の大正6年に相方の11号機電気機関車とともに三菱造船で製造されたものでありまして、デー1形電源車とともに工場構内を運行する機関車として運行されておりました。この運行の際には、工場内が非電化である事からパンタグラフを降ろしまして蓄電池が搭載されておりますデー1形電源車とともに運行されておりまして、まさに工場内の主役としての姿が見られておりました。

 

 尚、この12号機電気機関車に関しましては今回の保存で自走する事になっているそうでありまして、今後この構内で50メートルほど整備される事になっております。やはり、再び稼働する事で100歳を超えた老雄の活躍ぶりが見られる事を楽しみにしたい所ではあります。

 

 

 そして、この「万田坑」では倒された遮断機の姿が見られておりました。この遮断機は、前回ご紹介しましたように恐らくは遮断機が撤去されました東泉町2号踏切から持ってきたのではないかと思われますが、この遮断機も今後保存する際に必要になるものである事もわかるのではないでしょうか。

 

 この踏切の特徴と言いますと、吊り鐘式の踏切であるのが特徴でありまして、画像の黒い部分より「鐘の音」が鳴るようになっておりました。この踏切では、管理運転時には警報機もなる姿も見られておりましたが、今後再び鳴る姿が見られる事を期待したいものでもあります。

 

 

 今回は、「炭鉱電車」2両が移設されました「万田坑」の姿をご紹介しましたが、これまでも「万田坑」の事は聞いておりましたので、今回出向いてみましても広い場所であった事が伺わせております。そんなこの地に今回「炭鉱電車」が移設されましたので、今後行われる事になります一般公開が正直待ち遠しい所ではあります。しかも、電気機関車1両に関しましては動態保存になるとの事ですのでより楽しみな所ではないかとも思いますが、これからもこれら2両が「世界遺産」の重要なものの一つにもなる訳でしょうから、これからも大切に保存していただきたいと願う所ではあります。