番外 呉線広駅に存在していたオフレールステーション&置かれていた「CABIN」コンテナ | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 広島県呉市にあります呉線広駅は、3つ隣の呉駅に次ぎます呉線でも中心の駅でもあります。
 
 この駅は、画像にはありませんが、呉線で使用されております車両の留置等も行っておりまして、そう言った事からこの駅の構内も広いのも特徴でもあります。
 
 また、広島シティネットワークの境界駅でもありますし、運行系統もこの駅で分かれているのも特徴の駅でもあります。したがって、呉線の広島方面から運行されている列車も、ほとんどが広駅止まりとなっているのも特徴でもあります。
 
 
 そんな広駅も、去る7月の「西日本豪雨」によりまして寸断されておりますので、現在列車の運行はできない状態となっておりまして、現在は以下画像のように呉~広間、広~三原間で代行バスが運行されておりまして、この区間に関しましても坂~呉間とともに不自由な所を強いられているのが現状でもあります。
 
 (呉~広間の代行バス、中国ジェイアールバス、641-6957・いすゞQRG-RU1ESBJ)~なんとコンセント・Wi-Fi付きです!
 
 尚、来る8月20日に呉~広間で運行再開が予定されておりまして、ようやく呉地区にも列車の運行ができるようになるようであります。さらに、NO.2054でもご紹介しましたように、9月中には坂~呉間で再開が予定されてもいますので、広島から呉線の呉地区まで鉄路で結ぶ時も時間の問題である事には間違いないようでもあります。
 
 
 そんな坂駅ではありますが、かつてこの駅構内には「広オフレールステーション」と呼ばれますJR貨物のコンテナ基地が併設されておりました。
 
 (平成24年撮影)
 
 元々この呉線は、山陽線とともに貨物列車が運行されておりましたが、国鉄分割民営化前の昭和61年に貨物列車の運行が廃止されておりまして、それに伴いまして「広コンテナセンター」となっておりましたが、その後「広オフレールステーション」に名称が変更されておりまして、広島貨物ターミナル駅へ向けてトラック輸送がなされておりました。しかし、翌平成25年頃に「広オフレールステーション」は廃止されておりまして、現在は後述の姿となっております。
 
 
 そして、今回平成24年に撮影していた画像をご紹介しておりますが、その小豆色のコンテナの中に、以下画像のような「CABIN(キャビン)」と書かれたコンテナを2個見る事ができておりましたのでご紹介してまいります。
 
 
 この「CABIN」コンテナとは、当時の日本たばこ産業(現・JT)が発売していたたばこであります「CABIN」をデザインしたコンテナでありまして、画像にもありますように、日本通運(日通)が所有していた私有コンテナでありまして、おそらくはその「CABIN」の他、複数の銘柄のたばこもこのコンテナに積載していたのではないかと思われます。
 
 また、画像のように「86.11.25」と書かれている所を見ますと、おそらくは昭和61年11月に製造されたものではないかと思われますし、形式もNC2と呼ばれる形式であったようでありまして、国鉄末期からJR初頭まで実際に積載されていたようであります。しかし、1990年代後半にたばこの宣伝が禁止された事に伴いまして、積載する列車も急減しまして、以降は各地の貨物駅や日通の営業所などに倉庫などとして活用されてもいたようですが、そのほとんどが廃コンテナとなりまして、解体されているのが現状でもあります。尚、鉄道模型でもこのコンテナの模型は人気はありますが、製造・販売は終了しているとの事であります。
 
 私自身、この時このコンテナを初めて見ておりましたが、このような私有コンテナの存在は、その専用である事を意味する訳でもありましょうから、今は使われなくなっていた分貴重なものであった事には間違いなかったようでもあります。それでも、このような駅で見られていたのが懐かしい所ではなかったかとも思います。
 
 
 尚、現在、広駅の横にありました「オフレールステーション」は、現在は画像にもありますように書店となっておりまして、その名残は見る事はできません。今回の訪問時には残念ながら足を運ぶ事はありませんでしたが、今回当ブログ作成に伴いまして「ストリートビュー」で調べますとそのようになっておりましたので、様変わりしていた事が伺える所でもありました。
 
 (Googleストリートビューより)
 
 
 また、たばこを運ぶ輸送自体は、上の画像にもあります小豆の「JRF」など他のコンテナによりまして、鉄道によるたばこ輸送の任を継いでいるようであります。実際に他所でそのような姿を見た事がありましたので存じておりましたが、もしも現在も使用されているのならば、宣伝効果にもなってよかったようにも思う所でもあります。本当に、かつては鉄道とたばこ工場とは専用線なども存在していたなど(実際に工場や配送センターがありました鹿児島市内・佐賀県鳥栖市内などでも存在していました)密接な関係さえもありましたが、そのような存在自体がなくなった事も仕方ないのではないかとも思う所でもあります。