NO.2408 ついに廃止と報道されました、過去の画像などからご紹介、特急「有明」の現在までの姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 12月15日付けの地方紙でも報じられておりましたが、JR九州と西日本鉄道(西鉄)では、令和3年3月に予定しておりますダイヤ改定の概要が明らかになりました。

 

 このうちJR九州では、九州新幹線のうち博多駅発着で運行されております「さくら」が2本・「つばめ」が13本を減便、在来線に関しましては博多~大分間の「ソニック」のうち6往復、博多~長崎間の「かもめ」のうち3本、鹿児島中央~指宿間の「指宿の玉手箱」が全列車それぞれ臨時列車化される事が決まっております。

 

 さらに、博多~門司港間の特急「きらめき」の一部、博多~直方間の「かいおう」1往復が減便されますし、篠栗線・鹿児島線の普通列車も終電時刻を繰り上げられる事になっておりまして、これらはいずれも「新型コロナウイルス」によります需要減によります措置として改正を行う事にもなっております。

 

 

 そして、この改正では現在平日のみ大牟田→博多間1本で運行されております、上の画像の「有明」が廃止される事が決まっておりまして、準急時代から約70年に及びます長い「有明」の歴史についに終止符を打たれる事が明らかになっております。私も「Twitter」でも述べておりましたが、この廃止の報道に朝でもありましたので眠たい目がパッと覚める事となりまして、正直嘘だろ?と思ったほどでした。やはり、現在の本数を思えば消えるのも時間の問題かなとも思ってはいただけに正直この時が来たかと思ってならない所ではあります。

 

 

 さて、今回ここからご紹介しますのは、その「有明」に関しまして、過去の画像などを使用しまして皆様にご紹介してまいります。

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 現在鹿児島線を運行されております特急「有明」は、画像の787系電車7両編成で運行されておりますが、この運行も、大牟田駅6時43分発→博多駅7時37分着となっている事からもわかりますように、運行されております時間帯も通勤時間帯にもなりますので、通勤客の方を中心にこの列車を利用する姿が見られております。

 

 かつて九州新幹線が開業する前は、後述のように多くの本数が存在しておりましたり、九州新幹線の新八代~鹿児島中央間開業後も小倉駅や豊肥線までも乗り入れておりました「有明」でありましたが、平成23年の九州新幹線博多~新八代間開業に伴いまして「有明」の本数が大幅削減しておりまして、さらに平成26年には熊本駅までの運行も終了、そして平成30年3月改正でついに大牟田駅発平日1本に削減されまして現在に至っております。

 

 (大牟田駅時刻表より)

 

 

 そんなこの「有明」は、昭和26年に準急列車として愛称が誕生しておりまして、特急列車としては53年前の昭和42年に誕生しておりまして、門司港~博多~熊本~西鹿児島(現・鹿児島中央)間1往復で運行されておりまして、当初運行されておりました車両はキハ80系気動車による運行であったそうであります。

 

 昭和45年には、鹿児島線全線電化に伴いまして、寝台特急(「月光」・「なは」)と兼用として運行されておりました画像の583系電車での運行に改まっておりまして、博多駅発着の1往復を含めまして2往復の運行となっておりまして、昭和47年には3往復の運行となっておりました。

 

 (クハネ581-8(近郊型改造後はクハ715-1として運行されておりました))~九州鉄道記念館に保存、その下の画像は昼行時の姿

 

 

 そして、山陽新幹線が全線開通します昭和50年のダイヤ改正では、本州~九州間の特急で運行されておりました485系電車が転用されるに至っておりまして、これによりまして「L特急」化とともに10往復で運行されるようになりますし、昭和55年には鹿児島線で運行されておりました昼行急行列車が「有明」化されておりまして、博多~熊本間の運行分も含めまして18往復で運行されておりましたが、昭和57年の改正では17往復に減便されておりまして、この時は7号・30号で583系電車で運行されるに至っておりました。

 

 【昭和57年改正時刻】

 (下り、印が7号)

 

 (上り、印が30号)

 

 この当時は、以下画像にもありますように、485系電車もボンネットの車両も運行されていた頃でもありましたので、1つの形式でも複数のバリエーションがあったようであります。それにしても、この時刻からもわかりますように、まだ寝台特急電車で「なは」が運行されておりましたし、東京駅からの「はやぶさ」も日中着、さらにローカル列車も客車列車が運行されていた頃でしたので、懐かしい所でもあります。

 

 (クハ481-603)~「にちりん」とありますが「有明」にも運行されていました、九州鉄道記念館に保存

 

 

 その後は、昭和59年のダイヤ改正で583系電車が撤退になりまして、さらに15往復に減便されますし、昭和60年には画像のように一部5両化されまして画像のクモハ485形とクロ480形が誕生する事になります。

 

 (クモハ485-5)~平成25年撮影、臨時「にちりん」時

 

 

 さらに、国鉄末期の昭和61年には博多~熊本間を中心に25往復に増発されまして、博多~熊本系統に関しましては3両と短編成化されまして、これによりまして先頭車改造されましたクモハ485形100番台が誕生しました。この3両化は今後の九州内の特急列車でも見られるようになる訳でありますが、当時学生でした私自身もこの3両化には驚きであった事も覚えております。

 

 (Do2編成)~平成23年撮影、「にちりん」時

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 (クモハ485-102)

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 そして、昭和62年にはJR九州が発足、その直前の改正で豊肥線の水前寺駅までの乗り入れが開始されまして(熊本~水前寺間普通列車)、上の画像の485系電車3両編成を中心に運行される事になります。その翌年の昭和63年改正には、「ハイパーサルーン」と呼ばれます783系電車が導入されております。尚、以下画像は平成元年の改正の時刻でありますが、この時は17往復で運行されておりまして、当初3両編成でありました熊本系統も、この改正から4両編成に増強されておりました。


 
 この時刻からもわかりますように、当時は豊肥線が電化されておりませんでしたので、DE10形ディーゼル機関車+ヨ8000形車掌車(電源車扱い)+783系&485系各電車の組み合わせで運行されておりました。そのため、水前寺方先頭はDE10形ディーゼル機関車ですが、熊本(博多)方先頭は特急型電車でしたので、水前寺→熊本間は推進運転を行っておりました。ちなみに、牽引機はDE10 1755号機が485系電車を牽引するために「国鉄特急塗装」に、DE10 1756号機に関しましては、783系電車を牽引するためシルバーの塗装に塗り替えられて運行されておりました。

 

 (かつて「国鉄特急塗装」でしたDE10 1755号機)

 

 (同、783系電車に合わせてシルバー塗装でもありました、DE10 1756号機)

 

 さらに、「スーパー有明」と書いてあるのがわかりますが、これは当時「有明」の速達列車を表していたものでありまして、停車地も博多・鳥栖・久留米・大牟田・熊本・八代・水俣・出水・川内・西鹿児島でありました。また、所要時間も4時間5分となっておりましたので、九州新幹線の速達列車(「みずほ」)が最速1時間19分となっている事を思えば、当時の約3分の1で福岡~鹿児島間は行けるようにもなっていた事がわかります。尚、この呼称は平成2年に「ハイパー有明」と783系電車が呼ばれる事になった事で姿を消しております。

 

 

 平成3年には、「有明」の本数がこれまで最高の32往復にまで増発しますが、翌平成4年には787系電車が運行を開始、それによりまして西鹿児島系統が「つばめ」となった事で、博多~熊本・水前寺・水俣間18往復が「有明」として運行されるに至っておりました。

 

 

 平成6年には、「有明」は全列車画像の783系電車に統一されまして、485系電車は他路線に転用されました。783系電車も、当初は白地に赤ラインが入った姿でしたが、後に787系電車に合わせるためにリニューアル改造されておりまして、画像のようなシルバーの車体に改まっておりまして、現在も一部編成におきましてその姿を見る事ができております。

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 【撮影時、「有明」博多行きの行先】

 (LED式)
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 (幕式)~新タイプに変わった頃です
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 平成11年には、両先頭車が新製あるいは先頭車化改造、中間車は短編成化に伴いましてねん出されました787系電車4両編成が誕生しまして、「有明」に投入されました。また、この年には平成6年から中止されておりました豊肥線乗り入れが、熊本~肥後大津間が電化された事に伴いまして再開されておりました。

 

 (平成20年撮影)

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 (8両編成時、併結時であった事から5号車と表示)

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 (783系電車で1年間見られました肥後大津行き行先)

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 「有明」用787系電車では、「つばめ」用が「TSUBAME」と表記されておりましたが、それに対しまして「有明」用も「ARIAKE」と表示されておりましたし、先頭・側面には赤で「ありあけ」とも記されておりまして差別化が図られていたのが特徴でもありました。                                        

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 また、車内でも「ARIAKE」のロゴが見られておりまして、実際にデッキ部分で見る事ができておりますし、

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 座席やテーブルの部分におきましても「ARIAKE」のロゴが見る事ができておりまして、そう言った所でも「ARIAKE」専用車としての姿が見られておりました。尚、「にちりん」や「きりしま」など日豊線系統に進出しました現在も車内では「ARIAKE」の姿を見る事ができておりまして、細かい部分で名残が残されております。
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 (テーブル部分)

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 平成12年には、787系電車に全27往復が統一されておりまして、翌平成13年には小倉駅発着の「有明」も誕生します。けれども、平成16年には九州新幹線が新八代~鹿児島中央間で開業した事に伴いまして、門司港・博多~新八代間に「リレーつばめ」が運行を開始した事で「有明」も下り16本・上り15本に減便されました。そんな中でも「リレーつばめ」の専用車にはなりませんでした6両編成の「有明」も見られておりまして、画像の現在は「36ぷらす3」となっておりますBM15(→BM363)編成もその専用車でもありました。

 

 (平成24年撮影、既に車体の「ARIAKE」の表示は見られなくなっていました)

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 さらに、平成19年には15往復に減便されますが、この改正では当時の「有明6号」で普通列車扱いとなっておりまして、電化以前以来の姿が見られておりました。また、この編成は熊本駅で7両増結しまして、11両編成で運行されておりまして、翌平成20年の改正では吉塚駅まで延長運転が行われておりました。

 

 (光の森→熊本間が普通列車扱いでしたので、行先も用意されておりました)

 

 (11両編成の「有明6号」)~平成23年撮影

 

 (吉塚行き行先)

 

 

 そして、平成23年九州新幹線が博多~鹿児島中央間が全線開業しました平成23年3月改正で大幅減便となっておりまして、これによりまして本数も、下り4本・上り3本に減便されておりましたが、下り3本・上り2本が長洲駅発着に改められた以外は1往復のみ熊本駅発着が残されておりました。

 

 そんなこの熊本駅発着の「有明」は、平成23年の九州新幹線全線開通後も、博多発深夜(7号・博多0時15分発→熊本1時48分着)、熊本発早朝(1号・熊本4時43分発→博多6時10分着)に運行されておりました列車でありまして、いわゆる新幹線の補完する列車として運行されておりましたし、ダイヤ上も当時運行されておりました「ドリームつばめ」のダイヤもありましたが、新幹線開通によりまして「有明」自体が大幅減便となりながらもその1往復だけ残されておりまして、11年ぶりに画像の783系電車も「有明」に復活しておりました。

 

 【いずれも平成26年撮影】

 (有明7号)~CM31編成
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 (有明2号)~同

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 また、長洲駅発の6号に関しましても、長洲駅→博多駅・吉塚駅間を8両編成で運行されておりましたが、この編成は、画像のように「みどり」・「ハウステンボス」の編成で運行されておりまして、従来の運用であります「みどり」・「ハウステンボス」の間合いで運行されていた事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (平成23年撮影、「有明6号」)~瀬高駅にて
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 しかし、平成26年のダイヤ改正に伴いまして、上の画像にもありました熊本駅発着の「有明」は廃止されておりまして、それは長洲駅発着に全ての列車が改められておりましたが、平成29年の改正では783系電車の「ハウステンボス」編成が佐賀駅発の「かもめ104号」に改められた事から、長洲→鳥栖間は4両編成、鳥栖→吉塚間は「有明」+「かもめ」と併結しまして8両編成で運行されておりました。

 

 (平成29年撮影、「有明4号」と、「ハウステンボス」編成の「かもめ104号」併結シーン)
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 けれども、平成30年のダイヤ改正より、冒頭ご紹介しました大牟田駅発1本を除く全てが廃止されておりまして、現在のように787系電車による平日1本のみの運行に改まっておりまして現在に至っております。

 

 

 そして、今回の廃止の報道、正直1本しか残っていなかった事もありまして、正直いつかその時が来るのでは?と思っていただけに、ついにタイムリミットがさされてしまったなと思っております。ご紹介しましたように、この「有明」自体も長い歴史がある訳ではありますが、その長い歴史に終止符が打たれてしまう事に関しましても残念に思います。


 

 今回は、過去の画像を使用しまして、「有明」の現在までの経歴をご紹介しましたが、準急時代からは約70年、特急となりましてからは50年以上になる訳でもありますので、それだけ長い歴史ある列車に終止符が打たれる事になる訳でもありますので、先述のように正直残念に思っております。この間には、特急列車に限りましてはキハ80系気動車や583系電車・485系電車・783系電車・787系電車と言った車両が歴史を紡いできていた訳でもありますので、正直長かったなと思ってならない所ではあります。今後、この787系電車で運行されております「有明」の撮影・乗車ができればと思っておりますが、実現しましたらまたご紹介したいと思っております。

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