NO.2336 かつて炭鉱が存在した飯塚地区を走っていた鉄道路線、旧国鉄幸袋線廃線跡探訪(後編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

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 福岡県小竹町の小竹駅から、飯塚市の幸袋地区にありました旧幸袋駅を経まして、横田地区にありました旧二瀬駅を結んでおりました幸袋線の廃線跡探訪の話題を前回からご紹介しておりますが、前回NO.2335では旧二瀬駅から南にありました旧日鉄二瀬炭鉱から旧川津信号場まで、そしてその旧川津信号場から延びておりました旧伊岐須(貨物)駅間の貨物支線の話題をご紹介しておりました。
 
 前回もご紹介しましたように、この旧幸袋線は明治42年に全線開通しましたが、その「幸袋線」と呼ばれます小竹~旧二瀬間に加えまして、それ以外にも貨物支線が複数存在しておりまして、これらは炭鉱への路線として結ばれておりました。それほど、当時の炭鉱の賑やかさも伺えるほどでもありましたが、現在はご存知のように全てが閉山しておりまして、それらを伺う事はできなくなっております。

 

 また、旧幸袋線自体も、昭和44年に廃止されましてからは9割ほどが道路化されておりますので、それを伺う事ができますのはその道路の形がそれを物語っておりますので、これでかつては線路であった事を伺うのみとなっております。また、駅舎自体も全てが姿を消しておりますので、これからご紹介して行く中で、ここに駅があったと言われましても正直信じられないと思われる方もいらっしゃるのでは?とも思う所でもあります。
 
 
 現在は、画像1の旧二瀬駅跡もその名残も感じられませんし、旧二瀬駅から南にありました旧日鉄二瀬炭鉱中央鉱があった所も、画像2にもありますように「イオン穂波ショッピングセンター」となっておりますし、そして以下の画像にもありますように旧川津信号場も廃止されておりますので、残念ながらそれぞれが名残を感じさせる事はできません。それでも、先述のように道路の形などからかつての線路があった所が伺える所が見られておりますので、それだけが一番幸袋線があった事を伺わせる部分ではないかとも思います。
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 さて、今回後編は前編と同様、以前撮影しました画像をもとにしまして、小竹駅までの姿を皆様にご紹介してまいります。
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 前回もご紹介しましたように、旧幸袋線の廃線跡の約8割ほどは道路化されておりまして、残り2割ほどが線路・路盤が残されている所が見られております。その部分も、筑豊線と分岐します小竹駅~旧目尾駅間が主でありまして、それ以外の区間は道路化されているのが現状でもあります。


 では、ここから旧川津信号場から北上してまいります。上の画像4・以下の画像のように、かつての線路跡には店舗や住居が見られておりまして、この名残を伺う事はできなくなっております。
 
  (小竹方)
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 (旧二瀬方)
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 こちらの画像は、右側が国道200号線となっている箇所でありまして、その下の画像にもあります、この先の歩道橋もあります許斐神社交差点で合流する事もできますが、旧幸袋線は左側の道路におきまして存在しておりました。こう言った姿を見ましても、正直不自然なようにも感じさせられるのではないかとも思いますが、それが今は左側が穂波方面から小竹方面への道路、右側が国道として遠賀川を沿って同じく小竹方面へ走っている訳でもありますので、旧幸袋線跡の道路は今はバイパス的な存在になっていると言ってもいいかとも思います。
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 (許斐神社交差点・歩道橋)
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 さらに、許斐神社交差点・歩道橋を左へ進みますと、幸袋地区へとやってまいります。この道路がかつての旧幸袋線の部分でもある訳でありますが、この姿からも、かつて線路があった事は伺えておりません。
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 (旧幸袋工業所跡(現在後述の邸宅の駐車場)より小竹方)
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 上の画像から少々小竹方へ進みますと、ちょうど理容店がある所に旧幸袋駅の駅舎が存在しておりました。残念ながら、こちらでも駅舎はありませんのでその名残を知る事はできませんし、かつては上の画像中央にあります青い建物の交番がある付近までホームが存在してもいましたが、それらも歩道と化しておりましてその名残を知る事はできなくなっております。
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 その旧幸袋駅舎も、廃止後も平成初頭まで倉庫として残されていたようでありまして、参考資料によりますと、その旧駅舎も黒い車が止まっている所に横に存在していたようでありまして、駅前広場もかつて存在していた事が伺えていたようでもあります。
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 所で、この旧幸袋駅舎があった所の反対側には、画像奥の病院裏にあたる所に木が生い茂っている所がありますが、ここが炭鉱王と呼ばれました「伊藤伝右衛門(でんえもん)」旧邸の庭にあたる所でありまして、このあとご紹介しますようにかなり邸宅自体が広かった事が伺えております。
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 その「伊藤伝右衛門(でんえもん)」の旧邸に私自身も別の日に訪れておりましたので、ここで皆様にご紹介させていただきますが、この旧邸から旧幸袋駅までは約300メートルほどの距離でありました。そう言った所からも、おそらくは伝右衛門やその妻白蓮らも幸袋線を利用されていたのではないかと思います。

 (旧伝衛門邸正門)
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 伝衛門旧邸の庭であります。本当に旧幸袋線をはじめとしまして、炭鉱や工場などがありましたこの周囲に、このような立派な建物・庭があった訳でもありますので、まさにかつての炭鉱王と呼ばれただけの事が伺えるのではないかと思います。やはり、ご紹介しておりますように旧幸袋線をはじめ炭鉱や関連工場が姿を消しまして、周りの様子も変わってしまっている現在ではありますが、この建物や庭自体はその頃から存在していた訳でもありますので、この建物自体はまさに当時を偲ばせる貴重なものではないかと思います。
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 ここまで、旧幸袋駅とその近くにあります伊藤伝右衛門旧邸をご紹介しましたが、ここからさらに進んでまいります。画像は旧幸袋駅の先にあります交差点でありますが、この交差点の手前よりかつては幸袋~高雄間の貨物支線が延びておりまして、その先端には炭鉱も存在しておりました。しかし、その後この支線は廃止、廃止後この区間も道路化されております。
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 さらに小竹方へ進んでまいりましたが、これから旧目尾(しゃかのお)駅までは直線区間であったと思われる区間であります。そういう所から、当時この区間では速度も出ていたようでもありますし、ローカル感も伺えていた所でもあったようであります。しかし、画像からもわかりますように道路化されておりますし、その道路沿いには色々な建物も見られておりますので、名残はほとんど感じさせられない事もわかるのではないかとも思います。 
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 そして、道路の末端になりますと画像のように生い茂っている所が見られておりますが、ここが旧目尾駅があったとされる所であります。本当に、この姿からも廃止されまして時が経っている事がわかりますが、この駅に関しましては周りが道路化などがなされている中でそのまま放置されている所でもありまして、この姿からも50年以上になろうとしているだけの事が伺えているようでもあります。尚、以前放送のNHKの番組によると線路も残されているそうでもありまして、まさにかつての姿が残っている所ではないかと思います。
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 これから先に関しましては、行きにくい・収めにくい所もありましたので、最も行きやすい・収めやすい所へと向かいまして収める事になりました。


 画像は、小竹町の筑豊線手前新堤踏切で収めたものでありますが、複線の筑豊線の外側にあります線路が幸袋線の線路であった所であります。こちらに関しましては、先述の旧目尾駅とは違いまして、横には稼働している路線(筑豊線)もありますので、状態も比較的悪くはない事が伺えておりました。
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 (この線路が旧幸袋線の線路跡)
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 よく見ましても、線路には錆も見られている訳ではありますが、踏切の周りでは草も生い茂る事もなかった事から、かつての旧幸袋線の列車がこの線路を通っていた事が伺えております。本当に、旅客列車から貨物列車まで、様々な列車がこの線路を走っていた訳ですので、まさに時代を感じさせられる所であります。
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 こうして、幸袋線の起終点にあたります小竹町の小竹駅にやってまいりました。現在、この小竹駅は画像のように橋上駅で1面2線のホームとなっておりまして、筑豊線の別称であります「福北ゆたか線」の快速停車駅としても存在している訳でありますが、かつては駅横の駐車場となっている所に側線を存在してもいた訳ですので、まさに近代化がなされている事もわかるのではないかとも思います。
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 それでも、画像の左側では生い茂っている所も見られておりまして、かつての側線跡を活用されていない事がわかるのではないかと思います。こういう所が、かつての旧幸袋線が存在していた証でもありますし、石炭輸送でこの駅も中心駅であった事もわかります。
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 こうして、2回にわたりましてご紹介しました幸袋線廃線跡探訪の話題を終える事になりますが、ご紹介しましたようにかつての廃線跡も道路化されましたり、駅舎自体もなくなっておりますし、炭鉱跡なども大きく変化が見られている所もあるなど、名残を知る事ができる部分は少なくなっている事がお分かりいただけたのではないかとも思います。それでも、先述のように少なからず名残がある所は見られてはいる訳でもありますので、ご存知でなかった方はこれで存じていただければと思いますし、存じていた方もこれでかつての姿を偲んでいただければとも思っております。

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 【参考】

 「遺構へ行こう~鉄道廃線跡を訪ねて」
 http://otchee.com/railroad/kobukurosen.html

  

 「廃線探索、幸袋線」   http://www.hotetu.net/haisen/Kyushu/141018koubukurosen.html