番外 現在復旧の所をかつて運行、平成22年運行終了直前撮影、キハ58系「あそ1962」in 立野 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、JR豊肥線は去る8月に全線で運行を再開しておりまして、それによりまして熊本県~大分県の間を列車で再び行かれるようになりました。

 

 豊肥線は、平成28年の「熊本地震」によりまして、肥後大津~阿蘇間が土砂流出・崩落箇所が見られた事などによりまして、約4年にわたりまして寸断されておりまして、その結果列車の運行ができませんでした。中でも上の画像にあります熊本県南阿蘇村の立野周辺での被害が最もひどく、並行します国道57号線や国道325号線「阿蘇大橋」が崩落するなどの被害が見られていた事は記憶に新しいのではないかと思います。

 

 そして、スイッチバックで有名な上の画像にあります立野駅より先の区間も被害が見られておりましたが、関係者の尽力もありまして、先述のように今年8月に運行を再開するに至っておりまして、当ブログでもご紹介しておりますように、立野駅より先の区間では復旧工事を行った事を表すきれいになった箇所も見られておりまして、車内からも登って行く姿も再び見られるようになっております。

 

 (スイッチバック引き上げ線)

 

 (スイッチバック上下部分)

 

 (きれいになった区間)

 

 (車内より立野駅付近)

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、この立野駅撮影で最も思い出させる列車としまして、かつて熊本~宮地間で運行されておりました観光列車であります「あそ1962」の、平成22年に撮影を行っておりました立野駅及びスイッチバック区間における撮影しておりました姿を皆様にご紹介してまいります。

 

 (熊本駅にて)

 

 (「ASO1962」レリーフ)

 

 

 この「あそ1962」は、先述のようにJR九州で最後まで在籍していた唯一のキハ58系気動車でありまして、キハ58 139が昭和37年製である事から、「1962」の名が与えられておりました。

 

 元々は、平成17年まで運行されておりましたSL「あそBOY」(現・「SL人吉」)に変わる列車としてこの列車が登場していた訳ですが、平成23年に新たな観光特急でありますキハ183系気動車「あそぼーい!」が登場した事で、前年の平成22年の暮れに廃止されておりまして、廃止後は長らく保留車として熊本車両センターに所属したまま留置されておりましたが、平成30年ついに登録抹消、そして廃車回送が行われまして、翌平成31年の1月に残念ながら解体されてしまっておりました。

 

 

 ここからは、当時撮影していた内容を基に、豊肥線のスイッチバック区間であります、立野駅を登ります「あそ1962」をご紹介してまいります。画像は、「あそ1962」が立野駅に入線している所でありますが、この撮影は廃止末期の平成22年12月に撮影していたものでしたが、この撮影時は多くのファンの姿がこの立野駅にありました。



 こうして立野駅に到着しまして、列車はこの後折り返しまして、立野駅から登った所にあります引き上げ線へと進む事になります。尚、この停車時には乗客は南阿蘇鉄道の立野橋梁を観光するなどの時間も与えられておりました。ちなみに、当時の立野駅はホームの所にも屋根が見られておりまして、画像右側にその姿が伺えている事がわかるのではないかと思います。

 

 

 この停車している間に、私は立野駅を出まして、スイッチバック区間の引き上げ線まで移動しまして「あそ1962」の到着を待っておりました。その到着直後に汽笛が鳴っておりまして、この時立野駅を発車しておりましたが、しばらくしますと、昭和37年製のキハ58 139を先頭にしました列車が登ってまいりました。

 

 こうして見ましても、堂々とした姿は印象的でした。しかし、この列車も廃止が決まっていた事で、このように登る姿も残念でならなかったでしょうか。

 

 

 その後、事前に調べておりました別の撮影場所へと向かいましたが、残念ながら時間もなかった事もありまして、2両全体での姿は撮影できなかった事は残念だった事が悔やまれる所であった事を覚えております。それにしても、この日は廃止末期と言う事で多くの乗客が乗車しておりまして、この列車の関心度が高かったようでしたし、この日が暖かかった事もありまして窓を開けている方がいらっしゃった事も画像からもおわかりいただけるのではないでしょうか。

 

 

 この運行終了後は、終了直後には肥薩線経由で鹿児島方面へ歩んでいたりしていた事がありましたが、それからは熊本車両センター構内で休んでいる姿が長く、以降は車体も痛みが見られておりましたがそれでも車籍を残してもいました。しかし、冒頭でもご紹介しましたように、この2両は平成30年に小倉総合車両センターに廃車回送、翌平成31年1月に2両とも解体へ至ってしまっております。

 

 

 今回は「あそ1962」の立野地区での姿に関しまして皆様にご紹介しましたが、本当に、「あそ1962」なき後、キハ58系気動車自体も残念ながら九州からは見られなくなってしまっておりますが、やはりキハ58系気動車自体が急行用車両では代表格でもありましたので、そう言った代表的な車がいなくなると言うのも正直残念な所でもないかと思います。とにかく、現在はこう言った画像でしかかつて「あそ1962」が運行されていた事を知るしかない訳ではありますが、ご覧の皆様にとりましてもこれで「あそ1962」が存在していたと言う事を存じていただければと思います。