NO.2312 今年で廃止から37年、筑肥線佐賀県唐津地区廃線跡探訪(前編、旧東唐津~旧鏡間編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 ご覧の皆様の中には、佐賀県唐津市にあります東唐津駅が高架の駅であると言う事はご存知ではないかと思います。

 

 この東唐津駅と言いますと、上の画像にもありますように筑肥線の駅でありまして、先述のように1面2線の高架の駅となっておりますし、かつ快速列車も停車します駅でもあるのがこの東唐津駅の特徴でもあります。

 

 また、駅内も自動券売機が設けられておりますし、時間帯によりましては駅員も配置されております。また、駅員配置時間帯には「みどりの窓口」も設けられておりますので、指定席券などの購入も可能となっております。

 

 尚、これまでは常時駅員が配置されておりましたが、現在は日中時間帯の9時30分から16時30分までの時間帯は無人となっております。やはり、これはJR九州の合理化によるものではないかとは思われますが、駅員が常時いらっしゃらないと言うのは今の実情を考えますと残念ではないかとも思う所ではありましょうか。

 

 

 そんな東唐津駅ではありますが、実は以前からこれまでご紹介しました所ではなく、昭和58年3月までは現在ホテルがあります場所にかつての東唐津駅が設けられておりました。

 

 

 現在、大和ハウス工業系のホテルでもあります、「ホテル&リゾーツ佐賀唐津(旧・唐津ロイヤルホテル)」となっている所が、実はかつての東唐津駅でありました。ここから後述のように虹ノ松原駅、そしてこれからご紹介しますように山本駅まで線路が延びておりまして、それらがかつての筑肥線を形成しておりました。今回と次回は、廃止から37年になります筑肥線佐賀県唐津地区の廃線跡探訪を4月下旬に撮影を行っておりましたので、皆様にご紹介してまいります(「密」に合わない形で撮影)。

 

 

 この旧東唐津駅は、大正14年に旧北九州鉄道によりまして東唐津~新柳町(旧・筑前高宮)間が開通した際に開業したものでありまして、翌大正15年には新柳町~博多(旧駅)間が開業した事によりまして、筑肥線の博多~東唐津間が全線開業するに至っておりました。

 

 昭和4年には、東唐津~山本間が開業しまして、唐津線とつながるに至りまして、そして昭和10年には山本~伊万里間も開業しまして旧松浦線(現・松浦鉄道西九州線)ともつながりまして、筑肥線は全線開通へと至る事にもなりました。

 

 

 しかし、唐津市のターミナル駅でありました旧東唐津駅が市内中心部からも約2キロほど離れていた事もありまして、昭和30年代より計画が始まりまして、昭和50年代より虹ノ松原~西唐津間でも工事が始まっておりました、現在「未成線」であります旧呼子線の一部を筑肥線として整備する事になりまして、その結果冒頭にありましたように昭和58年に虹ノ松原~東唐津~和多田~唐津~西唐津の各駅間が高架開業しまして、唐津市のメインターミナル駅も旧東唐津駅から唐津駅へと移りまして、虹ノ松原~旧東唐津~山本間は廃止されるに至りましたし、福岡側でも福岡市営地下鉄と直結した事から、姪浜~博多間も廃止されるに至っております。

 

 

 さて、ここからは廃線跡をご紹介してまいりますが、まずご紹介しますのがこのホテルの敷地内にあります「ファミリーマート」であります。このコンビニがある場所が、その下の画像にもありますように、かつて駅の正面であった場所でありました。やはり、駅が廃止されましてからは建て替えられましてホテルとなっている訳でもありますので、面影と言うのはありませんが、それでもその下の画像を見ましても駅があった事は伺えるのではないかとも思います。

 

 (「ウィキペディア」より、旧東唐津駅正面)

 

 この旧東唐津駅は、かつての資料によりますと、駅自体は1面2線のホーム配置となっておりまして、昭和58年3月改正前まで2つのホームから博多・伊万里方面へ運行されておりました。また、画像のように旧駅構内には東唐津気動車区も設けられておりまして、「ヒカラ」と珍しい3文字の電報略号ともなっておりましたので、「門ヒカラ」という表記の車両が存在してもいました。

 

 (昭和56年頃撮影、佐賀新聞社発行、「ふるさと旋回」より)

 

 上の画像の航空写真によりますと、現在のホテルの建物が存在している所にかつての駅舎・ホームが設けられていたようであります。また、駐車場となっている部分には留置線や気動車区関係の施設が存在していたようでしたが、残念ながらそう言った面影は見られません。

 

 所で、このホテルには、日本でわずか2台しか存在しないと言う富士重工7S架装の日野セレガ(KC-RU4FSCB)も存在します。この車自体は、これまで複数の観光バス会社を渡り歩きまして現在に至っている訳ではありますが、福岡県の観光バス会社に存在しておりました相方の車が離脱したと言う情報もありますので、より貴重な車となってしまっているようでもあります。とにかく、もう20年を経過している訳ではありますが、1年でも長く活躍の場を見せていただきたい所ではあります。

 

 

 ホテルから東側へと進みます。上の航空写真の画像によりますと、画像の手前・その下の画像の部分は留置線であった部分やホームへの線路へとつながる部分、以下画像左側には旧東唐津気動車区の建物も存在していたようでありまして、現在は空き地(ホテル職員駐車場)となっておりますが、面影と言うのはあまり感じさせられなくなっております。

 

 (ホテル側)~ホテルの建物の部分が旧駅舎があった部分

 

 

 さて、ここから廃線跡は「虹の松原」の中へと入って行きます。廃止から37年も経過している今でもありますので、自然に帰ってしまっている事が伺えておりますが、それでもかすかに跡の部分は見られておりまして、それは後述の姿を見るとわかるのではないかとも思います。

 

 画像からはわかりませんが、線路跡であった部分には草が生い茂ってはいるものの、段差が見られている部分もありまして、そう言った所でかつての筑肥線が存在していた事を伺わせております。その下の画像が、実際に別の所で赤線を入れまして廃線跡があった部分を表しておりますが、赤線の内側の部分が廃線跡の部分となっております。尚、当時東唐津~山本・浜崎方面の分岐点までは線路が2本であったようでありまして、線路の幅がそれらを偲ばせております。

 

 (別の位置)~電線の下の部分が廃線跡の部分

 

 

 虹の松原に沿いまして、冒頭ご紹介しました現在の東唐津駅の近くにありますマンションにやってまいりました。画像の右側に見えております高架が現在の筑肥線でありますが、その左側から手前側までが博多方面への旧線が存在しておりました。

 

 (マンション部分)

 

 

 一方、山本方面への廃線跡は、正面の木の横にあります建物の所に旧線が存在しておりまして、それから斜めに橋梁が存在しておりました。現在は面影も見られませんが、現在の「グーグルアース」でたどりますと、そう言った所がわかりやすくはなっております。

 

 上の撮影位置の反対側です。画像正面に見えますのが筑肥線の廃線跡でありまして、現在も残ります路盤がそれを物語っております。そして奥に現在の筑肥線の高架橋をくぐりまして、後述の所へと至る事になります。

 

 

 筑肥線高架橋の下です。この廃線跡のここから先は道路化されておりまして、この道路の手前には、上の画像1・2の現在の東唐津駅前までつながっておりまして、廃線跡も様変わりしている事も伺わせております。また、この付近では宅地化も進んでおりまして、その結果この校区の小学校もマンモス校化しているそうでありまして、駅にも近い事もありまして変化が見られております。

 

 

 この廃線跡沿いには、佐賀県唐津地区の進学校でもあります、唐津東中学校・高等学校があります。かつては唐津城下に設けられておりましたが、現在はこの地に移転されるにも至っております。尚、かつての旧唐津東中学校・高等学校があった所には、現在は早稲田佐賀中学校・高等学校が進出しておりまして、こちらも進学校としての姿を見せております。

 

 

 唐津東中学校・高等学校を過ぎますと、国道202号線(「唐津バイパス」)の橋(井樋田橋)とをクロスします。このバイパス自体は昭和50年代に完成しておりましたバイパスでありまして、筑肥線もこの時には存在していた頃でもありました。しかし、廃止から37年になる訳ではありますが、ここまで様変わりするとは、この橋も思わなかったのではなかったでしょうか。

 

 

 国道202号線をくぐりますと、かつて旧国鉄筑肥線であった事を伺えにくいほど引き続き道路化した姿を見る事ができております。この道沿いには、ディスカウントストアあり、ドラッグストアあり、コンビニありと、地元になくてはならないものが見られておりますし、それとともに宅地化も進んでおりますので、そういった変化も見られるようにもなっております。

 

 (旧東唐津方)

 

 また、この道沿いには、数年前に昭和自動車(昭和バス)のバス停も設けられておりまして、この廃線跡に現在は一般路線バスも走る姿が見られております。元々は、唐津競艇場(ボートレースからつ)の前を経由しまして旧久里駅の所まで運行されておりましたが、廃止後に山本駅の所にあります山本バス停まで延長、そして数年前より唐津競艇場の所を廃止しましてこの道路を経由するようになっておりまして、現在はさらに北波多地区の唐津市民病院(市民病院きたはた)まで運行されております。

 

 (生駒大橋バス停)

 

 

 それから先へ進みますと、生駒大橋を渡ります。かつての橋梁は半田川橋梁であった所でありましたが、道路化を機に橋を架けなおしまして、現在は画像のような橋に生まれ変わっております。

 

 

 そして先へ進みますと(この間は最後の画像部分です)、旧鏡駅へとやってまいります。この旧鏡駅は、旧東唐津~山本間にありました2つの駅のうちの1つでもありまして、廃止末期の時点では無人駅でもあったそうでもあります。

 

 この旧鏡駅付近では、木が生い茂っておりますし、道路・歩道の部分に不自然な所が見られているなど、かつてこの地に駅があった事を伺わせております。以下画像中央の現在の道路部分が、かつての駅舎があった部分でもありまして、そして縁石の部分にホームが、さらに歩道の所に線路が存在していたようであります。、

 

 一方、こちらの側道が、かつての旧駅前の道路であった部分であります。こうして見ましても、それほど広くはない事が伺わせておりますが、それでも大型から小型の車がこの道を通っていた訳でもありますので、今となればかつてを偲ぶ部分かなとも思う所でしょうか。尚、その下にもありますガソリンスタンドはかつては旧鏡駅の横に設けられておりましたが、現在は画像の位置に移動しております。

 

 (旧駅の横から移動しているガソリンスタンド)

 

 

 こちらが、旧鏡駅部分のホーム・線路跡であります。現在舗装されております歩道の部分に線路跡が、そして緑が生い茂っている部分がかつてのホーム跡になります。こうして見ましても、そういった細かい部分でかつての姿が偲ぶ事ができる訳ではありますので、上の画像の記念碑とともに旧駅があった事がわかるような姿ではないかとも思います。

 

 ちなみに、バス停が設けられるにあたりまして、くぼんでいる部分も見られておりますが、バス停が設けられている事を思いますと仕方がない部分ではないかとも思う所ではあります。

 

 

 今回は、筑肥線唐津地区の廃線跡探訪をご紹介しましたが、やはり37年も経過している事もありまして、かつてここに鉄道が走っていた事を偲ぶ事はできなくなっております。やはり、特に10代20代の方にとりましてはここに鉄道があったんだと言われても信じにくい所さえもあるのではないかとも思いますが、ご紹介しましたように駅の跡の記念碑も残っている事はまさに後世に残すにふさわしい所ではないかとも思う所ではないでしょうか。次回後編では、かつての路盤もわずなながら残ります山本駅までの廃線跡探訪をご紹介しますので次回もご覧になっていただきたいと思います。