番外 続懐!西鉄天神高速バスターミナル内「バスミュージアム」最新版 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

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 当ブログでは、NO.1644におきまして、新装オープンしました西鉄天神高速バスターミナル内にあります「バスミュージアム」に関しました話題をご紹介しておりました。

 その時撮影の画像は、上の画像2の姿でありますが、前身の「西鉄天神バスセンター」時代の姿や、その前の「福岡バスセンター」での姿、さらにはかつての高速バスの姿などをこの「バスミュージアム」において見る事ができておりまして、ご覧の皆様の中でもご覧になっていらっしゃらない方は前回の話題をご覧いただければとも思いますね。

 さて、そんな「バスミュージアム」では、以下画像にもありますようにこのほど新たなものに交換されておりまして、引き続き懐かしい姿を見る事ができております。今回当ブログではこのうちの一部の写真の姿を皆様にはご紹介してまいります。
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 まずは、「天神の初代ランドマーク」と書かれた写真であります。この写真は大正12年頃に撮影された写真でありますが、時計台があるビルがあります。このビルは旧九州電灯鉄道(西日本鉄道(西鉄)の前身)の本社ビルであるとの事ですが、このビルがのちの茶色いビルであります「天神ビル」に変貌する事になりますのでまさに貴重な姿であると言えるのではないでしょうか。
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 こちらは、昭和32年頃に撮影されました写真でありまして、「ビル建設ラッシュ」と言うタイトルとなっておりますが、タイトル通り、天神周辺もビルの建設が進んでいる頃でありました。ちなみに、画像左側にありますのが現在は「福岡パルコ」になっております旧岩田屋ビル、そして右側の「三菱」と書かれている所が上の画像にあります後の「天神ビル」でありまして、その3年後に以下画像6にもありますように茶色い現ビルに建て替えられております。尚、それらビルに沿いまして手前から奥が「明治通り」、左側から右側の道路が「渡辺通り」であります。
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 こちらは昭和39年に開催されました「東京オリンピック」の聖火リレーのシーンであります。こうして見ましても、昭和35年に建て替えられました「天神ビル」をはじめ、「明治通り」の道沿いにかなりの人だかりである事が伺えるようであります。最近でこのような人だかりで思い出されるのが「福岡ソフトバンクホークス」の優勝パレードではないかと思いますが、この姿を見ましても関心が高い事も伺えるのではないかと思いますね。本当に、このような姿が5年後でも見られるのではないかと思いますと楽しみな所でもあります。
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 さて、ここからは懐かしのバスに関しました姿であります。画像は、昭和39年に撮影されました写真でありますが、このタイトルからもわかりますように、ワンマンバスが運行を開始した時であります。乗車方法も、今の「中乗り前降り」ではなく、「前のり中降り」と、東京などでみられるパターンとなっておりました。したがって、運賃が均一であった事もありまして、前払い制となっていたようでもあります。
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 画像は、昭和47年に登場しておりました前方の「4枚折戸」の車であります。このような車は残念ながら量産には至っておりませんでしたが、グループ会社でありまして、ボディ製造メーカーでありました西日本車体(西工)とタッグを組みまして生まれていた訳ですので、このような車もまさに「何でもアリの西工」と言う印象があったのではないかとも思いますね。
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 こちらの画像は、昭和43年頃に撮影されました旧西新営業所とバスターミナルであります。西鉄バスは、平成14年まで「西新パレス」の横にあります所に西新営業所と呼ばれます営業所を設けておりましたが、現在は機能は福岡タワーの裏にあります百道浜営業所に移っておりまして、跡地はビルや駐車場となっているのが現状でもあります。それにしても、バスターミナルが設けていた事がわかりますが、その下の画像の方面を見ましても、曲渕や椎原の南方面、和白や香椎などの東方面、そして門司方面までも運行されていた事もお分かりいただけるのではないでしょうか。
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 (方面アップ)
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 画像は、昭和50年撮影の姿でありますが、現在の「SL塗装」の前身の「赤バス(ワインレッド)塗装」登場時の姿であります。ちょうどこの頃は、「明治通り」を走っておりました西鉄電車の福岡市内線の貫通線が廃止された頃ですので、電車代替と言う役割も果たしていたようであります。
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 西鉄福岡市内線貫通線が廃止されますと始まりましたのが地下鉄工事でありましたが、昭和51年頃撮影でありますこの姿を見ますと、もう工事が始まっている事がわかります。尚、この天神付近の区間では、この5年後に室見~天神間で開通する事になります。
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 そして、市内線が廃止されまして生まれましたのが画像の「バス専用道路」であります。福岡市内の場合は、現在も馬出通り~箱崎間で見られますが、画像にもありますようにバスしか通らない道路が存在しているだけでも大きいのではないかとも思いますね。
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 ここまで、「バスミュージアム」最新版としてご紹介しましたが、こうして見ましても、色々な事があった所が伺えるようであります。私としましては、画像8の「4枚折戸」は衝撃的な姿ではないかと思いましたが、もしもこのような車が現存していたならばどんな形になっていたのだろうかと思わざるにはいられません。とにかくご覧の皆様も、ご覧になる機会がありましたら、是非ともご覧になってみてはいかがかとも思います。
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