番外 かつて東京~静岡間で153系→165系各電車で運行していた、東海道線急行「東海」ヒストリー | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 現在、東京~静岡間を鉄道でダイレクトに利用するとなりますと、最も考えられるのが東海道新幹線ではないかと思います。

 

 東海道新幹線では、「ひかり」・「こだま」が停車を行っておりまして、「ひかり」は約1時間、「こだま」は約1時間25分で東京~静岡間で運行されておりまして、一部を除きまして上の画像のN700系新幹線電車で運行されております。

 

 運行間隔は、「ひかり」は1時間に1本、「こだま」は1時間に2本が日中運行されておりまして、最も多く運行されております、静岡県内を通過します「のぞみ」と比べますと本数もそう多くはない訳ではありますが、それでも鉄道でダイレクトに移動できる分、利用者も多いようではあるようであります。

 

 

 さて、現在鉄道でダイレクトで移動できるのが東海道新幹線でありますが、かつては在来線であります東海道線でも東京~静岡間をダイレクトに移動できておりました。それが平成19年のダイヤ改正で廃止されました特急「東海」でありましたし、それとともに現在は最西端は沼津駅まで東京方面から運行されております東海道線の普通列車でありましたが、今回当ブログでご紹介しますのが特急「東海」の前身でありました急行「東海」に関しまして、昭和60年の時刻表を参考にご紹介してまいります。

 

 

 「東海」は、昭和30年7月に、東京~名古屋間を準急として運行されたのが始まりでありまして、東海道新幹線の開業前には最高7往復で運行されておりまして、うち1往復が夜行としても運行されておりました。

 

 その後、昭和41年に急行列車化されまして、昭和47年には運行区間を東京駅~静岡駅間に変更しまして運行されておりました。急行列車時の当初は、準急時代から使用されておりました153系電車でありまして、昭和57年まで運行されておりました。それからは以下画像の165系電車に変わりまして、平成8年の特急化まで運行されてもいました。

 

 (クモハ165-108)~大垣電車区所属時の昭和60年から平成元年(この年に静岡運転所に担当が変わりました~後述)の間に「東海」にも就いていたようです~平成25年撮影、リニア・鉄道館保存

 

 

 急行「東海」の停車駅であります。このうち( )が特急化によりまして停車しなくなった駅でありますが、それでも主要駅に停車していた事が伺わせております。

 

 東京~新橋 ~品川~川崎~横浜~大船~(藤沢)~平塚~(国府津)~小田原~湯河原~熱海~(函南)~三島~沼津~(吉原)~富士~(新蒲原)~蒲原~清水~静岡

 

 このうち、東京~国府津間では、当時「東海」とともに連結されて運行されておりました「ごてんば」も昭和60年まで運行されておりまして、最高16両編成で組まれておりました。そう言った事から神奈川県小田原市の国府津駅にも分割・併合も行うため停車しておりましたが、廃止後にも「東海」の停車駅として存在するも、急行化に伴い停車廃止となっておりました。

 

 

 急行「東海」の時刻です。赤で囲っております当時の「急行」東海時代は2往復で、所要時間は約3時間で運行されておりました。また、この頃は冒頭ご紹介しましたように東海道線の普通列車も静岡駅まで乗り入れておりましたし、現在は身延線の特急列車でもあります「ふじかわ」の急行時代の愛称であります「富士川」も見られておりました。ちなみに、先述のように「ごてんば」はこの時刻表が発行されました昭和60年改正時に廃止されましたので、既に記載はありませんでした。

 

 (東海1号と富士川2号)

 

 (東海3号と富士川8号)

 

 

 「東海」の編成表です。当時の編成は12両編成でありまして、その下の画像にもありますグリーン車は自由席扱いで2両連結されておりました。また、普通車も全車自由席でありまして、基本編成8両、付属編成4両で運行されておりまして、東海道線を運行します普通列車でもグリーン車も連結されておりますので、いわゆる急行券を追加しますと乗車できるような形となっていた事がお分かりいただけます。尚、先述のように昭和60年までは「ごてんば」も連結しておりましたので、東京~国府津間は最高16両編成で組まれておりました。

 

 (サロ165-106)~平成25年撮影、リニア・鉄道館で保存

 

 所で、サロ165-106の所に窓が設けられておりますが、ここには簡易運転台が行われておりまして、本線上ではありませんが車両基地や工場で行き来できるようになっておりました。やはり、「見えない先頭車」と言う印象が感じさせられますが、この車を先頭にして動いている姿がどうであったのか気になる所でもあったでしょうか。

 

 

 その後、昭和61年の改正で12両から11両に減車、平成元年に担当部所が大垣電車区から静岡運転所(当時)に変わりまして「東海」は運行されておりましたが、平成8年に以下画像の373系電車に変わりまして特急「東海」に変わる事になりましたので、それとともに30年間続きました急行「東海」は廃止されました。急行末期時には、編成も4号を除きまして8両に減車しておりまして、「東海」だけでも国鉄時代から4両も減車した事になりました。

 

 (373系電車)~「ふじかわ」時

 

 

 特急「東海」になりましてからは、373系電車6両編成に減車されまして、急行時代にはなかった指定席車も2両連結されておりました。しかも、「ワイドビュー」の名称も付けられまして運行されておりましたが、平成19年に特急「東海」も廃止されまして、さらに平成21年には並行して運行されておりました「ムーンライトながら」もJR東日本の車両で臨時運行されるようになりましたし、373系電車の定期での東京乗り入れも最後まで残されておりました東京~静岡間の普通列車の運行を最後に終了しておりまして、373系電車も定期運行はJR東海区間での運行のみとなっております。

 

 

 私自身も、この急行→特急「東海」の存在は、昔の時刻表から以前から存じておりましたが、それとともにこれまで使用されていた経歴もあった車両をこれまでも収める事ができていたというのも良かったのではないかとも思っております。特に、今回の訪問では373系電車を収める事ができた事もこの記事を作成するに至る事ができた要因でもありましたが、ご覧の皆様もこの記事によりましてこの373系電車が特急「東海」として、さらに165系電車・153系電車で急行「東海」も運行されていた事、そして時刻もそうであった事を存じていただければとも思います。