番外 平成5年から26年間に渡って活躍していた車でした、宮崎交通、元夜行用三菱エアロクィーン紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 宮崎交通では、これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、令和2年まで宮崎~延岡~福岡間の夜行便が西鉄バスと共同で運行されておりまして、数少ない九州内の夜行高速路線バスとしての姿を見せておりました。
 
 宮崎交通の専用車には画像の日野セレガ(宮崎200か・458、2TG-RU1ASDA)が使用されておりまして、夜行用と言う事もありまして仮眠室も設置されております。
 
 またこの車が、それ以前に運行されておりました都城経由の「フェニックス号」夜行便専用車でもありまして、画像2の三菱エアロバス(宮崎200か・223、PJ-MS86JP)以来11年ぶりに導入された車でもありますが、いずれの車とも、床下の黒い部分からも仮眠室が設置されている事がお分かりいただけるのではないかと思います。
 
 しかし、宮崎~延岡~福岡間の夜行便は、令和2年4月からの「新型コロナウイルス」によります運休期間から再開する事もなく令和2年の6月に廃止となっておりまして、この同時期には福岡~鹿児島線「桜島号」の夜行便も廃止された事から、九州内の夜行高速路線バスは全て姿を消すに至っております。
 
 
 さて、上でも少々述べました「フェニックス号」夜行便は、平成3年から25年まで一旦休止期間を経まして運行されておりましたが、その「フェニックス号」夜行便の中心車両として長らく存在しておりました車が今回ご紹介します三菱エアロクィーン(宮崎22か10-15・U-MS821P)でありました。今回は、他路線に転用されながらも20年以上存在しておりましたこの車に関しまして皆様にご紹介してまいります。
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 この車は平成5年式でありまして、後述のようにU-規制のMS8形式エアロクィーンの中では唯一の存在でもありました。また座席は夜行用と言う事もありまして、独立3列シートであるのが特徴でもあります。また、本来は夜行便ではテレビ・ビデオの使用はありませんが、昼行便でも想定して使用される事もありまして、そういった装備はなされておりました。

 

 

 この車の当初の運行路線は福岡~宮崎間ではあるものの、その運行区間も、従来の区間とは異なる経路

 

 宮崎行き 福岡空港→博多駅→天神→西鉄久留米→都城(デパート前)→宮交シティ
 
福岡行き 宮交シティ→都城(デパート前)→西鉄久留米→福岡空港→博多駅→天神

 

で運行されておりまして、夜行便ならではな姿が見られておりました。

 

 

 (平成19年乗車時撮影)
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 平成16年には、夜行便は北九州発着にて運行されるようになりましたので、この車も北九州までその姿が見られるようになっておりました。尚、上の画像が私が乗車しました北九州発着時での画像でありましたが、サボの表記では「宮崎~福岡」のままであった事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 

 その北九州発着便も、残念ながら当時運行されておりましたJR特急「ドリームにちりん」の存在等もありまして、平成20年で運行を終了、再び福岡発着に戻っておりましたし、久留米市内が久留米インターに改められました。しかし、翌平成21年には夜行便は一旦休止、その休止期間中は以下画像のように熊本線「なんぷう号」や「フェニックス号」の続行便で使用されるようになりまして、ここに来て昼行としての姿が見られるようになっておりました。
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 けれども、平成23年に「ドリームにちりん」の廃止で「フェニックス号」の夜行便の運行が再開、この車も再び使用されるようになりましたが、それでも主に使用されましたのが上の画像にもあります宮崎200か・223でありまして、そう言った事からこの車は予備車として車庫で休む機会が増えておりましたが、それでも画像のように更新も受けていた事もありまして、昼行・夜行で使用される姿は見られておりました。
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 しかし、運行再開しました都城経由「フェニックス号」夜行便も25年3月末で運行終了、再び夜行としての任務はなくなってしまいましたが、昼行の続行としての使用は続いておりました。画像は、その平成25年に撮影しておりました10-15でありますが、この時点で既に20年経過していたにも関わらず博多バスターミナルにおいて健在な姿を見る事ができておりました。
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 その後も、度々健在な姿をこの車は見られておりましたが、平成26年に源藤町から富吉に移りましてからは休車となっていた時もあったようでありまして、平成27年訪問時には普段の宮崎交通の車両で見られるようなきれいな姿はなく、車体は少々色あせておりましたり汚れが見られていたなど、残念な姿も見られておりました。
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 けれども、この車はこの年から運行を開始しております宮崎~高千穂線の高速路線バスに使用されておりまして、専用車としての姿が見られておりまして、20年以上経過した車でもありますが、活躍の機会を得ているだけでも良かったのではないかとも思う所でもありました。
 
 (平成30年撮影)
 
 
 そして、平成31年訪問時の同車であります。ここでは、貸切車に混じりながら駐車する姿が見られておりましたが、その後この車はついに廃車となっているようでありまして、四半世紀越えの26年にも及ぶ車生に幕を閉じているようであります。本当に、ここまで長く在籍するとは思わなかった所でもありましたが、やはり古い車も多く、かつ大事にされている宮崎交通ならではな姿がこの車でも見られていたのではないかとも思っております。

 

 

 尚、この車は先述のようにU-規制では唯一のMS8形式の三菱エアロクィーンであります。その後導入されました高速用にKC-・KL-規制とエアロクィーンが導入されておりましたが、これら車には仮眠室が設置されておりませんし、シートも偏心3列シートでありましたので、考えてみましても10-15自体が貴重な車であった事がわかるのではないかと思います。

 

 (宮崎200か・・64、KL-MS86MP)~現廃車

 

 

 ご紹介しましたように、私自身もこの車には宮崎訪問時に夜行便で乗車歴もあったこの車でもありましたが、この車には当時サービスな姿も見られておりまして(平成20年頃までの時点)、マルチステレオや缶ジュースなどのサービスもあったほどでした。それからしますと現在の方がサービスが簡略化されている事も伺えておりますから、思い出があるほどこの車には愛着があった訳でもありましたので、この車の存在は大きかったのではないかと思います。ご覧の皆様の中にも、この車の乗車歴があった方もいらっしゃるようでありますが、夜行としても昼行としても貢献は大きかった事に間違いないでしょうか。
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