番外 訂正・補足事項あります、国土地理院の空中写真より、唐津線岸獄支線(「岸獄線」)の廃線跡区間 | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 前回まで、廃止から50年になります佐賀県唐津地区を運行されておりました、「岸嶽線」こと唐津線岸嶽支線の廃線跡探訪に関しまして前編後編に分けまして皆様にご紹介しておりました。

 

 「岸嶽線」は、唐津線・筑肥線の山本駅から旧岸嶽駅までの4.1キロに存在していた路線でありまして、国有化後の明治45年1月に開業したものでありましたが、最目的でもありました沿線の炭鉱が閉山へと至っておりまして、そう言った事から貨物とともに旅客需要が大きく減少した事に伴いまして、昭和46年に廃止されておりました。

 

 この「岸嶽線」には、唐津線・筑肥線の分岐駅であります画像1の山本駅、および岸嶽駅に加えまして、画像2及び以下画像のように途中駅に牟田部駅が存在しておりましたが、もちろん駅舎というものは見られません。それでも、かつて駅があった事を表します「鉄道用地」と書かれた石碑が複数見られておりましたり、縁石がある所にホーム跡である事を伺わせるものさえも見られておりまして、わずかながらかつての駅としての面影を残しております。

 

 (「鉄道用地」石碑)

 

 (かつてのホーム跡を改良した縁石と歩道化した線路跡)

 

 

 さて、実はここまでご紹介しました中で、この2回でご紹介できなかった補足事項、そして訂正事項が実はありました。それが今回この記事を書く前に国土地理院の空中写真を見まして判明した事でありましたが、今回はこれらに関しまして皆様にご紹介してまいります。

 

 

 今回参考にさせていただいておりますのが、国土地理院HPの「地図・空中閲覧サービス」と呼ばれるものから、「岸嶽線」廃止から4年後の昭和50年に撮影されたものを参考にさせていただいております。この頃には、まだ廃止から4年しか経過していなかった事もありまして、路盤もまだ残されておりまして、かつてここに鉄道が存在していた事を偲ばせておりました。正直、早くにわかっていればよかったのですが、それが今回の前編・後編を紹介した後にわかった訳でもありましたので、正直よく調べていれば良かったと思っております・・・。

 

 

 では、ここからご紹介してまいりますが、まずは旧岸嶽駅から矢代町(やじろまち)交差点までの区間の空中写真でありますが、その下の現在の画像(Google earthより参考)と比べてみましても、この頃はまだ路盤が見られておりまして、県道52号線の整備がまだなされていなかった事がわかります。この姿からも、かつて現在の旧道が主要道路でもあった事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (現在) 

 

 現在の県道52号線です。以下画像の部分が旧岸嶽駅から山本方面へ進んだ画像でありますが、この部分がかつて側線が、そしてその先にも線路が続いていた事が上の画像と比べてみてもお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 一方、こちらの道路が徳須恵交差点から矢代町交差点へと続く道路です。県道52号線の整備がなされていなかった頃はこの道路が主要道路でもあった訳ですが、その面影として現在も昭和自動車(昭和バス)の路線バスが運行されておりますので、かつての主要道路であった事を偲ばせる姿ではないかとも思います。

 

 (奥が徳須恵交差点へ)

 

 (奥が矢代町交差点へ)

 

 

 こちらの画像が、矢代町交差点(以下画像左下)より山本方面(以下画像右上)の空中写真をご紹介しておりますが、よく見ますと路盤が見られております「岸嶽線」跡と並行して既に道路が存在していた事がわかります。ただ、その下の画像の現在とは道路幅は狭かったようでありまして、廃止後しばらくして道路幅を広げるに至っていたようであります。

 

 (現在)

 

 この区間に関しましては、「前編」でご紹介しておりましたが、この時ご紹介しておりましたのが、以下画像奥から右寄りに線路が存在していたというものでした。しかし、実際は上の画像にもわかりますように、歩道となっている部分に線路が存在しておりまして、以下画像の場合でしたら画像左端の「立ちんぼ警官」の部分に線路が存在していたようであります。

 

 したがって、画像ののり面は以前から存在しておりましたが、実際は道路ののり面でありまして、「岸嶽線」向けののり面ではありませんでした。それにしても、つくりからみてもそういった感じにも見えておりましたし、実際はそうではなかった訳でもありましたが、道路が存在していた事で時を感じさせる部分ではなかったかと思っております。

 

 (のり面)~「1942」と書かれたプレートがあった部分

 

 この後も、左側の部分が「岸嶽線」の廃線跡区間となります。現在この部分は歩道・道路の一部となっておりまして、名残もこの付近に関しましては見られにくい事も伺わせております。

 

 

 こちらの画像は、旧牟田部駅にあたる空中写真であります。上の画像にありますように、現在この駅跡は木々が生い茂っておりますが、この頃はそういった姿が見られていなかった事がわかります。また、現在の昭和バス坊中バス停がある所にホームがあったようでもありまして、以下画像の空中写真を見ましてもそういった所が伺える所でもあります。

 

 (現在)

 

 

 そして、こちらは現在の山本こ線橋交差点付近の画像でありますが、「岸嶽線」は以下画像の空中写真にありますようにカーブになりましてこの後唐津線・筑肥線に合流する形となっていた事がわかります。また、その下の画像にあります現在の「Google earth」画像と比べてみましても、それぞれ画像下の鹿の口方面へつながる国道203号線(空中写真では後述の旧道部分)から離れまして、「岸嶽線」の廃線跡を活用しまして道路がつくられていた事もお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (現在)

 

 こちらが、山本こ線橋交差点の画像でありますが、上の空中写真と比べてみますと、「岸嶽線」は信号機の外側の部分を通りまして、山本駅へと向かっていたようであります。本当に、この付近に関しましてが詳しくわからない部分でもありましたので、今回この空中写真を見つけまして明らかになる事ができた事が良かったかなと思う所でしょうか。

 

 

 こちらは、旧国道203号線の部分であります。前回もご紹介しましたように、現在は先の所が通行止めとなっておりますが、上の画像の空中写真を見ましても、現在の国道203号線の部分はありませんでしたので、この道路が旧国道203号線である事もわかります。尚、山本駅へはその先で合流する形となっておりまして、「岸獄線」・唐津線・筑肥線を横切る形ともなっておりました。

 

 (この先通行止め)

 

 

 今回は、前編・後編とご紹介しました「岸嶽線」廃線跡探訪の補足・訂正事項を空中写真を使った画像からご紹介しましたが、先述のように今回の廃線跡探訪の話題をご紹介する以前から早くに空中写真を参考にしていればよかったなとも悔やむ所ではあります。特に、前編の矢代町交差点から旧牟田部駅寄りの部分に関しましては、私自身の思っていた所と違っていた訳でもありましたので、ご覧の皆様にとりましても申し訳なかったと思っております。尚、今回明らかになりました部分に関しましては訂正・補足しましてご紹介しておりますので、再び前編後編もご覧いただきたいと思います。